奄美 海風blog

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ドキュメンタリー映画『今すぐ購入』: 購買意欲はこうして操られる  Netflix

2024年11月29日 | 映画

今すぐ購入: 購買意欲はこうして操られる (クリップ 字幕付き) | 日本語の予告編 | Netflix

製作国:イギリス上映時間:84分
ジャンル:ドキュメンタリー

原題 Buy Now! The Shopping Conspiracy.
Netflix. 配信開始日, 2024年11月20日

Conspiracyとは陰謀、謀略、裏切りや悪事を陰で計画すること

”インターネット通販大手「アマゾンジャパン」が運営する通販サイトで、出品者に販売価格の引き下げなどを強要した疑いがあるとして、公正取引委員会は26日午前、独占禁止法違反(不公正な取引方法)容疑で同社を立ち入り検査した”読売新聞

のニュースがあった日にこの映画をみた。

販売側の何人かの元社員の証言で構成されている。

「購入させる仕掛け」など買う前の仕掛け
よりも

「修理しづらい商品デザイン」
「リサイクルマークの真実」

「廃棄と健康被害のループ」

など、売った(買った)あとの廃棄物の問題が深刻だが、両者は密接な関係があることは言うまでもない。

誇張もあるのだろうが、薄々気になっていたことではある。


映画『パトリオット』(The Patriot)2000年公開のアメリカ

2024年11月27日 | 映画

wikipedia『パトリオット』(The Patriot)は、2000年公開のアメリカ映画。アメリカ独立戦争を背景とするドラマを描く。監督はローランド・エメリッヒ、主演はメル・ギブソン。

ドンパチの戦闘シーンが多い映画なのにどこか牧歌的。(と言うのはたぶんふさわしくない)

風景もそうだが
この映画でなんどか行われる戦列歩兵( Line Infantry)の形態は日本の戦国時代末期の鉄砲足軽の戦列歩兵に似ている。
日本のほうが世界に先駆けていたのだ。

ベンジャミン・マーティンは、フレンチ=インディアン戦争(1754–1763年)の英雄で、
亡き妻の残した子供たちと共に平穏に暮らしていたが、イギリスの圧政から独立戦争が勃発すると、
愛する者を守るために再び銃を取る、というのもいかにもアメリカ的だ。

主演のメル・ギブソンの風貌も雰囲気も家族を守る父の物語としてピッタリだ。かっこいい。
シンプルで映画としてもおもしろい。

歴史映画ではなさそうだがアメリカの歴史の勉強にもなった。

七年戦争(1756–1763年)は、フレンチ=インディアン戦争を含む世界的な戦争です。

主役ベンジャミン・マーティが勇名をはせたフレンチ=インディアン戦争(1754–1763年)は北アメリカを舞台にしたイギリスとフランスの植民地戦争

アメリカ独立戦争(1775–1783年)への前兆ともなった。

独立戦争では、フランスがアメリカ側を支援し、スペインやオランダも参戦するなど、西洋諸国がアメリカの独立を支援した。この映画にもイギリス軍(赤服)  大陸軍(青い軍服) にフランス軍服もあったと思う。

日本においても、19世紀半ばにアメリカの黒船来航(1853年)が江戸幕府を揺るがし、明治維新(1868年)の引き金となりました。


映画『2001年宇宙の旅』スタンリー・キューブリック監督 1968年公開のSF映画

2024年11月25日 | 映画

『2001年宇宙の旅』スタンリー・キューブリック監督 1968年公開のSF映画。

人類の進化、人工知能、未知の宇宙生命体との遭遇をテーマに、壮大なスケールで描がく。
壮大過ぎて論理的理解は困難だ。

冒頭では、太古の地球で類人猿、ヒトザルが謎の黒いモノリス(石柱状の謎の物体)に触れることで進化を遂げる
(触れるだけとはすごい)。なんとこのシークエンスだけで30分はある。

