横浜都市発展記念館にて、「奥村泰宏・常盤とよ子写真展 戦後横浜に生きる」を見る。
第二次大戦に敗れた後、横浜は中心部の多くを占領軍に接収され、都市としての機能が著しく損なわれた。
そんな昭和20年代の横浜に生きる々を、克明にカメラに写し取って歩ひたのが、アマチュア写真家の奥村泰宏氏と、その妻である常盤とよ子氏だった。
かつて自分たちが爆撃して破壊した街を、我が物顔で闊歩する異國兵たち、
その異國兵たちに生きる糧を求め、卑屈を微笑に包み込んで歩み寄る日本人、
かたや、虚ろな表情で立ちつくす復員兵──
日本は戦争に負けたといふ現実を、私たちは改めて突き付けられる。
そして、“鬼畜米英”を叩き込まれた日本の若者を洗脳するため、米國は盛んに彼らにジャズを聴かせた──
以前に高座で聴ひた川柳川柳師の話しも、脳裏をよぎる。
赤線地帯の街頭で、まだ年若い娼婦に戯れかかる黒人兵、
そしてその結果の、「混血児」──
日本人は、あの時代から何も変わらなくなってしまった。
ただひとつ、あの時代と現在(いま)との違ひは、
それが彼女たちの本心からであったかどうか、
といふことだ。
かくして横浜には、明治と昭和の二度、「外国人居留地」が存在したのである。
第二次大戦に敗れた後、横浜は中心部の多くを占領軍に接収され、都市としての機能が著しく損なわれた。
そんな昭和20年代の横浜に生きる々を、克明にカメラに写し取って歩ひたのが、アマチュア写真家の奥村泰宏氏と、その妻である常盤とよ子氏だった。
かつて自分たちが爆撃して破壊した街を、我が物顔で闊歩する異國兵たち、
その異國兵たちに生きる糧を求め、卑屈を微笑に包み込んで歩み寄る日本人、
かたや、虚ろな表情で立ちつくす復員兵──
日本は戦争に負けたといふ現実を、私たちは改めて突き付けられる。
そして、“鬼畜米英”を叩き込まれた日本の若者を洗脳するため、米國は盛んに彼らにジャズを聴かせた──
以前に高座で聴ひた川柳川柳師の話しも、脳裏をよぎる。
赤線地帯の街頭で、まだ年若い娼婦に戯れかかる黒人兵、
そしてその結果の、「混血児」──
日本人は、あの時代から何も変わらなくなってしまった。
ただひとつ、あの時代と現在(いま)との違ひは、
それが彼女たちの本心からであったかどうか、
といふことだ。
かくして横浜には、明治と昭和の二度、「外国人居留地」が存在したのである。