奄美 海風blog

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秋名の早咲き緋寒桜 最近はどうも不順

2020年12月28日 | 桜の観察

最近は、というより、ここ10年ぐらい、桜の咲き方もちょっと不順な感じ。

世相を反映しているのでしょうか?


『西郷内閣』 明治新政府を築いた男たちの七〇〇日  – 2017/10/11

2020年12月28日 | 本と雑誌

『西郷内閣』 明治新政府を築いた男たちの七〇〇日 (双葉文庫)  – 2017/10/11
早瀬 利之 (著)

各レビューでも指摘されていますが、読みづらかった。

明治年6年5月26日、大久保利通が、アメリカから帰国するあたりから、やっと小説らしくなるのだったが、
このあとの大久保の国内旅行(9月26日東京に戻る)などの部分は、ほかの史伝などでも、なじみがあった。

小説は、そのあと、明治六年の政変、征韓論(遣韓、本書では朝鮮派遣問題)、がおこり、8月17日の閣議で西郷の遣使は決定され、それを「生涯の愉快だ」と喜ぶ。

が。9月13日、岩倉具視が帰国し、10月24日、岩倉による派遣延期の意見が通り、西郷の辞表が受理され
参議と近衛都督を辞職し、西郷は鹿児島に帰ることになり小説は終わっている。
この部分のボリュウームが特に大きいわけではない。

始まりはは明治4年4月、西郷が1年10か月ぶりに鹿児島から江戸に帰るところから始まる2年弱の物語。(西郷が沖永良部島を出てから約8年の歳月が流れていただろうか)

西郷といえば征韓論(遣韓)とその後の西南戦争の知識が主だが、
西郷を首班とする「留守政府」による廃藩置県の後始末はじめその他の重大な制度改革の話にまとを絞った、
主人公西郷像は新鮮で意外な発見?も多数あった。

合計100日の出来事の詳細。とても興味深い時代のわりには、注目度が薄い時代、着眼点は、すばらしい。

その前の、北越戦争、箱館戦争の応援などでの隠遁癖など、そしてこの小説が始まる、
1年10か月ぶりに鹿児島から江戸に帰るまでの西郷の動きなど、西郷の論ずべきところの、
なんと多いことだろうかと、この本を読んで感じることができた。

・・が、活字は大きいが、改行がすくなく固有名詞の漢字がぎっしりで読みづらい。

そればかりではなく、校正ミス、それに意味が取れない文が多い。大幅改定したら、もう一度読んでみたいところだ。

奄美大島の「大島商社」の件も、すこし詳しく読みたい。

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関連このブログ 近世・奄美流人の研究  単行本 – 2018/1/23 ほか
2020年12月25日 | 本と雑誌


ビヨウタコノキ 逆光 and 残照図

2020年12月27日 | 植物

 

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近世・奄美流人の研究  単行本 – 2018/1/23 ほか

2020年12月25日 | 本と雑誌

近世・奄美流人の研究 (日本語) 単行本 – 2018/1/23
箕輪 優 (著)


amazon 内容(「BOOK」データベースより)
西郷隆盛をはじめ多くの者が、江戸期、奄美諸島に遠島に処せられた。だが、その実態はほとんど知られていない。著者によって掘り起こされ、初めてまとめられた奄美流人史。巻末資料に「奄美各島流人一覧」を収録

出版社からのコメント
もうひとつの西郷本です。
これは脚色された小説ではありません。史料に基づく歴史的事実によって、衝撃の西郷像が浮かび上ります。

出版の2018年といえば大河「西郷どん」放送年。
名瀬の書店の特設コーナーに本書があったかどうか、記憶にない。

著者は、奄美大島名瀬に出自を持つ、経歴もユニーク、ということで図書館で手にした。

===


”はじめに”で奄美の歴史書をよんで、漠然と感じていたモヤモヤ感について


「薩摩藩」か、「鹿児島藩」か
「侵略」という表現について
「僭称」や「蔑称」の表記について

を見て読んでみる気になった。
あと、流人の種別で

公儀流人
薩摩藩内からの流人
奄美諸島間における流人
琉球からの流人

とあって、薩摩藩内からの流人以外にも書かれてあり、
他の島、佐渡や八丈島なととの比較もあって
あって新鮮だった。
(流人史に限らず、よそとの比較は郷土史では難しいのか。あったら是非読んでみたい。)

