奄美 海風blog

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去年の記事 続 奄美パーク 奄美の里 田中一村記念美術館

2018年08月31日 | 観光ポイント
 
続 奄美パーク 奄美の里 田中一村記念美術館
続 奄美パーク 田中一村記念美術館2、アダン葉と屋根上のイソヒヨドリ pic.twitter.com/NHWgIguUgO— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so)......
 

屋根の上のイソヒヨドリが印象的でした。高倉を模したような美術館の床下?には水が張ってあるのですが、その水面下を飛び交う燕をみることもよくあります。


動画 二つの海(東シナ海と太平洋)の見える場所 奄美大島北部の龍郷町赤尾木

2018年08月29日 | 観光ポイント

180829龍郷の海

二つの海の見える場所とは奄美大島北部の龍郷町赤尾木の
東と西に太平洋と東シナ海が見えるという意味でしょうか。
↑ 地図の黄色い円で示した部分を撮影しました。
行き方、見方は 二つの海の見える場所 で検索は容易できます。
一望するには高いところに行きます。加世間峠に通じる道を行きました。
国道58からビックツーのところで、戸口(とぐち)集落に向かい、ヒエン橋という
けっこう大きな橋へ左折、しばらく行ってT字路を左折。
センターラインのある、わりと広い新し気な尾根道です。
絶景ですが、どこへ行くかわからず、どうも臆病風がつきまといます。未知の、高い尾根道を吹き渡る風です。
標高が高くなるにつれ、ガードレールの直下に見える青い海は、海辺の道とは違い、崖から転落しそうで、コワクなります。行き交う車もなく、不安が増します。(それでもこの日は数台の車とすれ違いました。
しかし、
立派な道が突然、未舗装の細い砂利道の急坂に変わり、何の表示もありません。
危険を感じて引き返しました。(そこからは走り慣れた国道がすぐそこに見えるのですが・・・)
帰り道で、落ち着いて撮影することにしました。
眼下に、行には気づかなかったパラグライダーを見たので動画におさめました。

 


#西郷どん が暮らした奄美大島龍郷の海

2018年08月29日 | 海の風景


去年の記事 動画 「一村の杜」順路の「ガジュマルにトラフズク」でイソヒヨドリが鳴いていた。 

2018年08月28日 | You Tube 動画
 
動画 「一村の杜」順路の「ガジュマルにトラフズク」でイソヒヨドリが鳴いていた。 
 ハマユウの花は咲いていました。一村の杜 Isson's forest の順路1 美術館を出てすぐのところにあります。奄美パークの田中一村記念美術館の一村の杜順路「......
 

 


去年の記事 ★ランタナ(Lantana) ★ナガサキアゲハ? メスの有尾型

2018年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム
 
★ランタナ(Lantana) ★ナガサキアゲハ? メスの有尾型

wiki ★ランタナ(Lantana、学名:Lantana camara)はクマツヅラ科の常緑小低木。中南米が原産。観賞用に栽培される。和名は★シチヘンゲ(七変化)。鮮やかな色......
 

ランタナの独特な香りが、思い出せない。例えば月下美人の香りのように、芳醇なとか、甘く濃密なとかの高級感のある香りではないが、しかし蝶などが好む甘酸っぱいようなトロピカルな、バンジロウ(グアバ)の葉のような香りだったか。思い出せない。観賞用に栽培されたものが野生化したもの。


大河ドラマ 西郷どん 第32回「薩長同盟」は26日放送

2018年08月23日 | 歴史 民俗

 
仲介役の土佐の坂本竜馬、薩摩の家老・小松帯刀(こまつ・たてわき)、西郷隆盛、大久保利通と
長州藩の木戸孝允(貫治)の四人がが顔をそろえる京の森脇町の近衛家別邸(小松が借りている、准薩摩藩邸)の「御花畑」とよばれる広大な屋敷は、
↑「西郷どん! 上製版 前・後編 – 2017/11/1
林 真理子 (著)」の後編 P117 あたりに、さらっと登場する。

原作本は、ほかに『西郷どん! 」並製版 上中下巻 – 2017/11/1
林 真理子 (著) 同じく角川の二種がある。
名瀬の書店にはまだどちらもある。

 


