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かそけき光 奄美 大浜 アダン 241104

2024年11月21日 | うんちく・小ネタ

かそけき光 奄美 大浜 アダン 241104

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AIに訊きました。

「かそけき光」という表現は、日本語で詩的かつ感覚的なニュアンスを持つ言葉です。「かそけき」とは、「微か(かすか)な」「か弱い」「ほのか」といった意味を持つ形容詞で、目立たず控えめな存在や、弱々しいけれど確かに存在しているものを表現します。

「光」は、物理的な光(光線、明るさ)だけでなく、象徴的に「希望」「気配」「未来の兆し」などを指す場合もあります。そのため、「かそけき光」とは、次のように解釈することができます:

  1. 物理的な光
    微かに見える淡い光、たとえば霧の中の光や、夜明け前の弱い光など。

  2. 象徴的な光
    希望や未来の兆しがわずかに見え始める状態、または不確かだけれど確実に存在している希望の気配。

  3. 感情や雰囲気
    儚さや不安定さを含んだ、静かな心情や雰囲気を表現する比喩。

例えば、小説や詩の中で「かそけき光」と描かれる場合、それは読者に対して繊細で奥深いイメージを喚起させる役割を果たすことが多いです。暗闇の中に微かに灯る光や、絶望の中で感じるかすかな希望を連想させます。


赤崎公園 島育ち の歌碑 

2024年05月03日 | うんちく・小ネタ

空前の視聴率81.4%を記録(8000万人が見た)した第14回紅白歌合戦(1963年 昭和38年)。

時代は東京オリンピックを翌年に控え、戦後の復興から高度経済成長へと突き進むまぶしいばかりの時代。

実はこの紅白では驚くべきことに、奄美の歌が何と4曲も歌われたことは、あまり知られてはいない。

↑ 写真(奄美市名瀬赤崎公園 島育ちの碑)の、島育ち(歌唱:田畑義男)
ほか、仲宗根美樹(奄美恋しや)朝丘雪路(永良部百合の花)
三沢あけみ(島のブルース)

NHK紅白歌合戦ヒストリー https://www.nhk.or.jp/kouhaku/history/history_14.html
でお確かめください。

4曲も歌われたことは、2023年12月に奄美文化センター(川商ホール)で行われた新 BS日本の歌の収録でも言及された。


四股(しこ)と反閇(へんばい)

2023年07月21日 | うんちく・小ネタ

wiki 四股(しこ)とは、相撲における動作のひとつで、力士が土俵の上で片足を高く掲げ、強く地を踏む所作のことをいう。もとは醜足(しこあし)といった。

相撲の稽古における重要なもののひとつとされるほか、他方で地を踏み鎮めるという宗教的意味をもつ。

=========


古文辞書 - Weblio古語辞典古語辞 典学研全訳古語辞典

へん-ばい 【反陪・反閇】

名詞
陰陽(おんよう)道で、天皇や貴人の外出の際、邪気をはらうために行われたまじない。陰陽師が呪文(じゆもん)を唱えて地面を踏み鎮める。


讃岐和三盆の項に「薩摩藩奄美大島出身の関良介(せきりょうすけ)」の記述発見💡。

2023年07月08日 | うんちく・小ネタ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E4%B8%89%E7%9B%86

スーパーで買った和三盆糖使用のカップぜんざいがおいしかったのでwikipediaで和三盆を調べた。
讃岐和三盆の項に「薩摩藩奄美大島出身の関良介(せきりょうすけ)」の記述発見💡。

讃岐和三盆
高松藩では、五代藩主松平頼恭公の命により、医師池田玄丈が砂糖造りの研究を始めた[1]。その後弟子の向山周慶(さきやましゅうけい)が後を継ぎ、砂糖キビの栽培および製糖法の研究を進めていた[1]。
あるとき、向山周慶は、お遍路の途中で病気に罹り、行き倒れになっている人を治療して助けた。この人は薩摩藩奄美大島出身の関良介(せきのりょうすけ)という人で、砂糖造りをしたことがある人だった。
そこで、向山周慶は砂糖造りを教えて欲しいと頼んだところ、関良介は命の恩人の頼みを聞き入れ、藩外へ持ち出し禁止のサトウキビを讃岐地方で育てた。


桜梅桃李 (おうばいとうり) 紅蘭紫菊(こうらんしぎく)

