奄美 海風blog

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続 奄美大島西まわりドライブ。大和村今里。

2004年09月30日 | ドライブ
040928-imazatoここからここここここも過ぎると、大和村 名音(なおん)。名音からは、まもなく完成する志戸勘トンネルの上の県道の峠越えです。この峠越えのコースは、海、山の景色、道路とも迫力満点だった。

峠を下り、古い短いトンネルを過ぎると、そこが大和村今里。ここは、大熊同様、カツオ漁業で栄えたところだが、かつて1500人を数えた人口も今は過疎化で、200人ほどだという。(大和村にある11の集落全体では2,100人ほど)大和村役場のホ-ムページ

この日は豊年祭の準備か、集落と海岸を隔てて走る県道に、青年団の豊年相撲のぼりが見えた。その向かいが公民館。公民館の前の土俵からは、東シナ海の海が見える。

奄美各地の集落には、公園にブランコがあるよりも当たり前に、公民館の前庭にはこうした屋根つきの土俵がある。会場(クァイバ)はスタジアムでもあるのだ。

赤土で固められた Sumo ring には、子供の頃の思い出が詰まっている。カッタ、メダマ、クギウチ。
お砂場はいらない。「人生に必要な知恵は全てここで学べた」のだった。道路をわたれば、長い海岸。

海の見える土俵は、上がるだけでも勇壮な気分になるのだそうだ。

団塊の世代の人たちも、そろそろ敬老会に入り、この公民館の観客席(写真の白いカーテンの後ろ)に招かれて、子や孫や、そして曾孫たちの相撲を観戦するのだろう。

家の集まりの席などでは、男たちのノミカタの、料理作りや後片付けに忙しかった女性たちも、おばあちゃんになると、正装して相撲見にこの席に「行きマイ」になる。

今里は、集落から500メートルほどに迫ったところにたたづむ「立神」(たちがみ)が印象的だ。名瀬のそれと比べ、どっしりして、どこか南国の女性的な印象で、存在感がある。

他の奄美の集落にも、集落近くの沖合いに、こうした岩山が立っているところが多くあり、そこはニライ・カナイと呼ばれる豊穣の国から海を渡ってくる神様が立つところともいわれている。

シマを遠く離れて暮らす人たちにとって、毎日眺めて慣れ親しんだこの風景は目に焼きついて離れないことだろう。
シマ唄が聞こえてきそうな風景だ。

岩山の裏側にまわって見たくなった。
実際に小舟か泳いで、近くで見上げると、朝日に照らされた岩肌はとても神々しいだろうなぁと、双眼鏡を覗いてそう思った。
ドライブには双眼鏡があればなお良いです。

このあと県道は海岸沿いを離れ再び山道を登る。名瀬に引き返さず、このまま古仁屋(こにや)まで行くつもりなら、名瀬で弁当を買ってきておいた方がよいでしょう。


16号一過の海。5/29の同じ海。

2004年09月29日 | 台風情報
040929-namiさんご礁が波に洗われる。波砕ける。今日のお昼頃、名瀬市知名瀬の海。大浜海浜公園から海に向かって少し左側の海です。

このときの台風21号の実況

2004年09月29日 11時
気象庁
宮崎市の北西 約30km
進行方向、速さ 北東 30km/h( 17kt)
中心気圧 975hPa
中心付近の最大風速 30m/s( 60kt)
25m/s以上の暴風半径 全域 90km ( 50NM)
15m/s以上の強風半径 全域 260km (140NM)

5月29日の同じ海。


台風21号

2004年09月28日 | 台風情報
迷いながら、沖縄の南海上をゆっくり西へ進んでいた台風21号。誰かに気にさわる事でもを言われて、それを聞きとがめたかのように、いきなり V ターンを始め、列島をにらみすえている。今度は迷わず、東京に行くつもりのように、気象庁の進路予想図では見える。それとも、気象庁の予報を思い出したのか。

奄美は強風域に入ったが、雨はなく、時折、日も射す。鹿児島からの定期船も今朝、名瀬港に入った。荷受する牛乳屋さんの姿があった。条件付運行なので「ターツとも古仁屋に行った」そうだ。台風で名瀬港に避難する船は見かけない。

