(スーダンの首都ハルツームの軍本部前で、シュプレヒコールを上げるデモ隊(2019年4月6日撮影)【4月7日 AFP】)
【生活苦が抗議デモの引き金に】
2010年12月10日、北アフリカ・チュニジアの一青年の焼身自殺を契機にアラブ世界に広がった「アラブの春」は、発祥国チュニジアでは一定の成果を維持しているものの、その他の国々ではシリア・イエメン・リビアなど、内戦・混乱を惹起する結果に終わったとされています。
しかし、強権的・独裁的政治体制が続き、インフレ・失業などの住民の生活苦が改善されないまま放置されれば、同様の抗議運動は繰り返されます。
今また、アルジェリアやスーダンなどで生活苦を改善できない長期政権に対する抗議の動きが起きており、「アラブの春」の再来の兆しと見る向きもあります。
このうちアルジェリアでは、長期政権を維持してきたブーテフリカ大統領が辞任に追い込まれたのは周知のところですが、下記記事はその辞任発表以前に書かれたものです。
****「アラブの春」再び? 中東で広がる抗議デモの嵐****
アラブ諸国では政府への抗議デモが各地で発生しており、その背景には生活苦がある。2011年に発生した政治変動「アラブの春」はその後、シリア内戦や「イスラーム国」(IS)台頭を引き起こしたが、今回の各地での抗議デモも地域の不安定化材料になる危険性を抱えている。
82歳の大統領
中東・北アフリカでは政府への抗議デモが広がっている。そのうちの一つ、アルジェリアでは3月8日、ブーテフリカ大統領の辞任を求める数万人のデモが首都アルジェで発生し、195人以上の逮捕者を出した。
82歳と高齢のブーテフリカ氏は1999年から大統領の座にあり、2013年に脳梗塞で倒れて以来、車いす生活を送っている。しかし、それ以前と同様、公の場に出るときには灼熱のさなかでも常にスリーピースのスーツを欠かさない。
抗議デモのきっかけは、4月に行われる大統領選挙に、ブーテフリカ氏が出馬を表明したことだった。高齢であるうえ、健康状態さえ疑わしいブーテフリカ大統領による長期政権には、とりわけ若い世代からの批判が目立つ。
広がる批判に、ブーテフリカ氏は大統領選挙に立候補するとしながらも、「任期を全うするつもりはない」とも述べ、任期途中で降板することを示唆した。
つまり、「すぐ辞めるから5期目の入り口だけは認めてくれ」ということだが、任期途中で辞める前提で立候補するという支離滅裂さは、それだけブーテフリカ政権への批判の高まりを象徴する。
黄色いベストの販売を禁止
抗議デモが広がるのはアルジェリアだけではない。
政府への抗議デモは、昨年末あたりから中東・北アフリカの各地で発生しているが、とりわけ先月からはスーダン、ヨルダン、エジプト、モロッコなどで治安部隊との衝突も相次いでいる。
このうち、エジプトではフランスで発生した「イエロー・ベスト」の波及を恐れ、昨年末に政府が黄色いベストの販売を禁止している。
また、スーダンではバシール大統領が2月23日、1年間の非常事態を宣言。これによって、「治安を乱す」デモに対する発砲や、デモ参加者を裁判や令状なしで拘留することも可能になった。
アルジェリアの生活苦
こうしたデモの広がりの背景には、生活苦がある。単純化するため、アルジェリアに絞ってみていこう。
アルジェリアはアフリカ大陸有数の産油国だが、そのGDP成長率は2010年代を通じて緩やかに減少し続け、2018年段階で2.5パーセントだった。
この水準は、伸びしろの小さい先進国なら御の字だが、開発途上国としては決して高くない。
資源が豊富であることは、資源の国際価格によって経済が左右されることを意味する。2014年に資源価格が急落して以来、アルジェリアをはじめ、この地域の各国の経済にはブレーキがかかっている。
これと連動して、物価も上昇しており、昨年の平均インフレ率は10パーセントを超え、今年に入ってリーマンショック後の最高水準に近付きつつある。
さらに、資源経済は雇用をあまり生まないため、失業率は下げ止まっており、昨年段階で11.6パーセントだった。これだけでもかなり高い水準だが、世界銀行の統計によると、15~24歳の失業率(2017)は24パーセントで、ほぼ倍だった。
