


画像








18年1月8日という日を手帳の行事欄に書き込んだが、返信はがきを出したのは、かなり後だった。
私を躊躇わせたのは、正座できない膝のせいだった。
会場は座敷であることは、ここをよく利用していたので知っていた。
新卒間もない頃の最初の勤務先、20歳代に教えた子達には是非会いたい。

「行って良かった。この子達には、本当に会いたかったのだ」
一人一人、自己紹介をしてくれる52歳の笑顔に、話し方に、思い出話に、その子達の小学校の頃の面影が、次第に浮かび上がってくる。
短い話の中に、さまざまな生き様を辿っての今日のあることに、頷きながら、一言も聞き漏らすまいと耳を傾けた。
会食のご馳走にお箸をつけることも忘れて、あちこちで話が弾む。
回ってきてくれる子達と話しているうちに、「この子達だったんだ。学年の途中で病気で亡くなった友達の命日ごとにお墓で歌を歌ったのは」・・・
あの時、毎年電話で連絡してくれたI君も、この日出席をしていた。
お墓で分かれて以来初めての出会いである。優しい笑顔には変わりがない。
孫のいるという子も、何人かいたのだから、私も、歳を重ねるはずだと 今は思っているが、この同窓会の間中、若い日の自分に戻り、小学生だった子達との語らいに、和みの時間をいっぱい頂き、ほのぼのとした温かさに包まれた同窓会だった。
まさに、38年ぶりのデートのように、心が熱く燃える会だった。
招待して下さった教え子たちに感謝、感謝である。
ハートとハートに付き合いが、何年経ってもお互いに、片隅のほうで呼び合っているのでしょうね。
年齢と共に、懐かしさが大きくなりますね。
その時、瞬時にして、若かった時代に戻してくれます。そして、まだ若いのではないだろうかと錯角をします。
自分自身のクラス会も一気に昔に戻してくれるけれども、子どもの場合は、先生よりも歳のいった風貌の子がいたりする。
「青は藍より出でて藍よりも青し」と言うのが好きでした。
女の子に多いが、大変綺麗になって、道で出会っても絶対に判らないという子がいる。
最近、あの時こうだったと聞いて初めて、ぞろぞろと記憶の糸が辿れたりする。
そして会が果ててから、そうだったんだと次第に思い出すことが増えてきます。
今や、こちらが一杯世話になっています。
高校時代の生徒としての参加です。
先生は、風邪とのことで欠席でした。
先生の立場で参加は、面倒なだけかと思うが、そうではないのですね♪
58歳でも「この子達♪」
いつまでも続くといいですね
こんな風にして、社会や家庭で活躍している教え子に会えることは、自分の歩んできた道をしみじみと嬉しく思いますね。
1学年二クラスの小規模な学校だったので、合同での集まりでしたが、皆同じように懐かしい思い出の中の子達であることを実感しました。
私の方も、この子達が、1ねんから6年までの間に担任された先生に案内したようですが、参加できたのは4名だけで、体調が悪かったりする方が不参加でした。
高齢になると、そういうことを抱えて暮らしているのだと思うと、膝の痛みを乗り越えて参加できた身を幸せと思わずにはいられませんでした。
良いクラス会でよかったですね~anikobeさんは、人気のあるとてもよい先生だったのでしょう。小学校の、時の先生は本当に忘れられないものです。私たちも、先生がなくなるまで毎年一緒に旅行に行ったり、新年会をしていました。5人のグループでしたけど、
先生も私たちのところでは安心して日ごろのストレス解消していたのを覚えています。
この子達のうちクラス替えがあってもまた担任して、4年間も縁の合った子が何人かいます。
小学校6年のうち二人の先生としか出会わなかったわけですよね。
何か申し訳ない思いがしますが、それだけに、沢山の思い出もあります。
教職についている子も何人かいて、次世代の人育てに関わっているのも頼もしく思えました。
cookieさんも、先生といい関係にあったのですね。
見れば、自宅の離れが昨年全焼して
用意した年賀状や住所録が無くなったので
遅れて出しましたとありました。
卒業以来、その先生とは同窓会に1回お呼びしましたが教え子とイザコザがありそれ以来開いておりません。
寂しくて侘しい事です。
でもその先生、遅れても、きちんと
出すべき人に欠かす事無く年賀状を
出されるお人柄。
人間関係がうまくいかない何かが
あったのでしょうね。
感動しました。 表現する 言葉がみつかりません。
いつだたか、anikobe さんに、「怖い先生だったのでしょうね?」 と伺いましたら、
チョーク 投げましたよ (>_<) 何度も、と、お返事が返って参りましたね。
私は 投げられた方ですが! とお答えしたのを思い出しました。
今日は、ちょっと ギスギス しておりましたので、ほんと 気持が 和みました。
チョーク 投げましたよ 何度も、とお返事が返って参りましたね。
私は、投げられた方ですが とお答えしたのを思い出しました。
今日は、ちょっと ギスギス しておりましたので、ほんと、気持が和みました。
PS ↑ のコメント 怒った 顔文字 使うとそこから 切れるみたいですが? この記号が いけないのかしら?