奄美 海風blog

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大浜のビーチロック

2005年02月28日 | 自然観察
050228-ohama-1大浜の beach rock も大きかった。

反対側からばかり見ていたので気づきませんでした。

2005.01.28
ビーチロック Beach rock  
ヒエン浜 と比べて見る

日々刻々変化する自然。それにしても夏の頃と比べて、ビーチは、ふくよかさがなくなり、痩せた感じで砂利や石が目立つ。

16時40分ごろ写す。
今日の満潮 9時18分 21時40分
潮位       182     170         

今日の干潮 3時14分 15時33分
潮位       22      24
名瀬港
南海日々新聞より

17 13.4 無し 北北西 5 74 無し 1017.7  

050228-ohama-2

2004.04.21
名瀬市大浜海浜公園
 と比べて見る。 Shift キーを押しながらクリックすると別ウィンドーが開きます。

2004.04.25
良い天気です名瀬市大浜海浜公園
 と比べる

050228-ohama-3
役にたったためしはないが、一応、浜の角度なんかを写真記録する。

奄美地方も今年は異状に雨の日が多い気がする。
鹿児島地方気象台名瀬測候所は、平成17年2月25日17時00分 
奄美地方の日照不足に関する気象情報 第1号を発表した。

浜砂がカパカパに渇かない状態も続いているのかもしれない。





ブログの力

2005年02月27日 | 本と雑誌
幸田回生さんトラックバックありがとうございます。

ブログの最大の特徴、トラックバック機能は、コメント機能と比べて、あまり使われていないらしい。
それは、日本人の国民性にもよるのだろう、という人もいる。

今日の立ち読み、『ブログの力』およそ5分。
トラックバックを受けた時の気持ち=「街角で、見知らぬ人に声をかけられた気持ち」、なるほど。

帰ってブログを見たら、トラックバックあり。

で、その時の気持ち=人通りの少ない奄美の林道で観光客のレンタカーと出合ったときの気持ち。(笑)

で、そのサイトを訪れた時の気持ち=奄美の山から、渋谷のスクランブル交差点(沖縄の国際通りでもよいのだが)へワープしたような気持ち(笑)。

で、そのサイトを見渡して、自分へのリンクが見つからなかった時の気持ち=音のしない渋谷(鹿児島の天文館でもよいのですが)の交差点の歩道を歩いている気持ち(笑)。

リンクを見つけた場合の気持ち=W杯開催中の国立競技場(鹿島スタジアムでもよいのですが)の大画面に半袖姿の自分が映し出された気持ち(笑)。

で、そのサイトから「戻る」時の気持ち=羽田空港90番ゲート(奄美行)へ向かうバスに乗るときの気持ち(笑)。(鹿児島空港86番ゲートでも良いのですが)

『ブログの力』次に書店へ行く時まであるだろうか。

4年あまり前、HPを作る前、ニューヨークで、インターネットを駆使して民宿?を経営するサイバーおばあちゃんのTVを見た。海風荘のHPを立ち上げた時、最初に確認したHP経由の受注は、奄美大島瀬戸内町の高齢のおばあちゃんからの電話予約だった。本土に住む「孫?がテレビ電話みたいな、なんとかを見て、ここに電話せーっち言うて」ということだったのを思い出した。ありがたいことだった。帰省する孫を迎えに行くというのであった。

インターネット経由の受注なしでは海風荘のけいえいは成り立たないので、「パソコンは若いもんきゃのあしびどく(遊び道具)」とは思わない。(そう思う人生もありなんですが、ブログ更新も仕事のうち?)

ところで書店では、孫正義氏の写真が表紙の本は見かけなかったような気がします。

堀江社長のことホリエモンというのですね。
そこで、さて、奄美のホリエモン探しに奄美のブログを見てまわる。




『奄美深山塔碑考』ー南島の元寇ー を読む  水辺のひろば

2005年02月25日 | 本と雑誌

050225miyamanto_2_2写真は拡大します。

田畑久守著『奄美深山塔碑考』
(あまみみやまんとうひこう)
ー南島の元寇ー
平成15年12月12日発行

元寇といえば文永の役(文永11年)1274年、
弘安の役(弘安4年)1281年。

だがその二年後、弘安6年1283年(元の至元20年)、元軍が奄美に上陸した、という本。
『元史』 巻十二 「至元二十年九月壬戌、黎兵を調して同に日本を征せしむ」
そのとき建てたという碑(現物はなく、拓本)の碑文が、本の表紙になっている。

