奄美 海風blog

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続 奄美パーク 奄美の里 田中一村記念美術館

2017年08月31日 | 田中一村

 

 

↑ リュウゼツラン

 

 


西郷隆盛論―その知られざる人物像 (新熊本新書) 新書 – 2017/4/10

2017年08月30日 | 本と雑誌

『西郷隆盛論』―その知られざる人物像 (新熊本新書)  – 2017/4/10

堤 克彦 (著)   

図書館郷土コーナーで借りた西郷本2冊(7、8月新着)のうちの一冊。
ざっと目を通すつもりだったが、地元の知人も登場し、けっこう熟読した。

西郷が奄美大島の龍郷に潜居していた時の変名”菊池源吾”は
西郷自身のルーツが菊池(熊本県菊池市七城町砂田西郷 西郷隆盛祖先発祥の地→https://goo.gl/maps/oQWLo51G3R12 )
であることに因んだものであるといわれる。(龍郷時代にもうけた子に、菊次郎 菊草と命名)

その縁で龍郷町と菊池市との間に友好都市盟約のが締結されている。(平成24年)

著者はその企画の一環として平成18年に龍郷町を訪れている。

P62~82「奄美大島・龍郷紀行」では
「敬天愛人」が「敬天愛民」であったとする話の紹介や、「敬天愛人」と西南戦争の敗因の関係などにもふれ、
これまで読んだ西郷本にはなかった興味深い視点など、いくつかあって熟読とあいなった。

ユニークな視点は他の章でも、いくつか見られ、通説への疑問提示も興味深く、
新書ながらもりだくさんの一味違う読み応えだった。味の違いは著者の龍郷訪問も与っているように思えた。以下、それをまとめきれるでしょうか。

きょうは元治元年(げんじ・がんねん1864年)に注目しよう。

西郷が沖永良部から、足を引きずりながら(wiki)鹿児島に帰還したのは、元治元年(1864年)2月だが、すぐに「軍賦役(軍事司令官)兼諸藩応接係」を拝命、「禁門の変」で長州勢を撃退する働きをする。西郷38歳の初陣だ。

そしてこの年7月には長州藩追討の朝命(第一次長州征伐)、
そして9月、西郷は初めて勝海舟と密会する。幕府の長州征伐の本気度をさぐるためだといわれている。

この会談で西郷は、アメリカを見てきた勝の共和制の話、幕臣でありながら長州征伐より倒幕の勧める話に仰天し、初めて反幕府の方向へと考えを改め、10月には名前も大島吉之助から西郷吉之助に名を改める。

この元治元年(1864年)は西郷にとっても幕末史にあっても大きな転回点になっている。

(本土の情報は、よく入っていたとは言え)小さな島の牢屋で、静かに「敬天愛人」の思想をはぐくんでいた西郷にとって、いきなり、アメリカをその目で見てきたという、その時の勝海舟の話は、どれほどの驚きだったのだろうか。

その勝海舟の「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人みた。それは横井小楠と西郷南洲(隆盛)だ」の話はよく知られている。『氷川清話』 (講談社学術文庫) 文庫  – 2000/12/8 勝 海舟 (著),   江藤 淳 (編集),


「西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方がまさるほどだったけれども、いわゆる天下の大事を負担するものは、はたして西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ。」

つまり「横井の思想を、西郷の手で行なわれたら、もはやそれまでだ」ということだ。


坂本龍馬の『なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ。少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く。」という話もよく知られている。

ここで、本書とつながるわけだが、それは勝の話にでてくる横井 小楠だ。

この本の著者は、横井 小楠をライフワークとする研究者である。
専門家とは一味違う視点から西郷の人物像を描いている。

たとえば敬天愛人と西南戦争の敗因の関係など、やはり奄美を訪れ、実際に現地の人との交流を持つ著者の指摘は、他書と違い大いに説得力があった。

「なるほど西郷というやつは、わからぬやつだ」と言った坂本龍馬も島を訪れ、島での西郷を知ったら、なんと言うだろうか。と、とりとめのないことを・・。

===
amazon 登録情報

新書: 252ページ
出版社: 熊本出版文化会館 (2017/4/10)


動画 「一村の杜」順路の「ガジュマルにトラフズク」でイソヒヨドリが鳴いていた。 

2017年08月28日 | 田中一村

 

