↑ 記事との関連はありませんが、本文が長いので波の音を聴きながらお読みいただければ・・。
============
2014年8月24日(日)奄美市名瀬長浜町 名瀬公民館、金久分館にて上映。
映画 公式サイト
全国ロードが始まる前、鎌田さんたちの映画が、
特に大勢の人に観てほしい作品の中のひとつとして
音楽家の坂本龍一さんのラジオ番組で推奨された。http://youtu.be/P3pPg6jOi_E ← ↑ 上の波の音と同時にお聴きになるにはshift キーを押してクリックして下さい)
そのなかの 「ちょっと、音楽があ、わかりやすいかなあって、僕は思いましたけど・・笑。つまり悲しいことは悲しく、あのう、怒りをあらわすところは、怒りぃ、みたいな、ちょっと・・スー・・、ちょっとシンプルかな」というくだり。
そのあとの映画全体の絶賛と推奨の言葉とどのようにつながっているのか?・・このあと考える。
文字起こしをしながら、一字一句、息継ぎ、間、アクセントにいたるまで・・・徹底解釈すれば何かが見えてくるだろうか、それとも牽強付会に終わるのか。(このギモンは上映前の居酒屋談義でも議題にあがり、結論はでなかった)
それでは解釈の始まりです。
当然ですがそれには、音楽とそれ以外の映像作品全体とに分けて考えなければならない。
わかりにくい説明になりそうだが、それはまたこの記事の最後に書こうと思う。
その前に、
鎌田さんは、石垣島での上映に旅たつ前、
奄美名瀬での上映会場の予約も済ませた後も少し不安であった。他の上映地と異なり、
名瀬での協力者はこれから手探りで探さなければならなかったからだ。
どうなるのだろうか。眠れない夜もあった。ほんとに上映へこぎつけることができるのだろうか。
それでも、ネットを通じ、まず、一人の協力者と電話で連絡がとれた。まだ見ぬその人はとても親切だった。
それからは、人から人へすこしづつ支援者がひろがり、
広報のため、奄美空港へ着くころには出迎えの人も来て下さっていた。
会場での予定外の音響機器の設定などにも初対面の人たちから快く協力をいただいた。
鎌田さんの都会的でやさしい人柄(キャマキャラ)はその後もシマンチュに溶け込み、居酒屋談義でも手ごたえを感じはじめていた。
アドバイスを受けながらTVラジオ出演、新聞取材に自らチラシ配りをつづける。
鎌田さんは、島の人たちの協力がこころにしみた。
ありがたく、そして上映日が近づくにつれ緊張感も増していった。リラックスしても上映までは不安はつづくのであった。
上映当日。
居酒屋で偶然となり合わせ音楽の話で盛り上がったIターンの青年。
鎌田さんの人柄に「大きな愛を感じた」という女性。夫婦連れ、
福島支援の活動をしている人た、福島の人たち、外国の人、
こころよくチラシを貼ってくれたお店で「あげえ、観に行くからね」と約束した人たちが、実際に知り合いを誘い会場に来てくれた。
会場はすこしづつ席がうまっていく。
鎌田さんの人柄に魅かれ一週間の広報活動を支援して下さった人たちだ。
都合でこれなかった人の中には会場に差し入れが届いた。来場者があいつぎ上映時間20分ほど遅れた。
・・・時間です。
上映前の鎌田さんのあいさつにもその人柄がにじみ出ていた。
映画のスイッチが入ると、そしてそれは、スクリーンの中の福島・相馬の鎌田さんへと重なり、受け継がれていく。まったく変わらない鎌田さんがいた。
学生時代の友人の父親(73?歳)の自宅の大きな鳩小屋の掃除(除染)手伝い。
そのあとのリラックスした風呂上りのビールを飲みながらの語らい。
今回の作品は、このお父さんにフォーカスし、その東北弁の朴訥としたしゃべり方も味となっている。
物語りは、これといったいった気を引くような進展や、刺激的な展開もあるわけではない。
