この記事は、このブログ 9/16日『西郷どん』第35回「戦の鬼」 平均視聴率は前回より0.2ポイント下がって11.7% カステラに注目した。 のコメントの記事です。
龍馬が半分だけ食べ、残していった半分のカステラを
その後、西郷はどうしたのだろうか?W
これからのこの国の形について西郷とじっくり語り明かすつもりだったと言った
龍馬の気持ちを、かみしめながら、西郷は甘いカステイラの半分を食べたのだろうか。
それとも捨ててしまったのだろうか。
西郷がやりのこした革命の半分が龍馬の歯型のついたカステイラだったのかww、などと
空想してしまいます。
「土佐が挙兵に加わらんでも薩摩だけになっても、俺い一人になっても(徳川慶喜を)討って見せる」といった西郷ですが、薩摩育ちの西郷は、西南戦争が起こるまで、堅苦しい武士の世界にこだわりつづけました。(「俺い一人になっても」は、武士や藩を超越した感もありますが)
その点は、あれほど互いに嫌いあっていた久光と同じですね。
そして西郷は廃藩置県後も奄美の砂糖からあがる利益を県で独占しようと考えていたふしがあります。(これはいまでも奄美大島での西郷感が複雑である要因のひとつではないでしょうか)
龍馬の差し出したカステラを鉄砲と間違い、「食べや」という申し出に西郷は応じず、
しかたなく龍馬は半分を食っちまったのだが、それは半分だけだった。
関ヶ原の負け組の長宗我部氏遺臣と静岡遠江から入ってきた山内一豊の一行
との間で複雑で屈辱的な上士、下士の関係のあった土佐藩にあって郷士株(下士)を持つ裕福な商家に生まれ、自由な雰囲気で育ち、のち脱藩した龍馬とは「乗る船が違う」ということだろう。
西郷家は貧しいとはいえ薩摩藩の身分制度では上から上士層、城下士、外城士(郷士)、郷士格のうち城下士であり、ま、下級(中の下でしょうか)ではあるが、龍馬よりは身分が上だ、ともいえるのである。
カステラで思い出したのですが、
原作の『西郷どん』には、巻末にに参考文献があげられていますが、
その中で、
『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子』 単行本(ソフトカバー) – 2010/4/16
今村 規子 (著)
があって、名瀬の書店の西郷どんコーナーにも置いてありました。
検索してみてください。著者の経歴も興味深いです。
amazon 内容紹介
奄美史のバイブル『南島雑話』で知られる薩摩藩士・名越左源太。左源太が奄美遠島中に記した食に関する記述は、主食の芋、蘇鉄、椎の実、海草や魚介類などの海の幸、豚や鳥などの肉食、家ごとに作られていた調味料や嗜好品まで多岐にわたる。奄美史のバイブル『南島雑話』で知られる薩摩藩士・名越左源太。左源太が奄美遠島中に記した食に関する記述は、主食の芋、蘇鉄、椎の実、海草や魚介類などの海の幸、豚や鳥などの肉食、家ごとに作られていた調味料や嗜好品まで多岐にわたる。 本書はこれを詳細に分析し、江戸期の奄美の豊かな暮らしを、ここに甦らせる。 本書はこれを詳細に分析し、江戸期の奄美の豊かな暮らしを、ここに甦らせる。
80825 杏ちゃんの一冊『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子 - 今村 規子』視聴回数 1,002 回
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『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子』 [単行本(ソフトカバー)
『名越左源太の見た 幕末奄美の食と菓子』 単行本 今村 規子 (著) ほか2冊
鎌田さん、コメントありがとうございます。
下からじゃあ、ないんどー。
おじさんの、キャームラcameraにはねえ、
あれ、なんち言うのかな、可動式の、こお、
カパッち開いて、今写っているのが見える画面がついているわけよ。
それを、こお、ぐぐっち、ねじってね一回転してからに、両腕をたらしてキャームラをもつわけよ。
手で持ったキャームラの画面を見おろしながら
そしてからに、歩きながら、まわったりしながら、撮るわけよ。
だから、おじさんは「下から見上げてる」わけでは、ないんどー。
わかるかい?はははは。
下を見て、なおかつ上を見あげてる写真を撮っているわけよー、おじさんは。ふふふふふ。
perspective の大転換だね、つまり、視点のGreatなswitchがあるわけだね、そこにはね。コペルニクス的っちも言えるワケよー。ヒカゲヘゴの葉は、いごいているワケでも回転しているわけでもないんだね。
ときどき、てめーのつらあー、写っちまうけどねえ。
あげー、だねえ。
コペルニクス的転回 google