名瀬港に出入する船の運航状況を、一括して問い合わせに答えてくれる窓口はどこにあるのか、誰に聞いても「ワカラン」。

28日(火)9時
強さ 強い 沖永良部島の西北西 約210km
進行方向、速さ 北東 20km/h( 10kt)
中心気圧 960hPa
中心付近の最大風速 35m/s( 70kt)



21号来なかった。ニューあかつき。時刻表が変わる。

2004年09月26日 | 台風情報
040926-akatuki午前9時30分、名瀬新港。波之上丸の姿はなく、「ニューあかつき」が停泊していた。船体表示とは違い、時刻表などには「フェリーあかつき」とある。2003年1月に、それまでの阪神・沖縄航路から替わって鹿児島・奄美・沖縄航路に就航した。これは上り便なのでこの時間にいるのは台風の影響か。

港近くの金久中学校では運動会が予定通り行われていた。

台風21号は今日は来なかったが影響はあった。「ニューあかつき」の前方は今年4月に供用開始した、大型船専用バース(写真下右)。普段停泊していた警備艇の姿もなく、そこにはただ風が吹いているだけだったが、「立神」の上には青空ものぞいていた。

波消しブロックなどの穴に潜んでいるタコを、釣り竿の先に糸でたらした「ガギ」で引っ掛けて獲る名人のおじさんも最近歩いていない。

波之上丸の荷物の伝票をなくしてしまって記事が書けません。荷物は受け取りました。

10月2日から大島運輸の鹿児島航路、阪神航路の時刻表が変わるそうです.。上り便のみです。(フェリーあかつき、フェリーなみのうえ)那覇発が一時間早くなり、7時。名瀬入港が20分早くなり20時30分、出港は変わらず21時20分です。鹿児島着も変わらず、翌朝8時30分です。
与論、和泊、亀徳では入出港ともそれぞれ30分早くなります。大島運輸・奄美海運のホームページ

クインコーラルとクインコーラル8の時刻表はこちらでご覧下さい。マリックスライン株式会社のホームページ船によって運行時刻が違います。

フェリーあかつき、フェリーなみのうえ(大島運輸)
クインコーラルとクインコーラル8(マリックスライン)
これら二社、4隻の船で鹿児島・沖縄航路は運航されます。
奄美の主な生活航路です。各島々に上下便とも毎日一便です。

他に、鹿児島-喜界-知名航路(鹿児島-喜界-名瀬-古仁屋-平土野-知名)は奄美海運が運行します。裏航路ともよばれますが「喜界経由」または{喜界まわり」と名瀬ではいいます。

大島運輸はフェリーありあけ で東京-沖縄航路( 東京-志布志-<名瀬>-<与論>-那覇 )と
琉球エキスプレス で阪神-沖縄航路 (神戸-大阪-宮崎-名瀬-<亀徳>-<和泊>-<与論>-那覇)も運行しています。大島運輸と奄美海運のこれらのフェリーの船体にはA"LINEの文字があります。マリックスラインの船はMARIX LINE とあります。

十島村の村営船フェリーとしまは月曜日に名瀬に来ます。(鹿児島 ~ 十島 ~ 名瀬航路)

その他、たくさんの貨物専用の定期船もあります。













クロトン。デジカメメモリ一杯になったら。台風21。「波之上丸」は夕方鹿児島を出港。

2004年09月25日 | インポート
040925-kuroton-1これはクロトンです。いといろな葉の形と色が楽しめます。家々の庭にはよく植えてありますが、山では見かけません。
Google検索=クロトン
こういう写真まで撮っていると、旅行中すぐにデジカメのメモリが一杯になってしまいます。そんな時はここで他のメディアに取り込んで下さい。CD-Rのディスクはお店にもありますが、他のデジカメ、パソコン関連の消耗品は名瀬市内のコンビニ、家電量販店でお買い求め下さい。国道58号線沿いに、ベスト電器、ケーズ電器があります。空港から旧名瀬市街地に入る手前です。


040925-kuroton-2これはクロトンの実と花でしょうか。後ろでクラクション。ああわてて押した。写っていた。
19時現在、気配はないが、非常に強い台風21号が那覇市の南東 約310km(18時発表)にあるそうです。気象庁台風情報

