カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

あの日 そして

2015年01月10日 | ★ 日々の呟き

 

 

昨年の12月24日の事です。午前中に軽井沢の弟に頼まれた買い物をして、送りの依頼も済ませ、午後からは年賀状を印刷する予定をしていました。そこまでは平常と少しの変りもなかったのです 。異変は突然起こりました。軽井沢の義妹からの電話中に何の予告もなく急に胸が悪くなりましたので、「ちょっとしんどいから、後で電話するわ。」そう言ってトイレに走り込みました。激しい嘔吐に体中の水分がなくなってしまうのではないかという不安で、トイレの前の廊下にへたり込んでしまいました。

30年前の夏休み、大きな手術をして退院できた1週間後の状態と全く同じだと気が付きました。あの時はまだ若かったし実家の母に電話をしてきてもらう力もあって、母は私の様子と退院後すぐの出来事だったものですから、病院への搬送をすぐ救急車に頼んでくれました。

その時の病名は「術後イレウス」・麻酔による癒着で腸閉塞を起こしているとのことでした。1週間絶食と点滴で腸の働きもよくなり退院し2学期から職場に戻ることができました。その後30年間は全く健康でしたので、嘔吐の苦しみは1度もなく、すっかり忘れていたくらいでした。

所が激しい嘔吐の連続で30年前の事と同じ状態を思い出し、廊下に座り込んだまま、電話をする力さえなくなって不安ばかりが一層募るのでした。

そんな時勤めに出ていた息子が、「どないしたん」と離れに飛び込んできてくれました。

誰にも知らせるすべもなく動けなかったのに・・・。

後でわかったのですが、軽井沢の義妹が「姉さんの様子がおかしい」と電話の向こうで気が付いて、大阪の娘のところに電話をし、娘から兄に携帯で連絡して、それを聴いて息子がすぐ職場から駆けつけてくれたそうです。

もし軽井沢と私と電話中でない時に、急変が起こっていたら私は廊下に倒れたまま脱水状態で、どうなっていたかと思うとすべてが幸いしたことに、偶然でない何かに助けられたように感謝感謝の気持ちでいっぱいです。

救急車に乗るまでに、今飲んでいる薬、お薬手帳、保険証などバックに入れておいてくれました。

バック以外に何も持たずに緊急入院となりましたので、その後の入院生活でいるものなど、息子、娘、孫たちにどれだけ助けられたかわかりません。つくづく身内や知人友人の手助けの有難さを身に染みて感じたあの日の出来事でした。

コメント (6)
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