孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー  進む軍政主導の「民主化」、進まない国連の調停

2008-03-11 17:00:19 | 国際情勢
ミャンマー、何か進展があれば話題にとりあげようかと思っていたのですが、いつまで待っても動きがないので、「なかなか動かないね・・・」という話。

ミャンマー軍事政権は2月9日、軍政主導の「民主化」に向け、新憲法を承認するための国民投票を今年5月に行い、新憲法下で複数政党制による総選挙を2010年に実施すると発表しました。
そして19日には、憲法起草委員会が新憲法草案を完成したと発表。
その内容はいまだ明らかになっていません。

昨年9月3日、88年のクーデターで停止された憲法に変わるべきものとして、93年の開始から“14年がかり”で作成作業を終了した新憲法基本方針では、軍の権力を維持する仕掛けがちりばめられています。

上下両院とも議席の4分の1は、選挙によらず国軍司令官が指名する「軍人議員」。
大統領は、両院の民選議員と軍人議員が選んだ計3人の候補から全議員の投票で決まるが、候補者には「軍事の見識」も求められ、軍経験者以外は排除される可能性があります。
(タン・シュエSPDC議長が転身を狙っているとの説も根強くあります。)
また、大統領や議員には「外国から影響や利益を受けていない人」との要件も設けられています。

軍事政権は2月26日に、新憲法案の是非を問う国民投票に関する法律を定めた「国民投票法」を制定して、翌日は発表しました。
同法には、ボイコット呼びかけや妨害に対する厳しい罰則が定められています。
また、国民投票に関する演説やチラシを配った者は、禁固3年に処せられます。
なお、18歳以上の国民に投票権を認めていますが、僧侶を含む宗教者は除外されています。

自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)は、軍政が国民の代表と協議することなく憲法の草案を作成したことを非難。
「一方的に作成された憲法は、国民和解プロセスを傷付けるだけでなく、国民に容認されない」と主張しています。

新憲法基本方針の段階で、軍政が「欧米諸国などと結託している」と非難するスー・チー氏やNLDは事実上排除されることが懸念されていました。

2月20日、シンガポールで開かれたASEAN・10カ国の外相会議で、スー・チー氏がかつて外国人と結婚した経験があるため総選挙に立候補できないことを、軍事政権のニャン・ウィン外相が明らかにしました。
各国外相が「時勢にそぐわない」との批判を唱えたそうですが、議長国シンガポールのヨー外相は「国には事情や歴史がある」と述べ、ASEANとして総選挙などの手続きに干渉する考えはないことを示しました。
ASEANも“腰の引けた”対応です。

ミャンマー民主化はスー・チー氏の解放が目的ではなく、国民生活の安定・向上がその目的ですから、ここに至っては、スー・チー氏の処遇にかかわず、新制度に参画して少しでも目的に沿う方向で活動するという考えもあろうかと思います。
親軍事政権政党、国民統一党(NUP)書記長は2月11日、NLDに対し、軍政が5月に実施予定の新憲法案の国民投票に参加するよう促しています。
 
しかし、スー・チー氏だけに限らず、今後NLDが総選挙に参加できるためには、“欧米諸国などと結託している”とされているスー・チー氏との絶縁の踏み絵を踏まされるような事態もあるのでは。
そうなると、NLDの総選挙参加も困難となり、あくまでもスー・チー氏を掲げて民主化を求めるグループと、現実政治に参画して何らかの影響力を行使しようとするグループへの分裂の事態も想定されます。

こうした状況で、ガンバリ国連事務総長特別顧問が6日、ミャンマーを昨年9月のデモ鎮圧後3回目の訪問。
潘基文(バンギムン)国連事務総長が軍事政権トップのタンシュエ議長にあてた親書で、民政移管プロセスに幅広い勢力が参加できるよう求めたことについて、軍事政権は「憲法案は既に完成済みであり、修正はできない」と拒否。
自宅軟禁下にあるスーチーさんの解放要求は「国民は混乱を望んでいない」も、これを拒否。

