幕末に旧東海道と橫濱開港地とを結ぶ道として拓かれた“橫濱道”から分岐して、保土ヶ谷とを結んでゐた“保土ヶ谷道”を辿り、國道壱號線に行き當たったところで、國道沿ひの杉山神社に遺る「怪力石灯籠」を一見せばやと、存じ候。
本殿へ通じる石段の両脇に建つのが件の石灯籠にて、今は昔、江戸の講中が伊勢神宮へ石灯籠を奉納せんと荷車に乗せ、牛に牽かせて保土ヶ谷までやって来たところで荷車が動かなくなり、牛を付け替へたがやはり動かず、挙げ句に牛が杉山神社へ逃げ込むに至り、こは神慮なるらんと、一對の石灯籠をそのまま杉山社へ奉納云々、裏側に“伊勢大神宮”と刻まれてゐるのはさうした謂はれ因縁故事来歴。
石灯籠がなにか怪力ぶりを發揮したと云ふより、牛が牽けぬほどの重量を見せつけたと云ふ噺であり、なにか怪異譚を期待してゐた私にはやや肩透かしを喰らわされたやうな。
(※杉山社本殿)
路面が土だった江戸時代、保土ヶ谷あたりは特に状態が惡かったと云ふ話しもあるやうだが、やはり私は、神威のなせる業であったと、信じる。