鹿児島からの定期船の波之上丸は、台風にかかわらず明日早朝、名瀬に着く予定だそうです。
22時を過ぎ、長浜町、小雨に台風のそよ風。台風勢力少し弱める。強さ 強い 中心気圧 950hPa 那覇市の南東 約220km 進行方向、速さ 北西 20km/h 名前メアリー。予報円複雑、拡大しても奄美見えない。強風域それるか微妙。









(昨日の)飛鳥

2004年09月24日 | 海の風景
040924-asuka”ほかの船に体当たりで船尾を押してもらう”、が正解でした。前々回の飛鳥名瀬寄港の時、細長い名瀬港湾、「どんなにして回ったんかい?」とおじさんに聞かれた。おじさんは、「パチンコせん壁に」毎朝釣りをしに防波堤に”出勤”しているのだちいうことだった。あのおじさんはもうパソコン始めたのだろうか。


現れて消えていった横当島。「あげ」

2004年09月23日 | 自然観察
040923-yokoatejima今日、ひょっこりひょうたん島のような形をした横当島がくっきり見えました。横当島は不思議な島です。同じ晴れの日でも見える日と見えない日があります。今日も
一時間ほどした帰り道からは見えなくなっていました。ニライカナイに消えてしまったのでしょうか。

そんな時も「あげ?」と言います。あげは奄美名瀬の便利な方言です。驚き、喜び、怒り、悲しみ、などのあらゆる感情を表現できてしまいます。標準語の「あら」みたいなものでしょうか。
「あ」はあいうえお、「げ」はがぎぐげご、かきくけこなどと変化し。のばしたり強弱をつけたり、続けたり繰り返したりすれば、幅広い表現が可能です。のどの奥で発生されます。五十音での正確な表記は難しいです。観光客のかたが使うとウケます。思わず言うのがコツです。外国のかたが使うと皆アッケにとられます。

客船「飛鳥」は今日午前8時少し前、名瀬に着きました。


名瀬から遠回りして古仁屋へ。

2004年09月21日 | ドライブ
040921-suiheisen奄美大島を西回りで名瀬から南部の瀬戸内町古仁屋(こにや)へ向かう道。制限速度、時速50キロ。そんなに急ぐのはもったいないような景色が続きます。50キロ出したくても出せない、急な曲がりくねった坂道もあります。どちらも景色は壮観。奄美大島北部の景色とはまた一味も二味も違います。

地図をもって、出来るだけ長い道のりを選んで行きます。たっぷり時間をかけて。「古事記の世界の風景」がお楽しにいただけます。「古事記の世界」行ったことないけど、行ってみれば「言われてみれば、なるほど・・・」と思うそうです。

海に落ちる夕日を眺めたい人は、夕方にかけて古仁屋から名瀬に向かうのがよいでしょう。



奈良県 飛鳥の彼岸花。

2004年09月20日 | お客さん
040920-higanbana三年前初めて、奈良県から奄美を訪れたお客さんからメールで写真をいただきました。奈良県飛鳥の彼岸花です。きれいですね、さわやかで涼しそうです。遠い奄美から見ると、奈良県のにおいがします。歴史の教科書のにおいがします?。
宝石のような奄美の海と空の色。つらいことがあったりした時に思い出して下さい。(思い出せない時がつらい時ってこともいえそうですが)

珍しい白と桃色の彼岸花(別名 曼珠沙華、地方によっていろいろ))。インターネットで調べるといろいろなことがわかり、楽しかったです。

そういえば今週の木曜日(9月23日)には客船「飛鳥」が名瀬港にやって来るそうです。前回は4月22日でした。



林道脇の鳥

2004年09月18日 | 生き物観察
040918-toriきのうはなぜか、よく鳥を見かける日でした。名瀬市の林道で。車をおりると逃げてしまいそうなので望遠で。他にも3種類のめずらしい(かもしれない)鳥を見かけましたが、写真もとれず、名前も断定できません。