郷土研究会報
市町村誌
刊行本
個人所蔵文書

など現地にも足を運んでの資料蒐集の徹底ぶりにもおどろいた。

脚注での参考文献での概要説明も親切で流人史だけでなく、奄美の歴史も学べる。

====


5章 名越左源太と西郷隆盛

アマゾンにある、出版社からのコメント
もうひとつの西郷本です。
これは脚色された小説ではありません。史料に基づく歴史的事実によって、衝撃の西郷像が浮かび上ります。

奄美への流人は「西郷隆盛」だけではない、ということを本書では、訴えたいと著者は”はじめに”で述べているのだが。5章 名越左源太と西郷隆盛 はp271~p297。

島民に慕われた名越左源太と、そうでもなかった"衝撃の西郷像”が描かれている。

おもに、筆まめであったがゆえに残ってしまった西郷の奄美大島遠島当初の島蔑視の手紙と、明治5年の「大島商社」設立の勧奨と大蔵省にたいする税の誤魔化しについての引用文など。

この"衝撃の西郷像”は、奄美大島での西郷不人気と、西郷研究が進まない理由としてネットなどでも見ることができる。

また、たまたま同じ日に借りて、今読んでいる

『西郷内閣』 明治新政府を築いた男たちの七〇〇日 (双葉文庫)   – 2017/10/11

にも、大蔵大臣兼務の西郷の、矛盾した脱税方法としてノンフィクションノベルで、1ページほど描かれている。西郷のセリフあり194

大島商社設立によって浮いた島の砂糖利益で士族救済するためだろうが、

いずれにしても西郷の真意は、よくはわからない。

=====

奄美流人と言えば

喜界島へ遠島され、西郷とともに鹿児島に帰り、使節団の一員に加わり、西南戦争に薩軍として
従軍して自決した村田新八の事績についても知りたいところだ。

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6勝 流人がもたらした奄美の教育文化

流人史研究における、この締めは、すこし意外だっが、しかし言われてみれば、頭を揺さぶられる、
私にとっての一番の衝撃だった。


明治以降の奄美における”教育沸騰”とその批判

p118 
2 奄美の”教育沸騰”に対する、島内外からの様々な批判について

その中でとくに、強烈だったのは、次の引用文。(いまでは直言がはばかられる指摘かもしれないが昭和2年にすでにこんなことが))流人の子孫たちも、やはり公務員志向だったのか?

(昭和2年来島の下田将美著『南島経済記』)
p320 (前略)学問させることはいい。しかし学問さえさせれば人間は偉い地位が得られ、金が沢山儲かるという迷信から覚めねばならない。
学問をさせたが故に労働をすることをいとって、月給取りの楽な身分だけを希望するような誤った考えから脱却せしめなければならない。
私は大島に奨学の気風の盛んなることを悦ばしいことに思う。しかし、その奨学が労働回避になる時に、大島は不幸なる陥穴に自ら落ちるのだと評せざるを得ない。その土地を耕し、その国土から実益をうませることが、大島の今日の急務である。私は徒に官吏になり、月給取りになることを希望する子弟ばかり多くなることを大島の不幸であると思う。(昭和2年来島の下田将美著『南島経済記』)


いただきもの カフェオレ and 今年も桜の開花が遅い

2020年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

いただきものです。

ちょうど飲みたいところだったので、アイスでいただきました。作り方は袋(スティック)裏面に書いてあります。(マグカップにスティック一本と、いつもの半分くらいのお湯を入れてよくかき混ぜ、それに角氷を5~6個くらい入れて、冷たくなるまでよくかき混ぜて出来上がりです。砂糖とミルクもスティック一本に入っています。

氷が解け切らないうちに飲むのも一興です。おいしいです。


今年の島の桜(ヒカンザクラ)は、遅かった去年よりもさらに遅い感じで、まだ花冠が歪な形の一輪しか発見していません。

 

 

 