「キャマキャラ」頼みで楽屋落ち、で終わらなければいいが・・・というシンパイは杞憂だった。それは上映会場の様子でもわかった。
お父さんの味と鎌田さんとの何気ないやりとり、さりげない日常の映像の中から、ことばではあらわせない震災後の現実がうかびあがる。
「これはとてもおもしろくできていて」 「是非観ていただきたいドキュメンタリー映画だなあ」と思うのであった。
ガレキのない震災映画というキャッチフレーズは映像の話だと思うのだが、
徹底してトキュメンタリーにこだわったという作品は、製作者のあらゆる「主張」は押さえられ、
出演の鎌田もウソに汚れてしまうような「主張」はしない。
それは風評被害やプライバシーに配慮してマスメディアがおこなう抑制ではない。
おれは歳だから、という父・紀男の単刀直入な語り口は、決して過激ではないのだがTVなどでは見られない「ドキュメンタリー」だ。リラックス感がとてもよい。
出番が比較的少ない息子・敏之の現実的な「考え」も友人・鎌田の想像を超えていて、「ドキュメンタリー」というほかない。
結果、3人の微妙な考え方の違い、現実の複雑さをも浮かび上がらせることに成功している。
いや、というより、ほとんどの展開のないストリーの中で観客は、きびしい福島の現実だけでなく自分の暮らしや生き方にも思いを致すようにいつのまにかさそわれてしまう。
これは、「とてもおもしろくできている」と思うところだ。
80分あまりのどドキュメンタリーから、何を感じ、どう考えるか、それは観る人にまかされている。
それにメリハリの効いた音楽が、観る人の想像力を増幅する。
「あのう、と、っまあ、福島ぁ~だから何でもというわけではなくて、これはとてもおもしろくできていて、え~」
↑これは、この記事冒頭の坂本さんの
「ちょっと、音楽があ、わかりやすいかなあって、僕は思いましたけど・・笑。つまり悲しいとは悲しく、あのう、怒りをあらわすところは、怒りぃ、みたいな、ちょっと・・スー・・、ちょっとシンプルかな」
のコメントの前のコメントです。
そのあと、
「まあ、あの全体として、あの、この、是非観ていただきたいドキュメンタリー映画だなあと思いました。」
===
わたしの記事冒頭の結論としては、
音楽とそれ以外の部分は対照的であるとも言えるが、「全体として」、つまり、その相乗効果によってドキュメンタリーは、とてもおもしろい出来上がりであって、それは単なるフクシマを超えている。(音楽がシンプルである理由もあったのだなあ、と思える)
それは、鎌田さんと父・紀男、息子・敏之の3人の登場人物(ほか、生き物たち)の人柄のふれ合いを作為することなく撮りつづけたこのドキュメンタリー映画の製作ポリシーとも重なる。
そして鎌田さんは、全国での手作り上映会を通じて地元の人たちとの出会い、ふれ合いを大切にしたい、と考えている。続編もあるのかも知れない。
上映後の会場でのトークショー、そのあとの居酒屋での懇親会とづづき、支援者、来場者との交流の輪がひろがった。
ふうー、少し書きつかれた。
======以下は、坂本さんリコメンド前半部分の書き起こしです。(全てではありません。http://youtu.be/P3pPg6jOi_E
「はい、次です。え~鎌田浩宮さんのお、福島・相馬に行くっ、という、これは映像作品ですね、映画です。鎌田さん作曲の音楽が流れる。
「で、え~っと、これは是非番組が終わったら、あの、「RADIO SAKAMOTO」のウェブサイトに、えー、前編、のっけてほしいですよね、で、みんなに観てほしいですけど。鎌田さんの、「映画 福島県相馬市の友人家族との交流を描いたドキュメンタリー映画を完成させました。えー、企画、共同監督、音楽、出演を担当しています、ということです。」