空前の視聴率81.4%を記録(8000万人が見た)した第14回紅白歌合戦(1963年 昭和38年)。
時代は東京オリンピックを翌年に控え、戦後の復興から高度経済成長へと突き進むまぶしいばかりの時代。
実はこの紅白では驚くべきことに、奄美の歌が何と4曲も歌われたことは、あまり知られてはいない。
↑ 写真(奄美市名瀬赤崎公園 島育ちの碑)の、★島育ち(歌唱:田畑義男)
ほか、仲宗根美樹(★奄美恋しや)朝丘雪路(★永良部百合の花)
三沢あけみ(★島のブルース)
NHK紅白歌合戦ヒストリー https://www.nhk.or.jp/kouhaku/history/history_14.html
でお確かめください。
4曲も歌われたことは、2023年12月に奄美文化センター(川商ホール)で行われた新 BS日本の歌の収録でも言及された。
wiki 四股(しこ)とは、相撲における動作のひとつで、力士が土俵の上で片足を高く掲げ、強く地を踏む所作のことをいう。もとは醜足(しこあし)といった。
相撲の稽古における重要なもののひとつとされるほか、他方で地を踏み鎮めるという宗教的意味をもつ。
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古文辞書 - Weblio古語辞典古語辞 典学研全訳古語辞典
へん-ばい 【反陪・反閇】
名詞
陰陽(おんよう)道で、天皇や貴人の外出の際、邪気をはらうために行われたまじない。陰陽師が呪文(じゆもん)を唱えて地面を踏み鎮める。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E4%B8%89%E7%9B%86
スーパーで買った和三盆糖使用のカップぜんざいがおいしかったのでwikipediaで和三盆を調べた。
讃岐和三盆の項に「薩摩藩奄美大島出身の関良介(せきりょうすけ)」の記述発見💡。
讃岐和三盆
高松藩では、五代藩主松平頼恭公の命により、医師池田玄丈が砂糖造りの研究を始めた[1]。その後弟子の向山周慶(さきやましゅうけい)が後を継ぎ、砂糖キビの栽培および製糖法の研究を進めていた[1]。
あるとき、向山周慶は、お遍路の途中で病気に罹り、行き倒れになっている人を治療して助けた。この人は薩摩藩奄美大島出身の関良介(せきのりょうすけ)という人で、砂糖造りをしたことがある人だった。
そこで、向山周慶は砂糖造りを教えて欲しいと頼んだところ、関良介は命の恩人の頼みを聞き入れ、藩外へ持ち出し禁止のサトウキビを讃岐地方で育てた。
↑ 河津桜 赤崎公園 2023年2/17日の記事より
wikipedia 桜梅桃李(おうばいとうり)とは、桜、梅、桃、李(すもも)のこと。転じて、それぞれが独自の花を咲かせること。
起源・由来
『古今著聞集』の「草木」の項には「春は櫻梅桃李の花あり、秋は紅蘭紫菊の花あり、皆これ錦繍の色、酷烈の匂なり」とある。
====桜もウメもモモもスモモもバラ科。
紅蘭紫菊(こうらんしぎく)=紅い蘭と紫の菊
↑ ニワウメ
↑ モモ(桃、学名: Prunus persica)はバラ科スモモ属の落葉小高木
スモモ (李 ・酢桃、学名: Prunus salicina)はバラ科 サクラ属の落葉小高木
年をまたいだ「麒麟が来る」の信長は、どーなったのだろうか。しばらく見ていない。
珍しく人間味のある信長が描かれていたように思う。とくに印象的だったのは、一人隠れて奥の部屋で号泣する信長。
泣くといえば、信長と「夜泣き蘇鉄」の伝説。(詳しくは検索してください)
このソテツは、南国から運ばれてきた、とあるだけで、それ以上の情報は見つからなかった。
ほかにも
精子発見のソテツ(鹿児島)など、ソテツうんちくネタは、幅広い。
突っ込みどころはありそうですが「ソテツ地獄」は、救荒食として歴史、民俗ネタ。
あと一村の「不喰芋と蘇鐵(クワズイモとソテツ)」「蘇鉄残照図」など
被写体としても、ドラマチックです。
信時潔 交声曲「海道東征」(詞字幕有) , Nobutoki: Cantata "Kaido Tose" (1941)