ハマユウの花は咲いていました。一村の杜 Isson's forest の順路1 美術館を出てすぐのところにあります。

↑ 田中一村記念美術館とアダン

Tanaka Isson Art Museum at Amami Park

美術館屋根の上のイソヒヨドリ

奄美パーク 奄美の里とアダン Amami no Sato

 ↑ 奄美市名瀬大熊(だいくま)は田中一村が、仕事に通った紬工場がありました。奄美大島に渡り大島紬の染色工で生計を立てながら絵を描き始めるのは1958年ごろです。漁港写真のクレーンの奥あたりでしょうか。奄美パークからは車で40分くらいかかります。


林道のクワズイモに木漏れ日強く / 夏休み最後の日曜 夏秋雲二態

2017年08月27日 | クワズイモ

正午ごろは、木漏れ日といえども、まだ夏の荒々しさを十分に含んでいて、クワズイモの葉のコントラストの強烈だ。路上の空気は湿気が多く、やぶ蚊もいそうで秋の気配は・・・。

パパイアの実

パパイアと島バナナの葉。バナナの実も生長中。

zzzzzz

 


☆背泳ぎ得意? かつおのぼり / ドクターヘリ着陸へ/名瀬臨港大橋

2017年08月25日 | まち歩き

乗船ゲート 屋根付き浮き桟橋 大熊漁港

 

名瀬港佐大熊地区は名瀬港本港区の対岸にあります。

 


★ランタナ(Lantana) ★ナガサキアゲハ? メスの有尾型

2017年08月24日 | 夕焼け

 

 


『沖縄を売った男』 単行本 – 2017/3/19

2017年08月23日 | 本と雑誌

『沖縄を売った男』 単行本(ソフトカバー)  – 2017/3/19

竹中明洋 (著)  

帯書きには、
菅義偉官房長官の写真入りで、

仲井眞さんこそが県民の幸せと発展を考えて最善の努力をした人

『売った男』ではないことは歴史が証明するはずです。
ー菅義偉官房長官- <本文より>

とある。

帯なしで手に取ったときは、うんざり感もあり、あまり読む気は起らなかったのだが、
もし帯があったなら、逆に読む気になったはずである。

まず、表紙の仲井眞元知事の写真が秀逸だ。
自信に満ちたような、トップの孤独をかみしめいているような、達成感か諦観か、
とらえがたいが、しかし、いい顔をだ。「偽悪家」ではあるかもしれないが、売国奴の顔には、とても見えない。

「売った男」の「売」の字は赤の小文字で目立たない。つまりカギかっこ付きだ。それに気づいたら、それでは、そう名付けたのは誰か?、それに付和雷同したのは?はたまた、本当に売った男はいるのか?それは、どこの誰だろうとの連想をも呼び起こす。

本文の中にもう一枚、印象的な仲井眞知事の写真があった。

P217 知事が辺野古埋め立て承認を明らかにした2013年12月27日の記者会見で
TBS記者の質問に、それまでの淡々としていた仲井眞知事が、一変、
激怒する顔にフラッシュがあたっている。

TBS記者は、承認は県外移設の公約違反とせまる質問の前置きとして
「日本国民としての日本語能力を、常識的な日本語能力をお持ちだと思うから聞くが」との挑発的な問いかけをしたのだった。


気色ばった表情で「今のは私にたいする批判か、それとも質問か。ようするに何を言いたいんですか!」と知事。

騒然とした会見終了後、会場に居合わせた県の幹部はそろって怒りを隠さない。
記者の「日本語能力をお持ちだと思うから聞くが」との問いかけに「我々の年代のウチナーンチュならだれでもがもっているこころの傷をえぐられるような思いがした」
本土の人間の沖縄に対する潜在的差別感情を感じ取ったからだ。

しかし知事のあたえた印象は最悪だった。「苦渋の決断」を演出すべきだったとの意見もあった。

一字一句の引用ではないが、このあたりが写真とともに本書のキモといえる部分かもしれない。記者の反論も聞きたいところ。

あと一か所は、規制法ではなく、手続き法である、公有水面埋立法の法理論と知事の承認との関係、それから知事の沖縄2大メディアに対する考えなどあと一歩の踏み込みほしいところだったが、今、頁数をしめせない。