一年中を奄美で生息し、繁殖してきた鳥たちは、私たち人間が住みつくはるか以前からこの島々に生き続けているのだそうです。


喜界島と野鳥の観察、笠利町、大瀬海岸

2004年09月15日 | 観光ポイント
040915-osekaigan-1040915-osekaigan-29月13日、笠利町(かさりちょう)大瀬海岸。きれいな海の上には巨大な長い雲のかたまりが浮いていましたが、よく晴れて木陰には気持ちのいい風が吹いていました。
名瀬からの国道58号線を赤尾木で右折して北端の笠利崎までの太平洋側を走る県道は美しい海岸が連続する、晴れの日のお勧めのドライブコース。このコースの中間点あたりに奄美空港があり、その少し北に大瀬海岸はあります。奄美の海岸のなかでもとりわけ美しいといわれる土盛海岸はすぐ隣。野鳥の観察ポイントとして人気がある。夏鳥、冬鳥、旅鳥、迷鳥、留鳥。奄美は野鳥たちにとっても楽園です。
海岸線沿いにはサイクリングロードもあり、サトウキビ畑から海を眺めながらのんびり南国気分が味わえる。名瀬から自転車で往復も可能な距離だ(経験した人の話によると、片道3~4時間くらい、片道は親切な人の車か空いているバス)。晴れた日には、正面に喜界島がくっきりと見える。(写真左)望遠で見ると泳いで行けそうだが、30kmはありそうだ。






奄美大島 豊年相撲大会 名瀬大熊

2004年09月13日 | 歴史 民俗

040913-daikumakominkanきのう、名瀬市大熊(だいくま)で開かれた豊年相撲大会を見に行きました。公民館前の広場にはこのような土俵があり、奄美各地の集落でみることができます。
きのうは奄美の各地で豊年相撲大会が行われていました。

040913-keiro招かれた、集落のお年寄りたちの前、熱戦が繰り広げられます。お年寄りたちは皆、正装です。行事さんの服装にも伝統が感じられます。このときはお昼ごろ。中学生の取り組みでした。本格的なまわしをしています。場内には放送席も設けられ、大勢の観客が熱心に見まもります。

040913-nessenテントの下のゴザにあぐらをかいて熱心に取り組みを見つめる地元の相撲好きのおじさん。肩に力が入ります。肩に入った力が肘からあぐらの膝に伝わり体が東へ西へ傾きます。時には腕を組んだまま、首だけが正面に傾きます。(よっし、うん)

取り組みが終わるたびにおじさんは「あっげー」と言って、肩のタオルで汗をぬぐい、時々焼酎を飲み、また背筋を伸ばして次の取り組みを待ちます。後ろの観客の人たちにする取り組みの短い「解説」も的確です。「ほんとに楽しそうですねー。」大一番では「あげー」は取り組みの最中連発されます。それは、大勢の観客のどよめきをリードしているかのようです。

最近は、こうした奄美の伝統行事や、文化にも関心をよせる観光客の人たちも増えました。


台風耐えた田中一村終焉の家。続、<a href="http://kaihu.blog.ocn.ne.

2004年09月12日 | 田中一村
040912-isson-1今日は午前中ビックⅡへ行く予定があったので、今朝早朝、栃木県から名瀬港に着いたばかりのお客さんをビックⅡ近くの金井工芸まで送って行くことになった。

栃木県といえば田中一村。「そこ曲がると一村終焉の家があるけど行ってみる?」「ええ是非、実は東京の巡回展で一村の絵を観てそれで奄美に行ってみようと思ったんです。」

一村の家のとなりの倉庫らしき小屋は台風で?倒れていた。まさかと思ったが一村の家は大丈夫。でも、外壁の一枚がはがれていた。

庭には一村が描いた植物たちが植えられ、メジロが手の届きそうなところで鳴いている。何枚か写真を撮り、以前の写真と合成してみました。、メジロは?


040912-isson-2次は一村が描いた奄美の植物32点のうち19点が見られるという本茶(ほんちゃ)峠までの旧道通ることにした。一村が毎朝散歩したという道だ。現在はトンネルとバイパスが出来、あまり通る車はない。

本茶(ほんちゃ)峠を下り、ビックⅡで染めの生地とお弁当を買って龍郷町戸口(たつごうちょうとぐち)の金井工芸へ。お客さんはそこで、一日中染物をしてきたという。「とっても楽しかった」そうです。

奄美大島で染物ができる所は他にもあります。

大熊で相撲を見たは明日に続く。