潘基文国連事務総長の提案は、1.軍政主導の新憲法起草作業へのスー・チー氏ら民主化勢力の参画 2.スー・チー氏とタン・シュエ議長の対話実現 3.スー・チー氏の自宅軟禁解除 などだったようですが、あまり現実味のない提案です。
ガンバリ特使は、スー・チー氏やNLD幹部らとも話を行っていますが、進展は見られないようです。

一方、軍事政権は8日夜の国営放送で、新憲法案の賛否を問う5月の国民投票に国際監視団を受け入れる意思がないことを明らかにしました。
国際監視団は、訪問中のガンバリ特使が提案したものですが、これに対し、国民投票実施委員会側は「国民投票は国内の問題だ」と提案を拒否しました。
なんだか、国連も“なめられてる”という感じがします。

軍事政権が強気でいられる背景は、国際的には中国とのつながりが維持されていること、国内的には先の僧侶勢力の抵抗を押さえ込んだ自信と少数民族対策がうまくいっていることにあります。

ミャンマーは人口の約6割強を占めるビルマ族をはじめカレン、シャン、カチンなど少数民族から構成され、細分すればその数は、150を超えるとも言われています。
従来から多くの少数民族が反政府・独立闘争を展開してきました。

一般的には軍政のこれらの少数民族に対して弾圧がしばしば報じられていますが、その一方で、「和解工作」も展開してきたそうです。
その結果、95年までに南東部の主要民族であるカレン族をのぞき、ほとんどの少数民族勢力と停戦が成立しています。

昨年の混乱時にもカレン族の武装勢力、カレン民族同盟(KNU)が、軍政との停戦協定に応じている他の少数民族に共闘を呼びかけましたが、これに呼応する勢力はなかったそうです。
この背景には、新憲法草案の基本原則の内容があると言われています。
軍政側から少数民族へ、“自治”をほのめかされている可能性を指摘されています。【07年10月1日 産経】

唯一抵抗を続けるカレン民族同盟(KNU)トップのマン・シャ書記長が先月14日、タイ北部メソトの自宅前で暗殺されました。
タイ警察は、KNUから軍政側へ離反した者による犯行の可能性が高いとみています。
KNUも近年は軍政側への投降が目立ち、実質最高指導者のボー・ミャ氏が06年に病死するなど勢力が弱体化していたそうです。

軍事政権が本当に今後少数民族に自治を保障し、その関係が穏やかになるのであれば、それは評価に値することですが、軍事政権と自治というのはあまり馴染まないような気もしますが・・・

今後ミャンマーの社会が大きく動く可能性を勝手に想像すると、来年総選挙で軍政側の気に入らない“民意”が示され、選挙結果の無効などの混乱が生じるケース、少数民族への自治が空手形に終わり、その抵抗運動が再開され民主化運動と連動するケースなど・・・でしょうか?
いずれにしても遠く、また多くの犠牲が出そうな話です。

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ロシア  二頭立て馬車の微妙な手綱さばき

2008-03-10 15:36:43 | 国際情勢
今月2日に行われたロシア大統領選挙は周知のとおりメドベージェフ第一副首相の圧勝でした。
8日に発表された最終結果によると、メドベージェフ第一副首相の得票率は70.28%。
70%の大台に乗せるものの、04年のプーチン大統領が獲得した71.31%は超えないという、なんとも心憎い数字です。

「出来レース」とか言われたり、あるいは野党からの批判もあったりしますが、なにせ世界一広い国ですから、この国で選挙を行うというのは相当に大変なことでもあるようです。
モスクワから遠くはなれたシベリアの原野に住む住民にも投票の権利を保障しなければなりません。
そんな苦労を紹介した下記の記事はちょっといい話です。