本文は、仲井眞の経歴と、承認までの経緯など手際よくまとめられている印象だが、
著者自身の不祥事を受けてのことなのか、主張は抑制され、バランスのとれた書きぶりだ。

論理ではなく情念の問題といわれる沖縄の基地問題。
うんざりするほど読んだつもりだが、こういう書き方もありかな、と思うのだが、これはしかし官邸のおすすめそのものでもある、とおもうのであった。


5つ星のうち 4.3
       6件のカスタマーレビュー      


amazon 登録情報

単行本(ソフトカバー): 253ページ
出版社: 扶桑社 (2017/3/19)


amazon 内容紹介

(内容紹介)
「辺野古に基地を造らせない」
 反基地運動の闘士として絶大なる人気を誇ってきた沖縄県知事の翁長雄志氏。今、その足元にほころびが見え始めている。
(略)


★山の上の水平線に沈む夕日 ★ピンクの夕焼け

2017年08月23日 | 夕焼け

奄美市名瀬赤崎公園 赤光台から

幾重にも重なる長い山の稜線が見渡せる。そして稜線の上に海があり、海に♪お日様が溶けて、海面が赤く焼け、それは茜色。後ろを振り向けば、ピンクに染まった雲と少しの黒雲がゆっくりと流れていた。ここには誰も居ず、下のほうでゴルフの練習をする人ひとり。

 

 


アダン 雄花 雌花 アダンもソテツ同様に豊作?

2017年08月22日 | 植物

 

今年は、蘇鉄同様に、アダンの実も各所で豊作?のようだ。

 


まとめの一村画 クリエイティブショット 8月の一村のforest #田中一村

2017年08月20日 | 田中一村

 

 

 

 

 

 


去年の記事 真田太平記 12巻 紀州九度山 1985 池波正太郎

2017年08月19日 | うんちく・小ネタ
 
真田太平記 12巻 紀州九度山 1985 池波正太郎
和歌山県北部に位置する九度山町は人口4300人あまり。現在、くどやま「真田丸大河ドラマ展が開催中だ。九度山の名前の由来は、域内には高野山の開祖・弘法大師空海の母が暮らしてい......
 

真田太平記 12巻 紀州九度山 1985 池波正太郎

夏は意外と読書量が増える。

この巻あたりでドラマの話に追いついたのだったかな。記憶はあいまいだ。

今年はドラマ視聴にもあまり意欲がわかない。

↓ 来年のために、いちおう目を通します。西郷本。

残りもスピード感をもって・・・。


南方熊楠/柳田國男/折口信夫/宮本常一 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集14)

2017年08月18日 | 本と雑誌

南方熊楠/柳田國男/折口信夫/宮本常一 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集14) 単行本  – 2015/4/12

図書館の海音寺文庫で見つけた。
折口信夫の「死者の書」を何かで知って、それだけを読むつもりだったが、やはり難解で、飛ばし読みになった。そのかわり、解説を読んで、やはり宮本常一を熟読した。

南方熊楠(みなかた・くまぐす)は、名はよく目にするが、今回もなじめない。

柳田國男の現実的かつ実証的な文章、もうなんだか、読んだ気になってしまっている。

折口信夫の誌的飛躍に富み、空想にもおよぶ方法、しかし、やはり難解だった。

それに対し、官学に属することなく(渋沢敬三の食客)全国を歩いた宮本常一。
山口県周防大島生まれということで何となく親近感もあり、『宮本常一離島論集』は
図書館の郷土コーナーにもあって、いくつか読んだ。齢のせいか、今回はじっくり読む気になった。

民俗学なのになぜ、この日本文学全集に? 「民俗学は文学のすぐ隣にある」柳田の現実的かつ実証的な文章、折口の誌的飛躍に富んだ方法よりう実は宮本の文章のほうがうまいのではないか。おもしろさに引き込まれた。

柳田にも折口にもなかった女性の側から社会を見るという視点も宮本の面白さの要因だろう。

柳田や折口のように堅い概念や、難しい漢字もほとんど使わない。

たとえば、炭坑で働くおかあさんが、権力をかさにきた役人に、荒くれたセリフで文句を言う。。「なんかキサマ。おまえは人間か・・・」略 引用文」。なにしろ生活がかかっている。方言もまじりとてもリアルだ。映画などでも見たことはあるが、こうして民俗学の本で読むと、いままでの歴史観までもひっくり返りそうな迫力を感じるものだ。