映画『天地明察』2012年公開の日本映画

2020年12月22日 | 映画

天地明察(てんちめいさつ)コトバンク
①冲方丁(うぶかた とう)の歴史小説。2009年刊行。翌2010年、第31回吉川英治文学新人賞、第7回本屋大賞を受賞。
②2012年公開の日本映画。①を原作とする。監督・脚本:滝田洋二郎、脚本:加藤正人、美術:部谷京子。出演:岡田准一、宮崎あおい(「崎」は正確には「たつさき」)、佐藤隆太、市川猿之助、中井貴一、松本幸四郎ほか。江戸時代の天文学者・渋川春海の生涯を描く。第67回毎日映画コンクール美術賞受賞。

天地明察(てんちめいさつ)わかってしまえば、ダイナミックでいい言葉だが、映画の検索では、始め、あまりキャッチーには働かなかった。

すじがきは、わかりやすく、気楽に楽しめた。読んでいないのだが、本で読んだら違うおもしろさだろうな、と思う。

水戸黄門の3時間スペシャル並みの面白さ、といったところか。実際の上映時間は2時間 21分だが
3時間スペシャル並みとしたのは、
主人公の囲碁棋士・安井算哲(岡田准一)と
和算の開祖・関孝和(市川猿之助 (4代目)
の天文学暦通じての意外な絡み

暦と朝廷と江戸幕府の関係

会津藩主・保科正之と徳川 光圀「水戸黄門」などの取り合わせに、
意表を突かれた感があったからだ。

物語の展開には、少し急ぎすぎを感じたが、実は全編1.5倍速の早見視聴にした。

安井算哲(渋川春海) 江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家。


海風荘一階のお店 たいやき季節あん🍠鳴門(なると)金時(焼きいも)あん🍠始めました。

2020年12月22日 | お知らせ

黄金色でフルーティ、植物繊維たっぷり

関連記事このブログ 今年も、たいやき季節あん「やきいもあん」始まりました。
2020年11月26日 | お知らせ


津之輝(つのかがやき)ミカン科 初めて食べました。

2020年12月19日 | 食・レシピ

ときどき、皮と果肉の間に隙間がある、浮き皮は、むきやすい反面、スカスカでおお味だったりしますがが、

こちらは、皮が薄く果肉がぴちぴちみずみずしい。濃厚な甘味に酸味も味わえますが、とてもソフトで、コクが感じられる甘さです。

果梗部(頭)のオレンジ色はやや濃く、磨いたような輝きがあります。


映画『殿、利息でござる!』

2020年12月17日 | 映画

ネットフリックスで見た。

wikipedia
『殿、利息でござる!』は、2016年5月14日に公開された日本映画。原作は磯田道史の評伝「穀田屋十三郎」(『無私の日本人』所収)で、18世紀に仙台藩の吉岡宿で宿場町の窮状を救った町人達の記録『国恩記』(栄洲瑞芝著)を元にしている。松竹・東日本放送共同製作。東日本放送開局40周年記念作品[3]。主演は阿部サダヲ。キャッチコピーは『ゼニと頭は、使いよう。』である。

原作は読んだことがあった。『武士の家計簿』は、TVで見た。

このブログ
『無私の日本人』 単行本 磯田 道史 (著) 2012/10
2016年05月25日 | 本と雑誌

 

「18世紀に仙台藩の吉岡宿で宿場町の窮状を救った町人達の記録『国恩記』(栄洲瑞芝著)を元にしている」
ということで、事実は小説よりも面白かった。

原作著者も出演して(今泉七三郎 - 磯田道史:郡奉行)いるし、
フィギュアスケートの羽生結弦(伊達重村 -:仙台藩第7代藩主)
も出演していて話題性もある。
映画の出てくる穀田屋も現在も穀田屋酒店として存在していることに感動した。
文句のつけようもないようだが、ただ悪人が一人も登場しないということもあって、
汚れ場面や暴力、悲惨などもなく、リアリティに欠ける印象はいなめない。