冒頭で述べたように、ブーテフリカ大統領に対する抗議デモには若者が目立つことは、これらをみれば不思議ではない。
それぞれで事情は多少異なるものの、基本的にはどの国でも、こうした生活苦が抗議デモの引き金になっている。
「アラブの春」前夜との類似性
こうして広がる抗議デモには、「アラブの春」との類似性が見て取れる。
2011年の「アラブの春」は、2010年末にチュニジアで抗議デモの拡大によってベン・アリ大統領(当時)が失脚したことに端を発し、同様に各国で「独裁者」を打ち倒すことを目指して拡大した。
その背景には、アラブ諸国で民主化が遅れていたことなどの政治的要因もあったが、少なくともきっかけになったのは生活の困窮への不満だった。その引き金は、2008年のリーマンショックにあった。
2000年代の資源価格の高騰は、中東・北アフリカ向けの投資を急増させ、インフレを引き起こしていた。ところが、2008年のリーマンショック後、海外からの投資が急に引き上げたことで、これら各国では急速にデフレが進行した。
海外の資金に左右される、もろい経済構造のもと、生活を振り回される人々の怒りは、国民生活を放置し、利権と汚職に浸る権力者に向かったのだ。
こうしてみたとき、2014年に資源価格が急落して以来、資源頼みの経済に大きくブレーキがかかる現在の状況は、「アラブの春」前夜と共通するところが目立つ。
4つのシナリオ
それでは、2010年前後を思い起こさせる国民の大規模な抗議は、中東・北アフリカに何をもたらすのだろうか。「アラブの春」の場合、大規模な抗議デモの行き着いた先は、大きく4つある。
・抗議デモの高まりで「独裁者」が失脚する(チュニジア、エジプト、リビア、イエメンなど)
・大きな政治変動は発生しないが、政府が政治改革を行うことで事態を収拾する(モロッコ、ヨルダンなど)
・政治改革はほぼゼロで、最低賃金の引き上げなどの「アメ」と鎮圧の「ムチ」でデモを抑え込む(アルジェリア、スーダン、サウジアラビアなど)
・「独裁者」が権力を維持したまま反体制派との間で内乱に陥る(シリア)
今回、抗議デモが発生している各国がこれらのどのパターンをたどるかは予断を許さないが、なかでも注目すべきはアルジェリアとスーダンの行方だ。
アルジェリアとスーダンでは「アラブの春」で抗議デモに見舞われた「独裁者」が、「アメとムチ」でこれを抑え込んだ。その意味で、良くも悪くも政治的に安定してきたといえるが、その両国政府がこれまでになく抗議デモに追い詰められる様子は、盤石にみえた「独裁者」の支配にほころびが入っていることを示唆する。
テロとの戦いへの影響
それだけでなく、アルジェリアとスーダンにおける政治変動は、「テロとの戦い」のなかで、それぞれ大きな意味をもつ。
まず、アルジェリアにはアフリカ屈指のテロ組織「イスラーム・マグレブのアルカイダ」の拠点があり、ブーテフリカ大統領は国内のイスラーム勢力を「過激派」とみなして弾圧することで、西側先進国とも近い距離を保ってきた。
ブーテフリカ大統領は若者が抗議デモを行うこと自体は認めながらも、「そこに紛れている勢力が混沌をもたらしかねない」と過激派の台頭に懸念を示すことで自らの地位を保とうとしている。
これが権力を維持したい「独裁者」の方便であることは疑いない。とはいえ、「独裁者」の支配のタガが緩んだことで、それまで抑え込まれていたイスラーム過激派の活動が活発化したリビアの事例をみれば、ブーテフリカ大統領の主張に一片の真実が含まれていることも確かだ。
一方、スーダンはアルジェリアとは対照的に、アメリカ政府から「テロ支援国家」に指定され、バシール大統領は「人道に対する罪」などで国際刑事裁判所(ICC)から国際指名手配されている。
その意味で、ブーテフリカ大統領と異なり、バシール大統領の失脚は欧米諸国にとって好ましいことだろうが、他方で大きな混乱がイスラーム過激派の活動を容易にするという意味では、スーダンとアルジェリアはほぼ共通する。
シリアの二の舞?
