今日はちょっと気合いを入れて、押し入れの掃除に一日を費やした。段ボール箱の中をチラッと見て、どこへ置くのかを決めるのだが、その箱の中身がアルバムや思い出の品の場合は、そこで手が止まる。(そんな訳だから、残念ながらすべてが終わったわけではない。あと3日は必要な状態。)
今日見た箱には、息子が幼稚園の頃のものがいっぱい詰まっていた。
息子の通っていた幼稚園では、年6回は手刷りの冊子(各号、各クラスから3名ずつの保護者の文章が載る‥だからみんな、在園2年の間で1回は執筆しなければならない)、年1回は印刷屋さんのちゃんとした冊子(こちらには全園児の保護者の文章と子どもとのツーショットの写真が載る)を広報部が発行していた。すべてモノクロ。
私は息子が年中の時に、「1年を振り返って」というテーマでの執筆を依頼された。
以下は15年以上も前の私の文章。
「生きているって楽しいな」
入園してからの最大の変化は、家族そろって「早寝早起き」という人並の生活ができるようになったこと。驚くほどスムースに適応できた。
図書館に近い所に引っ越したおかげで、この一年はよく絵本を借りてりて読んだ。市民図書館で出会った年中組のT・K君に「この本おもしろいよ。」と教えてもらった「汽車の絵本(トーマス)」のシリーズ、おみやげにもらって統んだ「エルマー」のシリーズは特に気に入っている様子。かなり長い絵本なので喉が嗄れるが、読んでいる私も結構おもしろくて絵本の世界に引きずり込まれる。
冬休み前までは、園でも家でも折り紙を山のように作った。本を見て作っているうちに、オリジナル作品もできあがった。「折り紙を卒業するのはいつかしら」と思って見ていたが、最近あまり折らなくなった。もっか年長組のS・K君に教えてもらったカードゲームのUNOに夢中。包丁を使うのもうまくなり、人参のみじん切りなどなかなかのもの。日曜日の朝はよくホットケーキを作ってくれる。道具の準備、計量、焼くという作業をほとんどひとりでやれるというのがすばらしい。
できないこともいっぱいある。それが、ほとんどのこどもができることである場合には、親として「なんであの子にはできないのだろう。」とつい心の中では呟く。しかし、一年前にはできなかったことが今では難なくできているという姿をみると、こちらがあせって「頑張りなさい。」と言うことでもないと思えるようになった。幼い頃無理やり何かを強いられたことのない幸せな時間を私ももてたのだから。
毎週木曜の夕方、やおやさんが「みかんの花が~」と音楽を流しながら車でやってくる。軽快なメロディを聞きつけては「今日は何を買うの?早く書いて。」と言いながら紙とペンをもってくる。「いつもお世話になります。みかん一袋、じゃがいも五個、たまねぎ三個ください。1000円持たせます。122号 ○○」と書いて、1000円札一枚といっしょに手渡すと、パッと小走りで出掛ける。しばらくして「あ~重かった。」という声とともに、段ポールに入れてもらった野菜を床の上にドサッ。おつりを包んである紙には、おじさんの字で「みかん一袋 500円、じゃがいも なし、たまねぎ 80円、合計580円、おつり420円」とある。このやおやさんのおかげで、私も安心して買い物に行ってもらえるから大助かり。ひとりで買い物に行く楽しみが味わえ、優しいおじさんからりんごやトマトなどのお駄賃までもらえるこの木曜日の夕方を、こどもは心待ちにしているようである。
幼稚園の友達や先生方をはじめとして、周りのさまざまな人達によって支えられ、のびやかに育ててもらっていることに、深く感謝する今日この頃である。「生きているって楽しいな」と感じられる瞬間がたくさんある幼年時代を過ごせたら最高だ。
他の人たちは「です」「ます」体で執筆されている中、私だけ「だ」「である」体。更に皆さん自筆なのに、私だけワープロ字。
内容はともかく、今私が書いているこのブログの文章もこんな感じのものだということは、文章力は歳と共に上達するものでもないということなのか‥とか思いながら、懐かしく読み返した。
自分の書いた文章は、日常的に見ることはないが、今までいろんなところに掲載されたものは押し入れの中のどこかの箱の中に詰め込んである。