冒頭から、町が困窮し破産者夜逃げ者が相次ぐ有様が描かれているのだが、どうしても
同時代の奄美の歴史に描かれている島民の経済的困窮と比べてしまうからなのだが・・。

というのも、お金の話の始まりのほうに、映画の中でフィギュアスケートの羽生結弦演じる(伊達重村 -:仙台藩第7代藩主)25歳が、薩摩の殿様と同じ、たしか、従四位近衛中将とかいう官位を欲しがったということだったからだ。ま、鹿児島から奄美は、映画のように殿様が歩いてこれるほどの町でもないのだが。
しかし一方で、もしかしたら島でも想像くらいはできる話ではなかろうかと、思ったりもしている。

wikipedia『殿、利息でござる!』の項で、町の困窮の原因として、こうあった。

1766年(明和3年)の仙台藩領内の宿場町・吉岡宿。仙台藩の宿場町には宿場町間の物資の輸送を行う「伝馬役」が課せられており、通常は藩より宿場町に助成金が支給されているのだが、吉岡宿は藩の直轄領ではないため助成金が支給されていなかった。このため、伝馬役にかかる費用は全て吉岡宿の住人が負担して町は困窮し、破産者夜逃げ者が相次ぐ有様であった。

主な配役

穀田屋十三郎 - 阿部サダヲ:穀田屋の当主。生まれは浅野屋で、穀田屋には幼少期に養子に出された。吉岡宿の窮状を見て、その行く末を案じている。

菅原屋篤平治 - 瑛太:茶師。自称吉岡宿一の知恵者。

きよ - 草笛光子:穀田屋十三郎と浅野屋甚内の母。

先代・浅野屋甚内 - 山崎努


伊達重村 - 羽生結弦:仙台藩第7代藩主。

今泉七三郎 - 磯田道史:郡奉行


ゴッドドクター 徳田虎雄 (小学館文庫) – 2020/1/7 山岡 淳一郎 (著)

2020年12月15日 | 本と雑誌

ゴッドドクター 徳田虎雄 (小学館文庫)  – 2020/1/7

先週、名瀬の書店で見つけた。

徳田本はけっこう読んだし、もう,いいかな、とも思ったが、

ナゼ、今頃?とも思って、
表紙の徳田虎雄の写真の表情に惹かれて手に取った。


黒板に向かいマイクとチョークをもって数字を示しながら
聞き手に向かって鋭い視線を向けている。
鋭いといっても威圧的な目ではない。
こちらがつい見入ってしまうような情熱的な純粋な目。
(本書本文にもあった、理と情にも通じる写真かもしれない)

そのエネルギーに押されたように、写真はと題字の「ゴットドクター徳田虎雄」の
文字とともにやや傾き、天に押し出されそうに見える。

写真が少しだけセピア調めいて見えるが、それは錯覚だろうか。
徳田がめざした医療革命の理念は、
決して色あせてはいないぞ、という読後の感想につながる。

「毀誉褒貶の振幅が激しい」「清濁併せのむ」は、徳田虎雄
に対する評価によく当てはまる言葉だが、
本書でも「誉」「褒」「清」は積極的には描れない。
しかし、写真の目は、決して濁ってはいない。

本書は、著者が、自分なりの視点で描くドラマチックな構成になっている。(本書は2017年平凡社刊の『神になりたかった男 徳田虎雄 医療革命の軌跡を追う』に大幅加筆、改定して文庫としたもの)

医局支配の「白い巨塔」を飛び出した医師たちや、アメリカ帰りのエリート医師(京大在学中、学生運動にのめりこんだ徳洲会ナンバーツーは徳田と同郷(徳之島伊仙町)だ、そして次世代は全共闘の経験者、それにやくざも実名で登場する。