もはや多くの人は記憶していないが、40万人以上の死者を出したシリア内戦は、もともと「アラブの春」のなかで広がった抗議デモをシリア政府が鎮圧するなかで発生した。その混乱は、イスラーム過激派「イスラーム国」(IS)の台頭を促し、560万人以上の難民を生んだ。
そのシリア内戦は、クルド人勢力によるバグズ陥落を目前に控え、終結を迎えつつあるが、そのなかでIS戦闘員の飛散は加速している。IS戦闘員の多くは母国への帰国を目指しているが、なかには新たな戦場を求めて移動する者もある。その一部はフィリピンなどにも流入しているが、アルジェリアやスーダンでの混乱はIS戦闘員に「シリアの次」を提供しかねない。
「秩序」を強調して自らの支配を正当化する「独裁者」の論理と、その打倒を名目に過激派がテロを重ねる状況は、どちらも人々の生活を脅かす点では同じだ。シリア内戦が終結しても、中東・北アフリカの混迷の先はみえないのである。【3月11日 六辻彰二氏 Newsweek】
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【アルジェリア 「(ブーテフリカ氏の辞任後も)デモを続ける」】
アルジェリアについては、先述のようにブーテフリカ大統領の辞任発表に至っていますが、これで収まるのかは定かではありません。
****アルジェリア大統領が辞任 長期政権に抗議デモやまず****
北アフリカ・アルジェリアで4期20年にわたる長期政権を続けてきたブーテフリカ大統領が2日、辞任した。
2013年に脳卒中を患ってからは公の場に姿をほとんど見せてこなかったが、5期目に向けて大統領選に立候補したことに市民が反発し、辞任を求める大規模デモが続いていた。
辞任は国営メディアを通じて報じられた。ブーテフリカ氏は声明で、「国民の心を静め、よりよい未来を共に築くため」と辞任理由を説明した。
抗議運動の広がりを受け、ブーテフリカ氏は5期目への立候補取りやめと大統領選の延期を発表していたが、即時辞任を求める大規模デモはやまなかった。
若者中心のデモ参加者らは、高齢者ばかりの現体制を支えるエリート層に強い不満を示し、抜本的な政治改革を求めている。ロイター通信によると、抗議活動のリーダーは「(ブーテフリカ氏の辞任後も)デモを続ける」と話している。【4月3日 朝日】
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【スーダン バシル大統領の封じ込めにもかかわらず、抗議デモ拡大】
一方、スーダンの情勢も緊迫しています。
****スーダンの反政府デモ、初めて軍本部前に到達 「国民の側に付け」と軍に要求****
スーダンの首都ハルツームで6日、オマル・ハッサン・アハメド・バシル大統領に対する抗議運動のデモ行進が行われ、昨年12月の運動開始後初めて、軍本部前に大勢のデモ隊がたどり着いた。
目撃者によると、デモ隊は「平和、正義、自由」とシュプレヒコールを上げながら、バシル大統領の官邸や国防省も入る軍本部施設に向かって行進した。
デモ参加者のアミール・オメルさんは、「運動の目的はまだ達成できていないが、『われわれの側に付け』というメッセージを軍に届けることはできた」と語った。
医師やジャーナリスト、弁護士らの団体、スーダン専門職組合を中心とするデモ主催者側は先週、6日にデモ行進を実施し、「国民と独裁者、どちらの側に付くのか」態度を明確にするよう軍に求める方針を発表していた。
警察は、首都ハルツームおよび複数の州で「違法な集会」があり、ハルツームに隣接するオムドゥルマン市で起きた騒ぎの中でデモ参加者1人が死亡したと発表した。デモの開催を支援した医師の団体は、死亡したのは医療関係者だったと明らかにした。
これにより、昨年12月に始まった一連のデモに関連して死亡した人は当局発表で32人になったが、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチは子どもと医療関係者を含め51人だとしている。
一連の運動開始以来、デモの取り締まりは治安部隊や機動隊が行い、これまで軍は介入してこなかった。デモ隊は6日夜になっても軍本部前にとどまっていた。中には歌ったり踊ったりする参加者もいた。
バシル大統領に対する抗議行動は昨年12月19日、政府がパンの価格を3倍に引き上げたことをきっかけに始まり、またたく間に全国的な反体制運動に発展。
怒れる民衆たちが食料価格の高騰や慢性的な燃料・外貨不足を招いた経済運営の失敗を非難してきた。 【4月7日 AFP】