いまもそうだそうですが、学校では神話など熱心に教える先生はほとんどいないそうだ。
我々の世代もそうだったと思う。
第26代継体天皇以降を実在とする説を採る先生の本(読書中)にあったのでメモがわりアップする。著者は肯定的だった。
wikipedia『海道東征』(かいどうとうせい)は、北原白秋詩、信時潔曲による交声曲(カンタータ)である。1940年に皇紀2600年を祝賀する皇紀2600年奉祝曲として作られた。白秋晩年の大作、信時の代表作である。
詩は擬古体で書かれており、日本神話を元にしたもので、天地開闢、国産み、天孫降臨、神武東征、大和政権の樹立までの物語を扱っている。海道東征といっても、決して太平洋をはるばる東に進軍し対岸を侵攻する内容ではなく、九州から畿内への海路を指したものである。(抜粋)
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) October 3, 2020
満ち潮」、風穏やか。
外洋(濃い青)からの波が、サンゴ礁の前線(薄い青緑)に砕けて
描かれる白波の長いラインが、いつもは見られるのですが、きょうはあろ、ありません。
おおきなビーチロック wikipedia(beach rock)は、炭酸カルシウムの膠結作用(岩石学辞典 - 膠結作用の用語解説 - 多孔質の破砕質の岩石の間隙を充填する作用で,石化作用の重要な過程として認識されていた[Playfair : 1802])
により、海浜堆積物が膠結されてできる、板状の石灰質の砂礫岩である。サンゴ礁のある砂浜にできることが多い)
は、満ち潮で波に隠れている。(↑ 波打ち際の上の黒い部分)↓
動画付き 新・新たちがみ百景その1
190807 新・新たちがみ百景その1 関連記事このブログ 新・あまみ立神 その48 新川河口付近に架かる名瀬港大橋(湾岸道路)下から(過去写真)2014年06月03日 | 田......
今年は7月に台風が一個も発生せず、直撃も接近もない今シーズン。
はやくも今日は立秋です。
動画のうんちく ↓
東野炎立所見而反見為者月西渡
ひむかしの のにかぎろひの たつみえて
かえりみすれば つきかたぶきぬ
柿本人麻呂 万葉集
賀茂真淵の訓
東に朝日がのぼり、西に月が傾く
動画では沈む夕陽と三ケ月ですが、
万葉集の「炎」かぎろひは解釈は分かれています。
「賀茂真淵」などを加えて検索してみて下さい。
新緑の 奄美市名瀬★大浜海浜公園
— 奄美海風荘 (@amami_kaihu_so) May 14, 2020
梅雨入り4日目 快晴
ツートンカラーの海 pic.twitter.com/QCtKHCxmeO
【ほしぞら情報】5月中旬の明け方、南の空には木星と土星が、少し離れて南東の空には火星が輝いています。14日に下弦となる月が12日から16日にかけてこれら3つの惑星に近づきます。 #国立天文台https://t.co/OpzGvJWwxl pic.twitter.com/uIkc3sQYqU
— 国立天文台 (@prcnaoj) May 11, 2020
14日は下弦の月ということで、ツイッターにも#下弦の月 がトレンドになっていた。
調べると、
新月から次の新月までに弦月(半月)は2回あり、
最初に半月となる月を上弦の月
次に半月となる月を下弦の月という。
完全理解には、まだ至っていない。なかなかむずかしい。
下弦の月は、真夜中に東の空に昇り、明け方頃に南中、そして昼頃に西の空から沈んでいく
という。
潮の満ち干は月の潮汐力によっておこる。
月と太陽の潮汐力がおたがいに助けあう新月や満月のころは、潮のみちひきが大きく大潮となり、
サンゴ礁の多い大浜の風景も写真映えがするようになる。
また、きょうのように、潮汐力が互いに弱めあう上弦や下弦の半月のころは、みちひきの小さい小潮になり、
エメラルドの海の撮影意欲も小さくなりがちである。
台風一過のあとや強風のあった翌日はよくツートンカラーになるが半月と、ツートンカラーの海は、あまり関係はないとおもう。