選挙管理委員の2名が、夜明け前にスノーモービルに事前投票用の移動選挙箱と食糧・ガソリンを積んで、トナカイの足跡を頼りに雪の原野を走ります。
夜10時までかかって300キロを走り、12枚の投票用紙を回収。
記者が“投票前から結果が分かりきっているのに、12枚の投票用紙を集めるこの旅に価値はあるのか。”と訊ねると、23歳の選挙管理委員は肩をすくめ、満足げな笑顔を見せたそうです。【3月1日 AFP】

近年その存在感を高めているロシアですが、特に最近コソボ独立などもあって、周辺国に親ロシア的な動向が多くみられます。
セルビアではEU加盟を進める親欧米派のタディッチ大統領に反発するかたちで、連立を組むコシュトニツァ首相が辞任し、5月総選挙になりました。
選挙結果次第では、先の大統領選挙で惜敗したニコリッチ率いる親ロシアの民族主義政党を中心にした政権の成立もありうる情勢になっています。
その場合、先の天然ガスパイプライン建設に関する協定にも見られるようなロシアとの結びつきが一層強まると思われます。

コソボ独立を契機として、グルジアでは南オセチア共和国、アブハジア自治共和国、このふたつの分離独立派勢力の独立へ向けた動きが活発化しています。
両地域はこれまでロシアの影響力を背景に親欧米のグルジアからの独立を主張して、グルジアの実効支配が及ばない状態が続いていました。

南オセチア自治州議会は5日、国連、EU、ロシアに対し、グルジアからの独立承認を求める書簡を送付しました。
アブハジア自治共和国の議会も7日、国連、EU、ロシアなどに対し、独立を承認するよう求め、指導者のバガプシ氏も5日、近く独立承認の要請を国連などに送付する意向を表明しています。
なお、同様な親ロ分離独立派勢力はモルドバにもあります。

これらの動きの背後にはコソボ独立に反対するロシアの思惑があると見られています。
ロシアはこれまでアブハジアの紛争再燃を懸念し、独立派勢力に自重を促すため独立国家共同体(CIS)の枠組みで経済制裁をアブハジア自治共和国に課していましたが(制裁導入当時のグルジアは親ロ的なシェワルナゼ政権)、今回「アブハジア側は正常化のための義務を履行しており、これ以上の制裁は意味を失った」と、この制裁を解除しました。
しかし、国境地域の不安定化はロシアにも望ましいものではなく、このため積極的な独立支援というより、欧米への警告や親欧米グルジア政権のNATO加盟への動きをけん制する狙いがあるともみられています。【3月8日 毎日】

旧ソ連のベラルーシはアメリカとの対立が深まっています。
アメリカはルカシェンコ大統領を「欧州最後の独裁者」と呼び、強権支配体制を厳しく批判。
06年3月の大統領選で不正選挙や人権侵害があったとして、ベラルーシ政府関係者の米国への渡航禁止や大統領ら高官の在米資産凍結を命令。
さらに昨年11月、国営石油輸出企業「ベルネフチェヒム」社の在米資産の凍結を実施しました。

これに対する対抗措置として、7日、ベラルーシは自国の駐米大使を召還する方針を決め、同時にアメリカの駐ベラルーシ大使に国外退去を要請しました。
ベラルーシは一時天然ガス価格をめぐる対立から対ロ関係が悪化しましたが、昨年から再び関係を修復させているそうです。【3月9日 毎日】

ロシア自体がMDシステム配備問題でアメリカへの態度を硬化させていますが、上記のような周辺国の動きは親ロシア圏とも言うような地域形成を思わせるものがあります。
ただ、ロシアもこの地域でのプレゼンスを高め、欧米をけん制する思惑はあっても、国境不安定化とか、更には決定的な欧米との対立というのは望んでいないと思われます。