2023年03月15日 | うんちく・小ネタ

↑ 河津桜 赤崎公園 2023年2/17日の記事より

wikipedia 桜梅桃李(おうばいとうり)とは、桜、梅、桃、李(すもも)のこと。転じて、それぞれが独自の花を咲かせること。

起源・由来
『古今著聞集』の「草木」の項には「春は櫻梅桃李の花あり、秋は紅蘭紫菊の花あり、皆これ錦繍の色、酷烈の匂なり」とある。
====桜もウメもモモもスモモもバラ科。

紅蘭紫菊(こうらんしぎく)=紅い蘭と紫の菊

↑ ニワウメ

↑ モモ(桃、学名: Prunus persica)はバラ科スモモ属の落葉小高木

スモモ (李 ・酢桃、学名: Prunus salicina)はバラ科 サクラ属の落葉小高木

 

 


ソテツうんちく 信長と夜泣きソテツ 他

2021年01月16日 | うんちく・小ネタ

年をまたいだ「麒麟が来る」の信長は、どーなったのだろうか。しばらく見ていない。
珍しく人間味のある信長が描かれていたように思う。とくに印象的だったのは、一人隠れて奥の部屋で号泣する信長。

泣くといえば、信長と「夜泣き蘇鉄」の伝説。(詳しくは検索してください)

このソテツは、南国から運ばれてきた、とあるだけで、それ以上の情報は見つからなかった。

ほかにも

精子発見のソテツ(鹿児島)など、ソテツうんちくネタは、幅広い。

突っ込みどころはありそうですが「ソテツ地獄」は、救荒食として歴史、民俗ネタ。
あと一村の「不喰芋と蘇鐵(クワズイモとソテツ)」「蘇鉄残照図」など

被写体としても、ドラマチックです。

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2021年01月15日 | 植物


信時潔 交声曲「海道東征」(詞字幕有) , Nobutoki: Cantata "Kaido Tose" (1941)

2020年10月10日 | うんちく・小ネタ

 

信時潔 交声曲「海道東征」(詞字幕有) , Nobutoki: Cantata "Kaido Tose" (1941)

いまもそうだそうですが、学校では神話など熱心に教える先生はほとんどいないそうだ。

我々の世代もそうだったと思う。

第26代継体天皇以降を実在とする説を採る先生の本(読書中)にあったのでメモがわりアップする。著者は肯定的だった。

wikipedia『海道東征』(かいどうとうせい)は、北原白秋詩、信時潔曲による交声曲(カンタータ)である。1940年に皇紀2600年を祝賀する皇紀2600年奉祝曲として作られた。白秋晩年の大作、信時の代表作である。

詩は擬古体で書かれており、日本神話を元にしたもので、天地開闢、国産み、天孫降臨、神武東征、大和政権の樹立までの物語を扱っている。海道東征といっても、決して太平洋をはるばる東に進軍し対岸を侵攻する内容ではなく、九州から畿内への海路を指したものである。(抜粋)

 


動画 きょうの大浜 ビーチロック

2020年10月03日 | うんちく・小ネタ

満ち潮」、風穏やか。

外洋(濃い青)からの波が、サンゴ礁の前線(薄い青緑)に砕けて

描かれる白波の長いラインが、いつもは見られるのですが、きょうはあろ、ありません。

おおきなビーチロック wikipedia(beach rock)は、炭酸カルシウムの膠結作用(岩石学辞典 - 膠結作用の用語解説 - 多孔質の破砕質の岩石の間隙を充填する作用で,石化作用の重要な過程として認識されていた[Playfair : 1802])

により、海浜堆積物が膠結されてできる、板状の石灰質の砂礫岩である。サンゴ礁のある砂浜にできることが多い)

は、満ち潮で波に隠れている。(↑ 波打ち際の上の黒い部分)↓


去年の記事 動画付き 新・新たちがみ百景その1

2020年08月07日 | うんちく・小ネタ
 
動画付き 新・新たちがみ百景その1

190807 新・新たちがみ百景その1 関連記事このブログ 新・あまみ立神 その48 新川河口付近に架かる名瀬港大橋(湾岸道路)下から(過去写真)2014年06月03日 | 田......
 