西郷どん:第31回「龍馬との約束」視聴率11.0% 最低の前回から0.7 p微増

2018年08月21日 | 歴史 民俗

5分で分かる「西郷どん」第31回『龍馬との約束』

↑ クリックして別ウィンドーのYoutube 版でご覧いただくことになります。

西郷どん:第31回「龍馬との約束」視聴率11.0% 最低の前回から0.7 p微増
録画を忘れてしまい、5分でわかる西郷どん31回 で見た。
再びの長州征伐へ。
長州の桂小五郎(木戸孝允)と会うべく西郷は下関へ向かおうとするが
公方様が上洛(徳川 家茂( いえもち)14代征夷大将軍が第2次長州征伐のため京へ向かう)するとの知らせを受け、急遽京へ。
約束をすっぽかされた、と西郷をなじる龍馬。
海江田 信義(有村俊斎=三弟は桜田門外で井伊直弼の首級をあげた有村次左衛門)が、西郷に頼まれた欠席の手紙を意図的に届けていなかったのだ。
龍馬の信頼もなにもかも失のうたぜよ。この時の龍馬は西郷隆盛どんに対し、すごみ過ぎ。西郷どんが小さく見える。
下関、約束、京とくると、西郷徳之島流罪の状況を思い浮かべてしまう。←あまり関係ない。
落ち込む西郷に大久保が気合一発、叫ぶ「チェスト~っ・・・ははは気張れ!」で、毎回終わるのは、ちょっとあれだなあ~。
薩長同盟は諸説あって分かりにくいが、とても5分では、あいや45分でも分かるまい、と思うところ。
次回は録画忘れずに。
 

 


『まぼろしの維新』 西郷隆盛、最期の十年 (集英社文庫) – 2018/4/20 津本 陽 (著)

2018年08月19日 | 本と雑誌

『まぼろしの維新』 西郷隆盛、最期の十年 (集英社文庫) – 2018/4/20
津本 陽 (著)(1929年 - 2018年5月26日 89歳没)
2件のカスタマーレビュー
 
西郷どん放送開始後の出版だ。
西郷は「慶応の功臣にして明治の逆賊」とも言われる。
つまり、しかし、勝組も負け組も両方経験した西郷だからそこ、これほどまでに人気があるのだろう。
どちらか一方だけ、またその順序が逆であってもいけない、と思う。
歴史にタラレバは無意味というが、らたればこそが歴史を深く味わう、
また何度も学ぶ手段だろう。
 
西郷、負け組の始まり(その以前はさておき)、政府出仕から明治6年の政変そして西南戦争の描写は実証的で細密で、海音寺潮五郎の史伝『西郷隆盛』を思わせる。会社経営の経験をもつ著者は、人間西郷の魅力を様々の人物を描くなかから浮かび上がらせる。
西南戦争の描写はすこし速読になってしまった。
実は、読了まであと少しのところで、これを書かななければならなくなった。
田原坂から薩軍の敗戦濃厚となるあたりから、タイトルの「まぼろしの維新」
が、徐々に浮かび上がる。
西郷の動向や、肉声は、ぽつぽつとしか語られない。
敗走を始めたころ、世論は西郷に対する同情に傾いていた。
そこから「まぼろし」は浮かび上がり、そして現在をも照射する。
宮崎から鹿児島に入るあたりの地元での西郷人気はすさまじい。その描写は圧巻だ。
その人気は、英雄不死伝説ではなく、タラレバでもなく、まぼろしとして
資料を駆使して語られる。
西郷の味方は、庶民だけではない。
西郷討死の報に、明冶天皇は「朕は西郷を殺せとは言わなかった」と言ったのだった。
驚いたのは、島津久光と忠義も政府に建白書を提出し
「大久保、川路をも出頭させ、際本のうえで」、真実の罪あるものを罰すべきである」と訴えている。
久光が内田正風に(石川)県令を辞任させたのは、これまで仇のように憎悪していた西郷を政府に出仕させ、その力量で自分の政府における自分の立場を強化しようと考えていたためであった。p481
wiki内田正風 幕末は島津久光の側近として、倒幕活動に参加。明治時代は官権として県令を務めていた。後に官僚を辞職し、島津家に再び仕えた。
内田正風はあまり知られていない人物だが、けっこうな紙幅が費やされている。
もし西郷が生きていればを語るためである。
そして維新の三傑の一人木戸孝允も休戦すべきだと主張していた。
p395もし政府が西郷らと大久保、川路らを会わせ、事件の真相をあきらかにすれば、それで事は決着し、事実無根であればその場で事は決着しただろうp395
大久保、川路(日本警察の父)の立つ瀬はちじまるばかりだ。(陸軍大将である西郷にしても国憲を犯し許可なく兵馬を動かし武器を武器を携行したのであるから国賊ではあるのだが)
また、沖永良部からの帰り、喜界島から西郷が無断で?連れ帰って、西洋の見聞もあるあの村田新八もだ。
村田は西郷助命を桐野、池上へ相談したが聞き入れななった。
その村田のすすめで一同を集め、西郷に直接訴えた藩士に
西郷は「お前んさあが決めりゃよか」

