694年、持統天皇が飛鳥より遷都してこの橿原の地に藤原宮で施政し、平城京へ遷都するまでの16年間が、日本の政治の中心地であった。
平城宮跡のように門や大極殿の復元はされていないけれど、内裏跡にはには赤い柱列が建てられて、当時の都の面影を偲ぶよすがとなっている。 その1画では、今も発掘調査が続けられている。
日にち薬とはよく言ったもので、腰痛が発症してから11日目の今日は、今までよりずっと楽になり、コルセットをはずしても生活に支障がなく、今まで当たり前だったことが、こんなにありがたいものだとつくづく思い知った日常になった。
昨日橿原市の藤原宮跡へ連れて行ってくれた友人から、 「今日の調子はどう?」と先ほど電話があった。私から報告しなければならないのに・・・
大和三山に囲まれた藤原宮跡の広大な土地には、古の建物の姿は復元されていないけれど、「春、夏、秋、ゾーン」として季節ごとに花を楽しませてくれているので、同じ場所であっても、毎年その季節にはここを訪れ、咲く花とともに、今年もまたここに来ることができたという「生きている」実感を美しい花に包まれた環境の中で思う。
大和三山のうちで一番低い香具山
右端に少し写っている砂山のような所は、現在発掘調査が行われている場所。
ことに今年は、思いがけない腰痛に家の中に閉じこもっているような日が続いたので、こうして友人の車でここまで運んでもらい、友人が所用を済ませる間の1時間半ばかりを、「自由に好きなだけ、花に遊んでもらっておいで。」と言ってこの地に立たせてもらえたのは、腰痛回復のお薬のようなものだったと、今は思っている。
遠くにある台風のせいだろうか、風がとても強くて、片手で帽子を抑えながら、風に靡いて揺れる花の動きも、風の音楽にのってのコスモスの遊びがとても楽しい。
今年になって、初めてコスモスを撮ったのは、家の近くの休耕田だった。それが今年の「コスモスパート1」で、次は斑鳩の里法起寺のコスモスだった。・・・「コスモスパート2」。今回の藤原宮跡は「コスモスパート3」となった。
藤原宮跡のコスモスは今回 「内裏跡の赤い柱列」をテーマに撮った写真の整理をした。あと少しテーマをかえて大好きなコスモスと遊んでみたい。