今年は7月に台風が一個も発生せず、直撃も接近もない今シーズン。

はやくも今日は立秋です。

動画のうんちく ↓ 

東野炎立所見而反見為者月西渡
ひむかしの のにかぎろひの たつみえて
かえりみすれば つきかたぶきぬ
柿本人麻呂 万葉集

賀茂真淵の訓

東に朝日がのぼり、西に月が傾く
動画では沈む夕陽と三ケ月ですが、

万葉集の「炎」かぎろひは解釈は分かれています。
「賀茂真淵」などを加えて検索してみて下さい。


動画 新緑の 奄美市名瀬★大浜海浜公園 ツートーンの海/下弦の月

2020年05月14日 | うんちく・小ネタ

14日は下弦の月ということで、ツイッターにも#下弦の月 がトレンドになっていた。

調べると、
新月から次の新月までに弦月(半月)は2回あり、
最初に半月となる月を上弦の月
次に半月となる月を下弦の月という。
完全理解には、まだ至っていない。なかなかむずかしい。

下弦の月は、真夜中に東の空に昇り、明け方頃に南中、そして昼頃に西の空から沈んでいく
という。

潮の満ち干は月の潮汐力によっておこる。

月と太陽の潮汐力がおたがいに助けあう新月や満月のころは、潮のみちひきが大きく大潮となり、
サンゴ礁の多い大浜の風景も写真映えがするようになる。

また、きょうのように、潮汐力が互いに弱めあう上弦や下弦の半月のころは、みちひきの小さい小潮になり、

エメラルドの海の撮影意欲も小さくなりがちである。


台風一過のあとや強風のあった翌日はよくツートンカラーになるが半月と、ツートンカラーの海は、あまり関係はないとおもう。

 

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動画 幕末の福井の歌人 橘曙覧(たちばな あけみ)の『独楽吟』 (どくらくぎん)

2020年03月23日 | うんちく・小ネタ
Yutubeはいつもは再生速度2倍速で見るくせがついてるが。
漢字を読むのが苦手なのでこれは0.75か0.5倍くらいで読むと音楽もちょうどいい。(その時の気分にもよるが)
橘曙覧の『独楽吟』

橘 曙覧(たちばな あけみ)
幕末の福井の歌人、国学者。身近な言葉で日常生活を詠んだ和歌で知られる。
今日では「独楽吟 どくらくぎん」とよばれる「たのしみは」で始まって「・・・とき」で終わる形式でよんだ和歌でとくに親しまれている。
たとえば
たのしみはそぞろ読みゆく書の中に我とひとしき人をみし時
人物像→ https://youtu.be/mz4eaUKJauE
独楽吟 https://ja.wikisource.org/wiki/独楽吟

越前国福井藩16代藩主松平 春嶽も橘 曙覧(たちばな あけみ)に学び、仕官をすすめたが曙覧は「花めきて しばし見ゆるも すゞなその 田廬(たぶせのいほ)に 咲けばなりけり」(城よりボロ屋が似合う)とやんわり辞退したという。

(余談だが、松平春嶽(将軍・徳川家慶の従弟)と言えば安政の大獄に連座し隠居謹慎を命じられた。その春嶽の右腕といわれる橋本左内を、おなじく大獄で終われる身となった西郷はそんけいしていた。

また
1994年、訪米した明仁天皇、皇后美智子(いづれも当時)歓迎式典の挨拶で、クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で橘 曙覧の一首「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用したことで話題になったが、その名は当時も今もあまり知られていない。

ふたたび(日本人があまりしらない人物を米大統領が尊敬していたという)余談。
それは上杉鷹山(江戸中期米沢藩中興の祖、為せば成る)をケネディ大統領やクリントン大統領が尊敬していたという話もある。

ケネディは内村鑑三の『代表的日本人』(西郷隆盛も筆頭で紹介されている)で鷹山を知ったとされているが、それは誤りで、鷹山を尊敬していると述べたのは、第26代大統領セオドア・ルーズベルトであり、彼が鷹山を知ったのは、
新渡戸稲造が英文で出版した『武士道』を読んだからだと述べている。wikiなど。
https://youtu.be/zSLeq_tyIj0 キャロライン・ケネディ駐日米大使米沢訪問



「サーカスの唄」 「つばくろ」 「つばくら」

2020年02月14日 | うんちく・小ネタ

たいした話ではないのですがね。
このあいだTV歌番組を見ていたら
「サーカスの唄」(1933)(昭和8年)3月発売
 作詞:西条八十
  作曲:古賀政男
  歌唱:松平晃
が流れていました。TVでの歌唱者の名は思い出せません。
いろんな人が歌っていますが、歌詞の情景は今からみると
ちょっと特異です。
私が生まれる20年ほど前の歌です。
タイトルは地味な印象ですが、聞くと、よく耳になじんだ曲でが歌詞も味わいがあり
時代の空気も感じます。
小学校のころ旅回りのサーカス団の少女と一時席を隣にした記憶があります。
あ、たいした話ではないのは
歌詞の ♪旅の「つばくら」が気になったということです。
ら、とろ、の違いですね。紙の辞書で「つばくら」を調べると
「つばくら」(燕) 「雅」つばくらめ
「つばくろ」(燕)「関東以西の方言」つばめ
とありました。
寅さん語録にもあります。旅から帰った寅さんに、家族は冷たい態度。
それが気にさわった寅さん「夏になったら、鳴きながら、必ず帰ってくるあの燕(つばくろ)さえも、
何かを境にぱったり姿を見せなくなることもあるんだぜ」
という場面(第7作奮闘編)1971年 昭和46年4月28日に公開(私はもう高校を卒業していた年でしょうか)
まあ話がまとまりませんが、「つばくら」は、いつごろから「つばくろ」になったんでしょうか。
古賀メロディーと言えば大川栄策ですが、「つばくろ」ですね。https://youtu.be/NZRIbEw1gnM
裕次郎も「つばくろ」です。https://youtu.be/gtfCs7Qq3qc
今みつかりました「つばくら」https://youtu.be/XMyuFI7ss5k


