往生院には阿弥陀三尊が、ご本尊として祀られています。太子の念仏精神を今日に生かさんとして、念仏写経道場として平成9年に再建された新しい道場です。写経だけでなく、多目的道場として活用されているそうです。
往生院の仏様にお参りするのは3度目で、初めてお参りしたときには、天井画の美しさにすっかり心を奪われて、場所を移しながら小1時間ばかりも、ここでてんじょうの華の下で過ごしたような記憶があります。260点の華が、華を見つめる私を見守ってくれたような時間でした。
不遜な姿勢で、仏様には申し訳なく思いますが、正座することを医師から止められている私は、この道場で仏様を頭方向にして、寝転んで天井画を飽くことなく見つめておられたら、「御仏のぬくみに包まれ」る至福の時じゃないかと、四方から華天井の画像をカメラに頂きながら、確かどこかのお寺でそのような華天井の鑑賞をしたのを思い出していました。
前回の記事から懐かしく拝見しています。
往生院の花天井、このようにまとめると迫力がありますね。私がUPしたのは一枚か二枚だけだったと思いますが、どの花もとても美しかったことが強く印象に残っています。
往生院の華天井を寝転んでじっくり見たいものだとつくづく思います。
こんな発想は私くらいなのでしょうね。
お訪ね、コメントありがとうございました。
綺麗で、静かなお堂の中で、暑さの中での踏査の疲れを癒していただきました。
その時に、本堂に書いてあったタジマモリの歌の話しで盛り上がったのですが、両親の年代しか習っていないとのことでした。教授の鶴の一声で母に電話で聞いてみると、ドンピシャ。すぐに歌ってくれました。
天井画を拝見した時でしたので、芋づる式に記憶がでてきました。
…何をみても、母に繋がってしまいますね。
気持ちはいつでも、踏査で回った頃に戻ります。でも、あの暑い暑い踏査は、もうむりだなぁ、と思うアラフォーのお母ちゃんになっちゃいました。
天皇のために不老不死の求めていった彼は、10年の苦労のすえやっと持ち帰ったのが橘の実。きっとお母様のそのことを学ばれた世代だったのですね。
こうして何かにつけなくなったお母様を思い出すことは、大きな供養になるのだと思います。
今夜も賑やかにバーベキューをしながら、息子のお嫁さんの話題がでてきます。
それぞれの心の中に生きているのですよね。
こんなことができるなんて・・他に例がありません
コメント数字も9999でおめでたい一日になりま
した
至福の時間を得られそうです。
一つの限のような3000回が無事通過して、少し気抜けをしたような1日が過ぎました。