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バシル大統領は2月22日、テレビ演説を行い、全土に1年間の非常事態を宣言し、内閣を解散すると発表、首相と第1副大統領をそれぞれ交代させる「譲歩」の姿勢はみせたものの、デモ隊の辞任要求に応じる姿勢は見せていません。
下記のような「力による抑え込み」で抗議運動の沈静化を図ろうとしています。
****スーダン大統領、無許可集会の禁止を命令 ソーシャルメディア制限も****
スーダンのオマル・ハッサン・アハメド・バシル大統領は25日、自身に対する抗議行動の終息を目指す諸措置の一環として、当局の許可を受けていない会合や集会を禁止する命令を交付した。スーダン大統領府が発表した。
大統領は治安部隊に対し、強制的な家宅捜索や個人に対する身体検査の実施を含む広範な権限を与えた。
さらに大統領府は「市民あるいは立憲制に害を及ぼすものについて、ソーシャルメディアを含むあらゆる媒体におけるニュースの公開あるいはニュースのやりとりを一切禁止する」と発表した。(中略)
抗議は数週にわたる取り締まりにもかかわらず続き、大統領が22日に非常事態宣言を出していた。
大統領府は今回の命令について「非常事態宣言の一環」としている。
一方、全土での反政府運動を主導するスーダン職業団体連合は25日、集会禁止に反対する街頭デモを呼び掛けた。 【2月26日 AFP】AFPBB News
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上記のような強権的封じ込め策がとられるなかで、今回、軍本部前に大勢のデモ隊が押し寄せるといった事態となっていることは、バシル大統領の威光に陰りが見られるというようにも思われます。
【リビア 東のハフタル将軍、首都トリポリに向け進軍 国連事務総長の自制要求も奏功せず】
一方、「アラブの春」でカダフィ政権が崩壊したのちも、統一政府を樹立できない分裂・混乱状態が続いていたリビアは、更に大きな戦火が燃え盛る危機に瀕しています。
****リビア首都、武装組織が接近 国連総長の直談判も実らず****
国が東西に分裂した状態の北アフリカ・リビアで、東部を拠点とする武装組織「リビア国民軍」の部隊が、暫定政府が支配する西部の首都トリポリに迫っている。
今月には国連が仲介する和平協議が予定されているが、リビア国民軍はすでに首都近郊の都市を制圧し、緊張が高まっている。
AP通信などによると、リビア国民軍を率いるハフタル司令官は4日にトリポリへの進軍を命じ、部隊はトリポリの南約80キロのガリヤンを制圧した。
これに反発する暫定政府側は、傘下の部隊に「あらゆる脅威に備えろ」と命じ、すでにトリポリ近郊で武力衝突も起きている。
リビアでは14~16日、国連の仲介で国家統一に向けた「国民会議」の開催が予定される。リビア入りしていた国連のグテーレス事務総長は5日、ハフタル氏と会談し、進軍をやめるように説得したが、不調に終わった模様だ。
ツイッターに「重苦しい気持ちと深い懸念をもってリビアを去る。国連は政治的解決を促し、何が起きてもリビアの人々を支える」と投稿した。
また、主要7カ国(G7)外相会議は5日の共同声明で、「リビアでの紛争に軍事的解決はない」とし、全ての関係勢力に軍事行動を控えるよう求めた。
2011年にカダフィ独裁政権が崩壊した後、リビアでは新政府ができたが、14年になって東西両地域に分裂。各地の民兵組織による戦闘も散発的に起き、治安が回復していない。【4月6日 朝日】
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国連やトルコ・カタールは暫定政府を支える一方、エジプトやUAE・サウジはハフタル氏を支持しており、国際社会の対応も割れています。フランスもハフタル氏に近いとも言われています。
国連のグテーレス事務総長がリビア入りしているこの時期に進軍を開始したハフタル将軍の意図は?
暫定政府を支援してきた国連に、その力を誇示し、今後の交渉を有利に運ぼうとするものでしょうか。それとも、本気でトリポリを制圧するつもりでしょうか?
リビアに関しては情報が少ないためわかりませんが、“リビアは、アフリカ大陸を脱出する難民の「玄関口」にもなっている。国際移住機関(IOM)によると、17年にリビアなどの中東・アフリカ諸国から船で地中海を経由して欧州に渡った難民・移民は約17万人。リビアが一層の政情不安に陥れば、混乱に乗じた難民流出の勢いが強まる可能性もある。”【4月6日 毎日】という懸念もあります。
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