月岡芳年(つきおか・よしとし) -『 隆盛龍城攻之図 』

2019年04月23日 | うんちく・小ネタ

写真と記事は直接関係はありません。このブログ 奄美龍宮伝説 夢をかなえる「カメ」さん

西郷隆盛生存説としては、西郷星(桐野星)や、
影武者が数人いて、実の西郷は、中国大陸、朝鮮半島、東南アジア、インドなどに渡ったとされ、
 なかでも、大津事件(巡査によるロシア皇太子ニコライ殺人未遂事件)でも有名な、
皇太子ニコライの来日に際し、西郷がニコライを護衛して戻ってくるなど、
西郷が再び理想の日本をつくるため、生還してくるというもの。
これらは、絵にも描かれ、判官びいきの庶民の願望を具現化し人気を博した。
あまりよく知られていはいない(私も知らなかった)が。(以下メモします)
 
↑ これらとは少し趣を異にするところがありますが、
 
月岡芳年(つきおか・よしとし) -『 隆盛龍城攻之図 』というのある。
これは、西南戦争のあったその年明治10年(1877)の作。
龍城は籠城(ろうじょう)ではない。
西郷はかつて、清水寺の勤王の僧・月照と合い抱いて鹿児島の錦江湾に身を投じ、意に反し
一人蘇生して、藩命で奄美大島の龍郷に身を潜めることとなった。
芳年『 隆盛龍城攻之図 』では、その月照が、海底で待っていて、西南戦争で新政府軍にやぶれた西郷とともに魚たちを味方につけ、龍宮城に攻め入り、西郷を龍王にしようという様子が描かれているという。
大波に押されるように、槍や刀をもった大勢の人たちにまざり、巨大な魚が2つ描かれている。
そのうちの一つは赤みをおび、やや複雑な模様のうろこのシマシマが特徴で、龍郷湾にもいそうな熱帯魚風に見えなくもない。
(絵は画像検索で見ることができます)
芳年の絵は「無惨絵」「陰惨絵」「血みどろ絵」などで知られるが、画業は幅ひろく、この絵は迫真的で庶民の願望が勢いよく、劇画的に描かれている。
満月の明かりが照り映える錦江湾に沈んだ月照が、島から戻った西郷を海底で待っているとは・・・。

ハンドヘルド 手振れ防止 撮影安定化機材 スタビライザー

2019年01月12日 | うんちく・小ネタ

ハンドヘルド 手振れ防止 撮影安定化機材 スタビライザー

組み立て段階で、気の短い人は
いらいらするかもしれない。
値段(3000円)が値段だけに、組み立て段階で半信半疑。
仕組みからしてcheesyだ。
しかし調整しながら、試してみるとまあ、
あのヌルヌルとした画面の動きが、いちおう実現した。
iphoneにも対応。といってもはさむだけだが。
 
 
奄美の海岸で砂浜を歩きながら試してみたい。海辺の撮影は、水平線がいつも
目の前につきつけられ、気になるものだ。
動きのはやい野鳥などの撮影にも手軽で便利かもしれない。
三脚より、スマートだ。
 
 
三脚は、使うのがおっくうでほとんど使わない。ビデオ撮影では、手動だと、動きがスムーズにいかず、それが画面にもろに出てしまう。
リモコン三脚なるものもあるらしいが、カメラの上下、左右の動きはスムーズだが、カメラと接続して、カメラのオンオフやズームもカメラに触れずに操作できないとぶれてしまう。
このビデオカメラは90倍ズームで、5軸のスタビライザー機能があるのだが、
メーカー純正の三脚には、調べたところ、カメラに接続できない、ようだ。

まあ、三脚が億劫でも、このスタビライザー(ヤジロベー方式)でも、カメラに接続できたら、長く使えそうなのだが。