五代友厚と北海道開拓使事件:明治十四年の大隈追放と五代攻撃の謎に迫る 単行本 – 2022/7/11
末岡照啓 (著)
amazon 大阪発展の恩人、五代友厚の汚名を晴らす。明治十四年に官有物の払下げを出願したとされる五代は、不当に安く払下げを受けたものと激しく批判され、後世「政商」呼ばわりをされるに至った。果たしてそれは事実なのか?
本書では、当時の新聞記事だけでなく、一次史料によって五代の汚点とされる開拓使官有物払下げ事件が、どのような経緯で推移したのかを、洗い直すとともに、大隈重信が追放された明治十四年の政変の謎にも迫る。
明治5年1872年に、日本に鉄道が開業して今年で150年。
先日たまたま、鉄道建設をめぐって西郷隆盛と大隈重信の対立をあつかったTVを見た。
番組には五代は登場しなかった思うが、
時がうつって本書では、明治十四年の大隈追放と五代攻撃の謎に迫る。
謎の多い14年政変と払下げ事件。事実関係も複雑で、理解にはかなりの背景知識が要求される。
当時の新聞の誤報で、政商とよばれイメージが(いまだに)よくない五代の「潔白」を丹念に解き明かす。
読んでいるうち、なんだか昨今のワイドショーの問題も浮き彫りになってきた。
西郷隆盛や大久保利通とともに「薩摩の三才」ともいわれる五代は大阪に5体も銅像があるそうだが鹿児島では
西郷と大久保の陰に隠れがち。五代と西郷、大久保の違いを知ることは、ついには奄美を知ることになりそうで五代の本は何冊か読んだ。本書はその中でも最新でしかも緻密な学術書。かなり飛ばしたが、なんとか読了にこぎつけた。五代はなぜ沈黙したのか、少しわかったような気がする。当時マスコミと言えば新聞だが、新聞の本質は今も変わらない。
五代友厚 ; 天保6年12月26日(1836年2月12日) · 明治18年(1885年)9月25日(満49歳没)
西郷隆盛;1828年1月23日(文政10年12月7日)- 1877年( ... 死没, (1877-09-24) 1877年9月24日(49歳没)
ともに49歳没
鹿児島でも西郷隆盛、大久保利通と比べあまりにも知られていない。その残した業績を知ると、不思議なほどである。
西郷は五代をどう思っていたのか、このブログの記事から探した。
1、武勲派ぞろいの薩摩藩にあって、薩英戦争で捕虜になったこと
2、官尊民卑の風の強い鹿児島(奄美はもっと強いか?)で、維新後、官を辞し民へ転じたこと
3、北海道開拓使官有物払い下げ事件もゼニカネの話を嫌う人たちには、いやがられたのだろう。
これは何も鹿児島だけでなく、これまで名前が知られなかったのは、全国的にそうであったのだろう。
しかし、五代は、西郷や大久保よりはやく、西洋文明に接し、海外渡航も多い。西洋のすごさを、軍艦や鉄砲だけでなく、その商売(貿易)に目をつけた。
同じ島津斉彬に抜擢され中央政界へ躍り出た西郷にしても、外国語ができ、いち早く日本の近代化のビジョンを持っていた五代は肌が合わず、維新の前も後も、扱いにくかったのだろう。
五代を知ると、これまでの奄美の歴史の見方も、いくらかは変わったような気がする。===
wiki 五代才助の上申書
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『五代友厚 商都大阪を築き上げた「英雄」の生涯』 – 2016/1/28
2016年08月01日 | 本と雑誌
「西の五代、東の渋沢」ともいわれ、大河主人公の渋沢栄一と「明治財界の指導者」として相並んで位置する五代友厚。
しかし、教科書でもいまだに、あの「北海道開拓使官有物払下げ事件」では、イメージの悪い「政商」のままだ。
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『西郷隆盛』 第七巻 単行本 – 2008/2/7 海音寺 潮五郎 (著) 五代友厚 寺島宗則 新納 中三 ほか
2015年09月10日 | 本と雑誌
五代友厚はP77「日本の資本主義の上でなかなかの功績のあった人である。
着眼まことに非凡であり、この時代にしては稀有の人物であったことは疑いないが、
西郷はあまり好まなかったようである。
利欲のことにこころを馳せる人物を、西郷は性癖的に好まない。
・・・・・政治家としての西郷の重大な欠点であるが」P77
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新・五代友厚伝 近代日本の道筋を開いた富国の使徒 (日本語) 単行本 – 2020/8/29
2021年02月10日 | 本と雑誌
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五代と西郷、やはり基本の「富国」と「強兵」に行きつくのか。時がうつり時代が変わって、これは今現在の奄美の状況を考える上でも〇×ではない、有効なワードだろう。