カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

行者の道を歩けば

2014年08月23日 | ☆ ふるさと・大和

 

ごろごろ水の採水場で水を汲んだ後、いつもはさらにかみの方へ走り、大峰山の女人結界門辺りまでドライブしてくるのですが、今回は行者の道の標識から、しばらく歩いてみました。

 

手入れの行き届いた杉林を左に見て歩きます。下刈りも間伐もきちんとできていますので、木洩れ日が林の中に適当に入り、杉の木のいい育ち具合が見られます。

 

 

 

 

杉林の切れる頃、自然石に彫り込んだいくつもの石標が並んでいます。年月が経っているのは、文字の彫にも苔が宿っているようで、はっきりとは読み取れませんが、大峰山信仰の講の人たちの 登山記念に建立された石標のようでした。

 

  

しばらく歩きますと、右側に延命地蔵尊をお祀りしたお堂があります。

周りの囲いが錫杖で何本も立派に囲んでいるのは、これから修行の山へ登る人たちの安全の願いか、いろんな祈願を、このお地蔵さんにして祈りの道を歩んでいかかれるのだろうと思いながら、手を合わせました。

 

 

 

何十回この道を通りながら、「大峯山一之行場」が嫁ヶ茶屋 の横から山上川にむっかって降りていく急な石段のあることに気が付きませんでした。

 一之行場(いちのぎょうば)
 役行者が十戒一如の修行時の仮の住まいとなされた跡で、役行者が大峯開山の際に「一の行場」として開いた洞窟です
蟷螂(とうろう)とはカマキリとも読み、天上の低い洞窟を腰を屈めて入っていく修験者の姿がカマキリの歩く姿に似ていることから名づけられたようです。あまり反り繰り返って歩いていると頭を打ちやすい、人生頭を低くして生きるべしということを、身をもって知る修行の場として現在も多くの人が訪れます。
 役行者が大峰山を開いた際に、仮の住まいとして籠もり修行をしていたとされる洞窟です。
 蝙蝠(こうもり)とは、その「籠もり」と洞内に棲んでいたコウモリを掛けて名づけられたようです。
また、岩燕の越冬地としても有名で奈良の天然記念物に指定されています。
 

戸開けは大嶺と同じであり5月3日。戸閉めは9月23日
 女性の一日修行参拝が多くて、参拝登山時間は往復約3時間程度 最終の洞窟の胎内くぐり等の行場は好評で一年に一度参拝する方が多い女性ににも開かれた行場だそうです。

 

 

 

   

この一の行場のある所は「大峯蛇の倉七尾山」です。

蟷螂の岩谷
日照山、または七尾山とよばれて、役行者による大峯山修行の起源となった山岳宗教発祥の霊山と云われてます。
 今から千年前、この大峯の蟷螂の岩屋と云うところに二匹の大蛇が棲息し、住民や登山の諸民を苦しめていました。修験道中興の祖・聖宝理源大師がその雄を退治しましたが、一匹が山中の洞窟に逃込みました。すると奥の院に摩王大権現が現れ、一般諸人が洞窟に近づくのを禁じ、龍神をお守り神とすることを厳命したため、以後世諸人が近づくことは出来ませんでした。昭和二十七年に再び開山され、奥の院への入洞が許されるようになったと云うことです。
  

 

洞川では第一の目的が「ごろごろ水」の採水で、温泉街を車で通過して、蛇の倉七尾山も自然通過をしてきたのですが、この日は採水の後、少し歩いたことによって、大峯山のことを一つ、目に触れて知ることができました。

  

山道を歩くと優しい山の花との出会いもありました。

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コメント (2)
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