資料をしめして、推理、立証は進む。「この資料、情報を叩き台とし、踏み台として、皆さんが皆さんの手で、郷土奄美や沖縄の真実の歴史を明らかにしていただきたい」と著者の発刊のことば。

あの名越左源太、東洋文庫『南島雑話』2、 60ページに、享保15年(1730年)、おじさん?4人が古碑を掘り出している絵がある。

(竜)佐伯深山途ニテ古碑ヲ堀出ス之図
享保十五年
湯湾ノ山中田地ヲ開キシニ掘リ出ス処ノ石碑ヲ・・・
写シ置ク
碑文四尺余横ノ巾一上尺上下折レ損ス
字躰難読
別ニ記スなどとある。

この石碑の文字は、奄美研究者の間で長い間、謎とされていた。

この碑はどの場所に建ててあったのか、なぜ今ないのか、他にないのか、なぜ元軍は奄美に来たのか。わからない。
もう一度読んでみる。
チベットの鳥葬歌が奄美の民謡『いきゅんにゃ加那節』にそっくりなわけ、徳之島の線刻画の蒙古相撲の絵、それに1996年に引き揚げられた宇検村倉木崎海底遺跡の貿易陶磁器との関係。興味は尽きないが、インターネットで元寇についてのにわか勉強をしてみて、著者の文字解明の研究に対する執念には頭が下がる思い。はたして、日本史はいつ書き換えられるのか。またいつか読もう。

050225-kamiyama
深山途、深山塔、福元、湯湾山中、はどこか、どの場所にあったのか。
大和村フォレストポリスからマテリアの滝へ向かう途中に、水辺のひろば
道路から見て、駐車場と勘違いして素通りしてしまうのは、もったいない。
少し下におりた、広場の奥に「福元用水路を構築した田畑佐文仁翁伝」という説明板がある。
奄美の開拓の父、田畑佐文仁が、ここ福元盆地の開発に着手したのは享保5年(1720年)。
案内地図に従って進んだところが、下の写真。遊歩道が有り、大きめの小川がながれていて
奄美特有の植物が生い茂り、古い巣箱が設置されていて、バードウォッチングの穴場。
夏でも涼しい。

小高い丘の上には、開発にともなう犠牲者の霊を慰めるため、佐文仁翁が建てたという祠があった。
神の山とよばれている。苔むした祠の中には、まだ新しいコインが入れられてあって、佐文仁の文字も読める。
これは、この碑ではない。


13時10分ごろ停電、1時間後復旧

2005年02月25日 | ニュース
13時10分頃、停電。
14時10分ごろの先ほど復旧。
13時55分NHK鹿児島放送局のニュースでは
停電の地域は奄美大島全域、約4万6000の世帯。
龍郷町の発電所で、何らかのトラブルがあったと見られる。
この停電で、AM、FMラジオ一時中断。
長浜町では一時間もの停電は、台風時でも記憶にない。
緊急時の備えて、携帯サイトの閲覧とモブログの練習をする。
(14時30分現在)
一部地域では、停電はまだ復旧していない。(15時10分現在)
伝聞の情報を正確に記すのは意外に難しい。


堀江社長のブログを読む

2005年02月24日 | 本と雑誌
堀江社長のブログは毎日更新されている。
休みはないようだった。
忙しい人ほど、よく更新するのか。
暇になったので、つられて、更新する。
堀江社長の本は名瀬の書店でも何冊か、平積みになっている。
ブログ同様、読みやすい。
文章も速い。超速読で一冊読んだ、立ち読み。
「堀江流シンプル・イズ・すべて」、立ち読みは?
文庫になったものは、もう古い気がするのだが
2004年8月だってもう古い。
リンドウズがネット世界を変えるかもしれない。
林道走りながら、時々考えようなんて、駄洒落でなかった。
リンドウズCDはすでに、コンピュータの世界を変えてしまっている、という。
今夜のニュースも日本テレビでニッポン放送か。


今日の天気もこんな感じ。

2005年02月22日 | 気象 お天気
050222-hikagehego
日陰へごの葉は緑色、ヒカン桜の花はピンク色なのですが、わずかに空の青が写っているので、この写真はシロクロというわけではありません。今日の天気もこんな感じ。
サイズ 25853バイト
365×273ピクセル