これらの人たちが、まったくの徒手空拳から、巨大な病院グループ病院を作りあげた男とともに、
抵抗勢力と闘いながら政界進出し、医療改革を推し進める紆余曲折を描く。、

これでおもしろくないはずがない。


それに非医師の「七人衆」と呼ばれた側近たちのドラマが連ねられる。その細かいエピソードも読みどころで、
むしろそれが怪物徳田虎雄の実像を浮かび上がらせる。

事実はドラマよりおもしろい。並みの取材だけの取材者目線では、描けないノンフィクションだと思う。

ネットの書評でも、「おもしろい」とのレビューが多い。

もひとつ写真のはなし。

本文中の挿入写真、1993年3月、石原慎太郎(左)が都知事選出馬を表明する前夜、ホテルで密会していた自由連連合代表(当時)の徳田虎雄。ホテルの廊下だろうか。スタイリッシュな、石原慎太郎と並んで歩く背広姿の徳田虎雄も負けてはいない存在感がある。この写真も傾いていて緊迫感が伝わる。人と時代を映しているようで印象的な写真だ。


徳田がかかげる医療改革の理念「生命だけは平等だ」は、わかったようで実は、わからないでいた。
その前に省略された「せめて」の意味を考えないと、よくはわからないのあった。

p409 じつは、多くの徳洲会関係者の証言で初めて明らかになったのだが、徳田は「生命だけは平等だ」の決め台詞を吐く前に「せめて」を添えていたという。「徳田は「世の中、生まれの違いは変えられん。頭の良し悪しも仕方ない。貧富の差はあるだろう。だが生命だけは平等だ」と・・・。p409

徳田の「せめて」の思いは、今も生きている。

関連年表2017年の項 

徳田王国が崩れさり、病院数71、年商は4600億円、職員3万3340人、に上る日本最大、世界屈指の(2019年3月病院グループを維持している。

そして、

南海日日新聞 2016年12月27日
 奄美群島と十島村を運航範囲とする奄美ドクターヘリの運航開始式が26日、奄美市名瀬佐大熊町のヘリ格納庫であった。三反園訓県知事をはじめ国、県の議員、奄美群島の市町村長、医療、消防関係者など約120人が出席。テープカットで27日からの導入を祝い、救急医療の発展に期待を込めた。

今では、県立大島病院屋上からドクターヘリが発着する。(2017年から)

ドクターヘリの運用開始により、それまでの沖縄から来る自衛隊ヘリに比べると、時間的にもマンパワーの上からも、奄美の離島間救急網(喜界島、徳之島、加計呂麻島、沖永良部、与論、吐噶喇列島)は大きな前進を見せている。


P304 時は止まっているようでも流れている。時代はいつも過渡期なのだ。p304

時代はあっという間に変わる。本書もそのとき再び増補改訂されるかも知れない。


amazon 内容(「BOOK」データベースより)
徳田虎雄が創設した「徳洲会」は、謎の多い、巨大な医療複合体である。一九七三年、大阪に徳田病院を開院して、わずか十数年で日本一、世界屈指の民間病院グループに成長した。かくも巨大な民間病院チェーンが、なぜ短期間に出来上がり、存在し続けているのか。医療の「善」と裏舞台での「悪」―両極端の顔を併せ持つ異端者、ALSを発症してからもなお経営を握り、旺盛な生命力を発揮する「病院王」と、彼のもとに集まった非医師の「七人衆」、「白い巨塔」から飛び出した医師たちの群像を描いた衝撃ノンフィクション!

今では徳田虎雄の名前を知らない若者も多いかもしれない。

wikipedia アメリカ占領時代の鹿児島県大島郡徳之島町出身(出生は兵庫県高砂市。
実弟が医療を受けられなかったことによる急病死をきっかけに医師を志し、阪大受験のため鹿児島県立徳之島高等学校から大阪に単身移り住み阪大合格を果たす。
実家の家計は苦しかったが父親が先祖伝来の農地を切り売りして仕送りをして学資を支えてくれた。

徳洲会事件wikipedia


ラジオで中孝介 新民謡「奄美小唄」を聴いた。

2020年12月12日 | 音楽

 

 


ユズとキンカンとサトイモ (埼玉県産)

2020年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

2020年の冬至(1年で1番、昼が短く、夜が長い日)
は、12月21日(月) 。
冬至にはにんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん……など「ん」のつくものを食べると
語呂合わせで「運」が呼びこめると言われる。
冬至の食べ物としてよく知られるぼちゃは別名「南瓜(なんきん)」
奄美大島では「さといも」のことを「うん」ともいう。(冬至日に食べたのか記憶がないのだが)

===

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