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漢字を読むのが苦手なのでこれは0.75か0.5倍くらいで読むと音楽もちょうどいい。(その時の気分にもよるが)
橘 曙覧(たちばな あけみ)
幕末の福井の歌人、国学者。身近な言葉で日常生活を詠んだ和歌で知られる。
今日では「独楽吟 どくらくぎん」とよばれる「たのしみは」で始まって「・・・とき」で終わる形式でよんだ和歌でとくに親しまれている。
たとえば
たのしみはそぞろ読みゆく書の中に我とひとしき人をみし時
人物像→ https://youtu.be/mz4eaUKJauE
独楽吟 https://ja.wikisource.org/wiki/独楽吟
越前国福井藩16代藩主松平 春嶽も橘 曙覧(たちばな あけみ)に学び、仕官をすすめたが曙覧は「花めきて しばし見ゆるも すゞなその 田廬(たぶせのいほ)に 咲けばなりけり」(城よりボロ屋が似合う)とやんわり辞退したという。
1994年、訪米した明仁天皇、皇后美智子(いづれも当時)歓迎式典の挨拶で、クリントン大統領が歓迎の挨拶の中で橘 曙覧の一首「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用したことで話題になったが、その名は当時も今もあまり知られていない。
たいした話ではないのですがね。
このあいだTV歌番組を見ていたら
「サーカスの唄」(1933)(昭和8年)3月発売
作詞:西条八十
作曲:古賀政男
歌唱:松平晃
が流れていました。TVでの歌唱者の名は思い出せません。
いろんな人が歌っていますが、歌詞の情景は今からみると
ちょっと特異です。
私が生まれる20年ほど前の歌です。
タイトルは地味な印象ですが、聞くと、よく耳になじんだ曲でが歌詞も味わいがあり
時代の空気も感じます。
小学校のころ旅回りのサーカス団の少女と一時席を隣にした記憶があります。
あ、たいした話ではないのは
歌詞の ♪旅の「つばくら」が気になったということです。
ら、とろ、の違いですね。紙の辞書で「つばくら」を調べると
「つばくら」(燕) 「雅」つばくらめ
「つばくろ」(燕)「関東以西の方言」つばめ
とありました。
寅さん語録にもあります。旅から帰った寅さんに、家族は冷たい態度。
それが気にさわった寅さん「夏になったら、鳴きながら、必ず帰ってくるあの燕(つばくろ)さえも、
何かを境にぱったり姿を見せなくなることもあるんだぜ」
という場面(第7作奮闘編)1971年 昭和46年4月28日に公開(私はもう高校を卒業していた年でしょうか)
まあ話がまとまりませんが、「つばくら」は、いつごろから「つばくろ」になったんでしょうか。
古賀メロディーと言えば大川栄策ですが、「つばくろ」ですね。https://youtu.be/NZRIbEw1gnM
裕次郎も「つばくろ」です。https://youtu.be/gtfCs7Qq3qc
今みつかりました「つばくら」https://youtu.be/XMyuFI7ss5k
写真と記事は直接関係はありません。このブログ 奄美龍宮伝説 夢をかなえる「カメ」さん
影武者が数人いて、実の西郷は、中国大陸、朝鮮半島、東南アジア、インドなどに渡ったとされ、
皇太子ニコライの来日に際し、西郷がニコライを護衛して戻ってくるなど、
西郷が再び理想の日本をつくるため、生還してくるというもの。
これらは、絵にも描かれ、判官びいきの庶民の願望を具現化し人気を博した。
一人蘇生して、藩命で奄美大島の龍郷に身を潜めることとなった。
ハンドヘルド 手振れ防止 撮影安定化機材 スタビライザー
いらいらするかもしれない。
仕組みからしてcheesyだ。
あのヌルヌルとした画面の動きが、いちおう実現した。
目の前につきつけられ、気になるものだ。
三脚より、スマートだ。
メーカー純正の三脚には、調べたところ、カメラに接続できない、ようだ。
まあ、三脚が億劫でも、このスタビライザー(ヤジロベー方式)でも、カメラに接続できたら、長く使えそうなのだが。