10 14.6 無し 風弱く   57 無し 1023.1
時 気温 降水量 風向 風速 湿度 日照時間 気圧
名瀬測候所 毎正時観測データ



湯湾岳公園 Mt.Yuwan-Dake

2005年02月21日 | 観光ポイント
050221-yuwandake湯湾岳は標高694m、別名奄美岳(こことは別)、奄美で一番高い山。めずらしい動植物も多く、学問的にも貴重な存在。展望台から望める、焼内湾は、奄美十景のひとつ。1984年エジンバラ公、フィリップ殿下奄美ご訪問の際の記念植樹がある。
西周りの県道から湯湾岳への登り口は、いくつかありますが、鹿児島ロマン街道の案内板は名瀬から30分ほど走ったところにあります。
宇検村(うけんそん)役場のホームページ
名瀬市内からの送迎付きのガイドをしている会社もありますので検索してみて下さい。地図



ガガの木でつくる竹馬

2005年02月20日 | 歴史 民俗
050220-gagaこの木で「竹馬」をつくりました。この木を「ガガ」と言っていました。
「竹馬の友」の竹馬とは、中国では笹竹を馬にみたてて、またいで遊ぶことを言うらしい。
日本には、室町時代、「木製の2本足の竹馬」が描かれた絵巻があったらしい。「教えて!goo」竹馬の由来
子供たちが竹馬ごっこをしなくなったのはいつ頃からだろうか。
奄美の名瀬市付近では竹馬のことは「アソサ」または「アショシャ」(南島雑話~確認中)、「アシュシャ」と言った。
この木は、しなやかで丈夫、加工も容易。皮を削ると、白地に黄色い、まだら模様が出来、手にしっくりなじむ。本土の?竹の竹馬と比べると、三輪車とホンダの250cc くらいの違いがあったような気がする(いいすぎか)。大きな子供は、ノミを使って自分の背丈ほどの高さのところに足をのせる板を取り付け、人をまたいで歩いて得意になったりしたものでした。
ケンケンをしながら「曲芸」もしたものですが、現在、子供たちにアソサの作り方を教えている大人たちも、高齢になったら「曲芸」をしてみせることができるのか気になった。
ガガは、名瀬市近郊の林道脇からも簡単にさがすことが出来たのですが、意外に直射日光の当たらないところにあるのと、カメラと天気がわるいので、写真がよく撮れませんでした。



コメントありがとうございます。and 味噌パン

2005年02月18日 | うんちく・小ネタ
arai さんコメントありがとうございます。
雪景色の写真集楽しまさせていただきました。
ミニ味噌パンが面白かったです。
味噌パンの賞味期限は6ヶ月あるそうですね。味噌パンは長野県で50年くらい前からつくられていたのではないかといわれています。
奄美にも、奄美の人が鹿児島で開発した賞味期限の長いパンがあります。それは台風の時などのことを考えて、2~3年前に開発されたようです。
味噌も昔から、保存性に優れた重要な蛋白源として戦国武将たちのあいだでも注目されていました。
現在、味噌の生産量の多い、長野県、愛知県、宮城県、新潟県には、それぞれ武田信玄、信長・秀吉・家康、伊達政宗、上杉謙信といった有名な戦国武将が活躍しています。
武田信玄の「陣立(じんだて)みそ」は携帯即席みそとして有名ですし、伊達政宗の「御塩噌蔵(おえんそぐら)」は日本で最初の味噌工場として有名です。
だから、味噌パンを登山に持って行くなんて、歴史を感じました。なーんて、インターネットで調べました。
さて、わが奄美にもソテツの実で作る「ソテツ味噌」なる「手前味噌」があります(現在の家庭では殆どつくりません・・・どこかでつくっているところがあるかもしれませ。沖縄では「そてつ実そ」として商品化しているところもあるようです。)が、奄美の海からつくる、天然の塩も最近注目されているようです。(謙信ではなくて通販で全国に送られています)
そのほかの奄美の「手前味噌」もこれから、紹介していきたいと思っていますが・・・なーんて課題も多いのですよ。
あ、それはそうと霧と雲と靄(もや)も雪も同じ水蒸気だったですね。今日も雨が降ったりやんだり。
今年に入ってずーっと不安定な天気のように思えます。鹿児島も、そうなんだそうです。
名瀬17 19.0 4.5 北 4 86 無し 1012.0

2004.11.23
ソテツざんしょ 再




霧と雲と靄(もや)どう違う。

2005年02月17日 | 気象 お天気
050217-1
11 17.8 5.0 東南東 1 87 無し 1014.9

名瀬11時気温17.8度、湿度87%でした。
ここは知名瀬、あの山を登って名瀬の長浜町に引き返します。およそ40分。
霧と雲と靄(もや)は違わない?。
そろそろ、東京からの直行便1953便が奄美空港に着陸する時刻。11時15分。飛行機に乗らずにそれを確かめる。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) 霧
050217-2