内田正風のはたらき(久光の西郷軍への協力を西郷につたえる)に西郷が応じていたら、軍資金、商船、武器、旧藩主につながる薩摩士族・・・
このレバは、おもしろく、ナゼならなかったのかは、それに対する西郷の手紙に示されている。読んでのお楽しみだが、まぼろしになった理由は、その文面からさらに想像力を駆使しなければならない、ここが読みどころだった。
読んだのはここまで。残りの三十数ページに、クライマックスがあるのかもしれない。

amazon 登録情報
文庫: 525ページ
出版社: 集英社 (2018/4/20)
 

『西郷隆盛はどう語られてきたか』 (新潮文庫) 文庫 – 2017/12/23

2018年08月17日 | 本と雑誌
相変わらず表紙の絵が秀逸です。印象に残ります。

『西郷隆盛はどう語られてきたか』 (新潮文庫) 文庫 – 2017/12/23
原口 泉 (著)
 
読了から時間が経ち、もう手元にない。肯定、否定あわせて国内外70人以上の政治家、作家などの西郷論を紹介しているが、著者が最も推していると、私が感じたのは、やはり同じ鹿児島出身の海音寺潮五郎の西郷論だ。
 
『西郷隆盛』第一巻(朝日新聞社刊)海音寺潮五郎著 2007/11/7 のあとがき  このブログ 2015年07月28日 | 本と雑誌
 
「私が西郷の伝記を書こうと思い立ったのは、私が西郷が好きだからです」←これはこのままで検索して、詳しく読むことができます。
が引用されていたが、本書を読んだあと、改めてこの言葉を読んで、その意味の深さに思いいたることができた。
 
私が西郷の伝記を書こうと思い立ったのは、私が西郷が好きだからです。理由を言い立てればいくらもありますが、詮ずるところは、好きだからというに尽きます。好きで好きでたまらないから、その好きであるところを、世間の人々に知ってもらいたいと思い立ったという次第です。
 伝記というものは、ほれこんで、好きで好きでたまらない者が書くべきものと、私は信じています。そんな者には厳正に客観視することが出来ないから、よい伝記は書けないなどという人がありますが、人間にはほれこまなければわからない点があるのです。「子を見ること親にしかず」という古語がありますね。親は子供を愛情をもって、生まれた時からずっと見ているから、長所・短所、誰よりもよく分かるという意味であると、私は理解しています。人間はそういうものなのです。ほれて書けないなどという人は、人間というものを知らないのです。単に公平であるというだけが取柄の伝記など、何になりましょう。
『西郷隆盛』第一巻(朝日新聞社刊)海音寺潮五郎著
 
 
これを読んで、本書70人のうちの否定的な西郷論の多くは西郷の圧倒的人気を
どこか認めているし、中にはその人気にあやかろうとして西郷を否定しているように見えてくるものある。そしてそれも西郷人気の奥の深さに取り込まれてしまうのであった。
 
そして時代さえも西郷を利用しようとして、そして西郷に取り込まれてしまう。70人もの西郷論をよく集めたものだと感心もした。
 
最近は海外でも西郷論が盛り上がってきているという。