次に、人類はその謎を解明するため宇宙船ディスカバリー号を木星へ送り出す。
船内では人工知能HAL 9000が暴走し、乗組員との対立が展開される。最後に主人公ボーマン船長がモノリス

を通じて新たな次元に導かれ、人類のさらなる進化を暗示する結末を迎える(ラストの白い部屋)。

見どころ

起承転結は無いに等しく(実はある)難解(意味写らん)だが、
「猿の惑星」(1968年の映画)よりも、音楽と映像が鮮烈に記憶に残ってい名作感ではこちらが上回る。

ビジュアルと音楽の融合
 
宇宙空間の映像美とクラシック音楽(「ツァラトゥストラはかく語りき」や「美しく青きドナウ」)の絶妙な組み合わせが、観る者に感動を与える。
無重力描写や船内のセットデザインも斬新で、色彩的にも鮮やかで強い印象。
今でも驚く当時の技術を超越した映像美だけでも見応えがある。

哲学的テーマ
 人類の起源や進化、未知の知的存在との接触といった深遠な問いに対する考察は、観たあとに解説記事で理解した。
観客に明確な答えを与えない構成が、何度も考察したくなる魅力を持って、
それが現在でも高い評価につながっているのだろう。

物語的にわずかに理解可能なのは、冷静で合理的な人工知能HAL 9000の暴走だ。

木星探査の宇宙船ディスカバリー号で唯一生き残ったボーマン船長が、
ハルと対話しながらHALの思考部を停止させるべく、ユニットを取り外していくシーンもみどころの一つで考えさせられる。

現在の生成AIでも議論になる、テクノロジーと人間の関係性を考えさせられる名場面です。
「人間の弱さ」と「機械の完璧さ」の対比が、緊張感を高めます。

革新的な映像表現と深いテーマ性により、『2001年宇宙の旅』は今なおSF映画の金字塔として評価されている。
2022年:「映画監督が選ぶベストテン」第1位

名瀬の映画館でみてから半世紀あまりが過ぎている。


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『生成AIで世界はこう変わる』 (SB新書 642) 新書 – 2024/1/7
2024年11月24日 | 本と雑誌


『生成AIで世界はこう変わる』 (SB新書 642) 新書 – 2024/1/7

2024年11月24日 | 本と雑誌

生成AIで世界はこう変わる (SB新書 642) 新書 – 2024/1/7
今井翔太 (著)
4.1 5つ星のうち4.1    518個の評価

名瀬の書店で見つけました。
いまアマゾンでも人気だそうだ。

アマプラで今「2001年宇宙の旅」を見ているのは偶然だ。

本書では「穴埋め問題」をひたすらAIに解かせることから始まるとして
簡単な問題から複雑な問題へいたる例文で紹介しているところが一番印象的だった。

AIは人間の直感みたいなものも理解する力があるのではないか、、、みたいな。

「2001年宇宙の旅」では猿がモノリス(monolith)を恐る恐る触るシーンが印象的だ。

AI による概要

モノリス(monolith)には、次のような意味があります。
一枚岩、石柱、記念碑などを指す言葉
ソフトウェア開発におけるシステムアーキテクチャの形態
マイクロメートルオーダーの網目状の骨格が繋がった一体型の多孔質体
地球外知的生命の道具である「魁種族」の道具
モノリスの語源は、ギリシャ語の「mono(単一の、一の)」と「lithos(石)」です。