050217-3

050217-4
奄美大島は亜熱帯です。観光客の人にとっては、めずらし植物などがいっぱい。成長が早いので面白い形をしているものもある。鳥や蝶トンボなども固有種が多い。
050217-5
奄美ではめずらしい、杉がわずかに見えますが、奄美ではよほどの過敏症でない限り、花粉症の心配はないと思います。写真中央の白い部分は道路とガードレールです。ここは観光バスも通ります。
050217-6
尾根道までの林道は舗装してあります。尾根道はところどころ、土砂を入れて補修されているので、数年前よりは少し走りやすくなりました。それでも、地元の人でも始めての人は、途中で何度も引き返したくなる道です。
結局、これは、霧?。やっぱりそれぞれ違う霧と雲と靄(もや)。








キャベツをいただき、ありがとうございます。

2005年02月16日 | お客さん
050216-kyabetuキャベツをいただきました。
ありがとうございます。空港近くの無人販売所で買ってきたのだそうです。
今日は奄美パークは定休日だったそうだ。残念。






無人販売所

赤尾木をすぎ、空港が近くなると増える。
県道の両脇にいくつかある。
畳半分か、一枚くらいの片屋根の建物に棚。
たぶん後ろの畑で獲れた野菜や花が主。夏はスイカもある。
春はグラジオラス、ユリ、ほかランなど。
カラッポの時もある。
たまに、おばあちゃんがいる時もある。
たくさん買うと、「これももって行きなさい」と言っておまけをくれる時もある。
感激ぶりがいいと、もうひとつ、もらえる場合がある、かもしれない。
おいしい食べ方を聞くと、短い単語で教えてくれる。
どこから来たのね、とかあまり聞かない。
おばあちゃんは、作業服姿の場合が多い。
(厚着をしていると風邪をひいたように見える。)
近くで、おじいちゃんは、軽トラックで帰りの準備をしていたりする。
荷台にあるビールケースは腰掛けに使うのかも知れない。
ヤンマーディゼルか、名瀬の塗料販売店の帽子をかぶっている
ことがある。物知りの人だったりする。

常時人がいて、加工食品などを売っているところもある。
自分の他にお客さんがいたら、反対車線から
三台目の車がやってきたりする。
宅急便ののぼりがあることもある。

羽田に着いたら貴重に思えたりする。



スモモの花満開 Sumomo

2005年02月15日 | 植物
050215-sumomo-1

050215-sumomo-2Sumomo は植物
被子植物
双子葉植物
バラ
バラ
サクラ
スモモ()というのだそうです。ふーんと言って忘れる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』スモモ

5月から6月にかけて「奄美プラム」として出荷されます。
去年のウェブログはないので、わかりませんが、今年の開花はすこし早いかも。
民家の庭のヒカンサクラも満開。

夕方気温上がり、最高気温23.2度を記録した。
17 23.0 無し 南 4 72 無し 1015.7
風も冷たくない風。







『奄美の歴史と年表』

2005年02月14日 | 本と雑誌
050214-amaminorekisi最近、奄美に関する新刊本の出版も増えた。もう読みきれん。
それら専門書の理解のためにも通史(古代から現代までを通した歴史)が必要。

遺跡の発掘調査、歴史の新資料の発見が相次いでいる。

『名瀬市誌』は分厚すぎて読み通しきれんと言う人に、本屋さんもおすすめの本がこれ。(インターネットでの取材だけでは気がひける?という人にもおすすめ)

~改訂新版~『奄美の歴史と年表』
徳之島郷土研究会 穂積重信 編著(第三版)
2000年9月発行B5版295ページ3500円

いつもの名瀬市内の新刊書店では、もう見かけなくなりました。郷土史の本は、はやく買っておいたほうがいいよ、と本屋さんは言います。図書館で借りる。

「年表」で敬遠してはいけません。豊富な写真、イラスト、地図、ふりがな、親切な説明、資料編も充実していて、子供から大人まで読みやすい。

奄美を離れて暮らす奄美ゆかりの人、奄美に移り住んだ人、奄美に興味のある人たちも、奄美の歴史や民俗をもっと知りたいという人が増えた。

南島は奄美だけではないが、知れば知るほど深い。本当かどうか、うかうかしておれないので読んでみる。

Googleで奄美の歴史と年表 を検索
8件とは少なすぎる。