それは、大掃除を頑張った私への「ご褒美」のように現れ、旧きよき時代へと誘ってくれる。
今日見た箱には、息子が幼稚園の頃のものがいっぱい詰まっていた。
息子の通っていた幼稚園では、年6回は手刷りの冊子(各号、各クラスから3名ずつの保護者の文章が載る‥だからみんな、在園2年の間で1回は執筆しなければならない)、年1回は印刷屋さんのちゃんとした冊子(こちらには全園児の保護者の文章と子どもとのツーショットの写真が載る)を広報部が発行していた。すべてモノクロ。
私は息子が年中の時に、「1年を振り返って」というテーマでの執筆を依頼された。
以下は15年以上も前の私の文章。
「生きているって楽しいな」
入園してからの最大の変化は、家族そろって「早寝早起き」という人並の生活ができるようになったこと。驚くほどスムースに適応できた。
図書館に近い所に引っ越したおかげで、この一年はよく絵本を借りてりて読んだ。市民図書館で出会った年中組のT・K君に「この本おもしろいよ。」と教えてもらった「汽車の絵本(トーマス)」のシリーズ、おみやげにもらって統んだ「エルマー」のシリーズは特に気に入っている様子。かなり長い絵本なので喉が嗄れるが、読んでいる私も結構おもしろくて絵本の世界に引きずり込まれる。
冬休み前までは、園でも家でも折り紙を山のように作った。本を見て作っているうちに、オリジナル作品もできあがった。「折り紙を卒業するのはいつかしら」と思って見ていたが、最近あまり折らなくなった。もっか年長組のS・K君に教えてもらったカードゲームのUNOに夢中。包丁を使うのもうまくなり、人参のみじん切りなどなかなかのもの。日曜日の朝はよくホットケーキを作ってくれる。道具の準備、計量、焼くという作業をほとんどひとりでやれるというのがすばらしい。
できないこともいっぱいある。それが、ほとんどのこどもができることである場合には、親として「なんであの子にはできないのだろう。」とつい心の中では呟く。しかし、一年前にはできなかったことが今では難なくできているという姿をみると、こちらがあせって「頑張りなさい。」と言うことでもないと思えるようになった。幼い頃無理やり何かを強いられたことのない幸せな時間を私ももてたのだから。
毎週木曜の夕方、やおやさんが「みかんの花が~」と音楽を流しながら車でやってくる。軽快なメロディを聞きつけては「今日は何を買うの?早く書いて。」と言いながら紙とペンをもってくる。「いつもお世話になります。みかん一袋、じゃがいも五個、たまねぎ三個ください。1000円持たせます。122号 ○○」と書いて、1000円札一枚といっしょに手渡すと、パッと小走りで出掛ける。しばらくして「あ~重かった。」という声とともに、段ポールに入れてもらった野菜を床の上にドサッ。おつりを包んである紙には、おじさんの字で「みかん一袋 500円、じゃがいも なし、たまねぎ 80円、合計580円、おつり420円」とある。このやおやさんのおかげで、私も安心して買い物に行ってもらえるから大助かり。ひとりで買い物に行く楽しみが味わえ、優しいおじさんからりんごやトマトなどのお駄賃までもらえるこの木曜日の夕方を、こどもは心待ちにしているようである。
幼稚園の友達や先生方をはじめとして、周りのさまざまな人達によって支えられ、のびやかに育ててもらっていることに、深く感謝する今日この頃である。「生きているって楽しいな」と感じられる瞬間がたくさんある幼年時代を過ごせたら最高だ。
他の人たちは「です」「ます」体で執筆されている中、私だけ「だ」「である」体。更に皆さん自筆なのに、私だけワープロ字。
内容はともかく、今私が書いているこのブログの文章もこんな感じのものだということは、文章力は歳と共に上達するものでもないということなのか‥とか思いながら、懐かしく読み返した。
自分の書いた文章は、日常的に見ることはないが、今までいろんなところに掲載されたものは押し入れの中のどこかの箱の中に詰め込んである。
それは、大掃除を頑張った私への「ご褒美」のように現れ、旧きよき時代へと誘ってくれる。