あのモノリスを創った知性体は神だったのかAIだったのか。それとも悪魔だったのか。


動画 奄美 大浜 ウミウ 241123

2024年11月23日 | 野鳥

241123 奄美 大浜 ウミウ

きのうの撮影

少し気温が下がり、暫らく見なかった海鵜が居ました。一羽だけ。

カワウと区別は難しく海にいるからウミウという感じです。

鵜は漢字からして面白いのですが、調べるといろいろ蘊蓄ばなしが書けそうです。

野口雨情 波浮の港

1, 磯のの鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
明日の日和は ヤレホンニサ なぎるやら

5, 磯のの鳥ゃ 沖から磯へ
泣いて送らにゃ 出船もにぶる
明日も日和で ヤレホンニサ なぎるやら

名瀬の立神より小さめな岩の上で見かけます。やはり島と関係があるのでしょうか。


Wikipedia 

ウ科(鵜科、ウか、Phalacrocoracidae)は、カツオドリ目に分類される科。

名称
漢字の「鵜」(テイ)は元々中国ではペリカンを意味し、「う」は国訓である。ウを意味する本来の漢字は「鸕」(ロ)である。


海鵜は渡り鳥ですか?
ウミウ
ウミウは、一か所にとどまる留鳥のカワウと異なり、夏の繁殖地と、繁殖を終えるとかなり遠くの南方まで越冬のために移動する渡り鳥です(ただ後に紹介する日本海側と太平洋岸の東北以北の島で繁殖するウミウは渡りをしないといわれています)。


AI による概要
詳細
冬の時期によく見かけるV字に列をなして飛ぶ鳥の正体とは!?【島 ...
鵜飼いで使われるウミウは渡り鳥ですが、カワウは留鳥です。

 


かそけき光 奄美 大浜 アダン 241104

2024年11月21日 | うんちく・小ネタ

かそけき光 奄美 大浜 アダン 241104

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「田中一村 かそけき光の彼方』 荒井 曜 : 単行本
2024年11月01日 | 本と雑誌

AIに訊きました。

「かそけき光」という表現は、日本語で詩的かつ感覚的なニュアンスを持つ言葉です。「かそけき」とは、「微か(かすか)な」「か弱い」「ほのか」といった意味を持つ形容詞で、目立たず控えめな存在や、弱々しいけれど確かに存在しているものを表現します。

「光」は、物理的な光(光線、明るさ)だけでなく、象徴的に「希望」「気配」「未来の兆し」などを指す場合もあります。そのため、「かそけき光」とは、次のように解釈することができます:

  1. 物理的な光
    微かに見える淡い光、たとえば霧の中の光や、夜明け前の弱い光など。

  2. 象徴的な光
    希望や未来の兆しがわずかに見え始める状態、または不確かだけれど確実に存在している希望の気配。

  3. 感情や雰囲気
    儚さや不安定さを含んだ、静かな心情や雰囲気を表現する比喩。

例えば、小説や詩の中で「かそけき光」と描かれる場合、それは読者に対して繊細で奥深いイメージを喚起させる役割を果たすことが多いです。暗闇の中に微かに灯る光や、絶望の中で感じるかすかな希望を連想させます。


映画『猿の惑星: 創世記』 (2011) 『猿の惑星: 新世紀』 (2014) 『猿の惑星: 聖戦記』 (2017) PLANET OF THE APES/猿の惑星 (字幕版)

2024年11月14日 | 映画

『猿の惑星: 創世記』 (2011)
『猿の惑星: 新世紀』 (2014)
『猿の惑星: 聖戦記』 (2017)

PLANET OF THE APES/猿の惑星 (字幕版)

の順で視聴したのだと思う。

『猿の惑星/キングダム』 (2024)はまだレンタルだ(アマプラ)

猿の惑星 > 猿の惑星シリーズ
は、名瀬の映画館で見て感動しその後はしばらく映画と言えばsf(Science Fiction)ばかり見ていた。

『猿の惑星』 (1968)
『続・猿の惑星』 (1970)

↑上の二つまでは名瀬(当時映画館が3つもあったはず)でみたのだろうか。

トイレの黄色の玉の消臭剤の臭いとともに懐かしい。


『2001年宇宙の旅』(原題:2001: A Space Odyssey)は、1968年の叙事詩的SF映画

もそのにおいとととも鮮烈な印象が残っている。オープニングの音楽「ツァラトゥストラはかく語りき」。ブーーブン、・・・パーン パン ピッヒッヒィヤー ダンドン、ダンドンン。。。宇宙にいる気分だった。そのおかげかどうかはわからないが、フリードリヒ・ニーチェの本も読んだ。ニーチェの他の本も意外に難解ではなく、たくさん読んだのだった。