「出稼ぎと旅」では、農民は大地に縛り付けられているという思い込みが、少なくとも西日本では人はよく動いた。

共稼ぎ──生活の記録2では

夫婦船の老夫婦は石牟礼道子の『苦界浄土』に登場する夫婦に似ていて
p399夫婦共働きの世界はその生活は貧しくともそこには深い相互信頼があり、女が男の権力の前に屈してのみいるような風景は見られなかった。むしろ男は女に寄りそわれることによってどのような世界をも生きぬくことができたのが、日本の過去の民衆社会ではなかったのかと思っている。共働きの単一家族の世界においては男女同権は、けっして戦後にアメリカから与えられたものではなかった。p399

P470単に西欧の文化の影響のみで女の世界が今日のようになったのではないことは、こうした事実の累積のなかからもうかがわれてくる。P470 月小屋と娘宿

民俗学はもとより、社会学、人類学などの本当のおもしろさに気づかせてくれる。おんなや庶民はただ虐げられていただけでは、生きていけない。

ひるがえってわが奄美ではどうだったのだろうか。役人の横暴を西郷に助けてもらってだけいたのだろうか? 笠利鶴松の歌?に、おんなの機転と度胸で役人を追い返した話が伝わっている。

話がそれた。

宮本恒一で、とくに面白かったのは、「土佐源氏」。これは『忘れられた日本人』で読んだ記憶があったが、改めて読んでみて、その無類のおもしろさに、また驚いた。

「あんたはどこかな?はァ長州か、・・・

ときにあんたは何が商売じゃ
百姓といいなさるか、百姓じゃあるまい。ものいいがちがう。商売人じゃないのう。まァ百姓でもええわい。わしの話をききたいといいなさってもわしは何もしらんじゃ、何もなァ。・・・

あんたは女房はありなさるか。女房は大事にせにゃぁいけん。盲目になっても女房だけは 見捨てはせん」

いろりには火がチロチロもえていた。そのそばに八十をかなりこえた 小さい老人があぐらをかいてすわってる。いちじく形の頭をして、歯はもう一本もなくて頬はこけている。
やぶれた着物の縞もろくに見えないほどよごれている。

冒頭のこの部分だけで、もうぐいぐい引き込まれてしまう。
むかし極道で、ばくろうをしていていまは乞食のこの老人のおもに女にまつわる人生話がすこぶる面白い。

老人の体験そのものが面白いのか、その話方がおもしろいのか。
はたまた宮本の聞き出し方がうまいのか、それともその表現の工夫なのか。

上の文章からはほぼ初対面であることがわかるが、それでその後の老人の話を
聞き出した宮本の人徳も面白さの支えになっていて、おおげさにいうと民俗学の面白さや奥行きの深さまでも感じさせる。まだ読みたいのだが期限がせまった。

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宮本常一 生活の記録

 ふだん着の婚礼──生活の記録1
  共稼ぎ──生活の記録2
  海女たち──生活の記録3
  出稼ぎと旅──世活の記録4
  見習い奉公──生活の記録5
  女工たち──生活の記録6
  行商──生活の記録7
  人身売買──生活の記録8
  月小屋と娘宿──生活の記録9
  女の相続──生活の記録10
  家出──生活の記録11
  戦後の女性──生活の記録12

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amazon 登録情報

単行本: 544ページ
出版社: 河出書房新社 (2015/4/12)

 

amazon <内容紹介>
  民衆の紐帯であり自然の宝庫でもある社(やしろ)の破壊に反対する、南方熊楠の画期的論考「神社合祀に関する意見」。
 伊良湖岬の浜辺で目にした椰子の実から日本人の来し方を想起する、柳田國男「海上の道」。
 後に中将姫と呼ばれる藤原南家の姫君と、非業の死を遂げた大津皇子の交感を軸に綴られる、折口信夫「死者の書」。
 近代女性の生き様を活写する「海女たち」「出稼ぎと旅」「女工たち」ほか、宮本常一「生活の記録」。
 神話、伝承、歴史、生活、自然など、日本のすべてを包摂する厖大な文業から、傑作29篇を精選。

 

 


大浜の★ハマユウ/大浜の★オオハマボウ 大浜クリエイティブショット エクササイズ

2017年08月17日 | 夕焼け

 


★祭りうちわ /名瀬港夜釣り見物で大物

2017年08月16日 | You Tube 動画