他に『男はつらいよ』にも新時代を感じたものだ。まったく新しい”お笑い”だった。寅さんは日本の古い映画に興味をもったきっかけでもあった。第2作は、東京で見たのだろうか・・。

山田洋次が全作の原作・脚本を担当。松竹によって1969年8月27日に第1作が公開され、1995年(平成7年)までに渥美が参加した48作が製作された。

ジュリアーノ・ジェンマ、フランコ・ネロ、クリント・イーストウッドなどのマカロニウエスタン。

「暗くなるまで待って」オードリーヘップバーン 盲目の美人と犯罪者3人組の密室の攻防。冷蔵庫の明かりが今も記憶に残る。スリラー・サスペンス。

ブリジット・バルドーなどもそのころだっただろうか。

幸か不幸か受験勉強にはほぼ無縁だったので、ほかにもいろいろな映画を見た。あのころは高校生のアルバイトもけっこうあった。建設現場が主だったが、伝記等で読む田中一村の日給よりもかなり高かったと記憶している。
この映画経験は今では貴重な時間だったと思うことにしている。

さて、本作だが。

CGの映像はリアルで技術は隔世の感があるのだが、荒唐無稽感も半端ないのはどうしてだろうか。
歳のせいだと言われそうなので、最後までちゃんと見たのだったが、まあ、それなりに楽しめた気がするが、当時の感動には及ばない。


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2024年06月04日 | 映画


「田中一村 かそけき光の彼方』 荒井 曜 : 単行本

2024年11月01日 | 本と雑誌

遅読のわたしだがはやくも三回目読了。

昭和33(1958)年12月12日午後一時過ぎ、著者は一村と同じ時刻ごろ鹿児島港から奄美大島名瀬港に向かった。

物語りでは、それからずっと著者は一村と共にいる。

乗り移ったのは、一村なのかそれとも著者なのか。綿密な取材と地元の人々の惜しみない協力がうかがえる。

島の人々の方言がじつにリアル。一村は相手に対し、様をつけ丁寧な敬語で話すその姿勢はついに変わらない。
時には(一度だけだったと思う)激しい気性を示すこともあるが。しかし著者は冷静に一村を捉え続ける。

難解な方言は、一村がそうであったように、読者にも次第に意味が分かるよう配慮されている。
実に巧みだ。そうして会話の中で奄美の歴史をも学べるのだった。

常人には理解しがたい一村の芸術にたいする信念も生真面目な生活習慣も次第に地元の人々を折り合いをつけていく。

圧巻は、「海辺のアダン」の本画に取り組む一村の姿。
一村の筆先に美大出の著者が乗り移ったのか、それともキーボードに一村が乗り移ったのか。
紡ぎ工場で働いたお金を貯め、南の島で何者の掣肘も受けない理想の環境を得た一村

P228一村は全精力を遣い果たし、筆を置き、二尺五寸巾絹丈五尺一寸の画面をぐるりと見回した。
絹本著色による本画は、この惑星の軌跡ともいいうる奄美の自然を凍りつかせたように完成していた。P228
この絵にはアダンと海辺だけが描かれているのではない。
鹿児島からの船で隣り合わせた老漁師からその後に聞いた、この浜に降りてくる島んちゅの霊魂(まぶり)

P226この絵の一つの主役は、アダンが嵐に負けないよう逞しく根塊をはる土坡でありP226
絹本の縁まで敷き詰められる砂礫の一粒一粒に命を吹き込むのだ。

己の余命、残りの貯金残高、画材調達の費用。制作に没入する前の現実的な算段にまで著者の筆はおよぶ。


大島紬にもいえる光をころして活かす。これまでの、一村の人生に対するイメージも、絵の見方も大きく更新された一冊。

亜熱帯の植物群に魅せられ紆余曲折のあと紬工場の染色工としての職を得た一村。
奄美との出会いは奇跡的だったのだ、と思える。