中国以上と言われる経済格差、物価上昇などの問題を抱え、ロシアにとって欧米との経済関係は経済発展のために不可欠です。
また、最近ロシアの戦略的基幹産業である軍需産業分野において、ロシアが契約内容を守らないことや製品の質が悪いことで、外国からの契約破棄や製品突き返しといった異常事態が相次いでいるそうです。
これに関し、ロシアにおける技術者不足と設備老朽化、製造能力を超えた受注といった問題点に加え、「もはや第三世界でも単純な武器ではなく、(高度な)偵察・攻撃複合武器が求められている」とロシアとの認識のズレが指摘されています。
武器製造以外でも、納期遅延から化学タンカー12隻の建造契約が破棄されるとか、中国・ロシアが建設協力する江蘇省田湾原発についても品質でトラブルが生じています。【3月7日 産経】

ロシアにとって欧米技術を導入しての産業の高度化は急務であり、欧米との決定的対立は世界市場を失っていくだけのように思えます。
冷戦的な対立は避けつつ存在感は誇示する・・・という難しい手綱さばきが求めれますが、メドベージェフ・プーチンの二頭立て馬車はどうでしょうか?
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「国際女性の日」に女子割礼を考える

2008-03-09 13:43:51 | 世相

(割礼に使うナイフやカミソリの写真もありましたが、見ているだけで息苦しく生理的に受け付けませんので、かわりにシエラレオネの少女達の写真です。 “flickr”より By Justin Hane)

全く知りませんでしたが、昨日8日は「国際女性の日」だったそうです。

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【3月8日 AFP】「国際女性の日(International Women's Day)」の8日、オーストラリアからアフガニスタンまでアジア・太平洋地域の各国では、さまざまな関連イベントが開催され、女性の権利拡大と機会均等を訴えた。
パキスタン、インド、インドネシア、中国などでも関連イベントが開催され、活動家らが女児の中絶から雇用機会の不均衡に至るまで、女性に対するさまざまな差別の廃止を訴えた。
制定から約1世紀となる「国際女性の日」は、世界的に続けられている雇用機会、投票権、妊娠中絶など、女性の権利平等の確立に向けた戦いを記念するもので、毎年3月8日は、女性が暴力や一向に改善されない不平等に苦しみ続ける中で、基本的人権の獲得に向け戦い続けていることを思い出すための日となっている。
*************

“制定から1世紀”と随分歴史のある記念日ですので確認してみると、1904年3月8日にニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたことがもとになっているようです。
そしてあの1917年にロシアで起こった二月革命も、首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモが契機となった事件だそうです。

最近目にした女性関係のニュースというと、いろんなところで話題になっているシエラレオネの女子割礼存続支持デモです。

*************
【3月6日 AFP】シエラレオネのカイラフンの町で4日、女性800人あまりが女子割礼の存続を訴えるデモを行った。
女性たちは、女子割礼の廃絶に向けた動きを見せているシエラレオネ政府や、廃絶運動を展開している海外の人権保護団体に抗議の声を上げた。
FGM(女子割礼)廃絶運動の支援団体「National Emancipation for Progress(進歩のための国民解放)」は、FMGの根絶に向けたワークショップやセミナーを多数開催しているが、「FGMは無害で、女性の貞操を守ってくれるし宗教的価値もある」とする人々からの反対は根強い。
デモを主催したボンド秘密結社の幹部の1人は、「力を示すために」デモを行ったと言う。「海外の支援団体から資金を受け取ってFGMに戦いを挑む組織は、負け戦をしている。われわれはわれわれの文化を守る」
*************

女子割礼のタイプ、行われている地域についてはウィキペディアの“女性器切除”の項目で概要がわかります。
その施術内容はおぞましくここで書く気にもなりませんが、2000年前からアフリカ赤道沿いの地域(28カ国)で広くおこなわれており、シエラレオネも9割前後の実施率になっているようです。

最近は公的には禁止する国が増えており、昨年6月には、エジプト政府が、12歳の少女が女子割礼手術後に死亡した事故を受け、同様の手術を全面禁止すると発表。
イスラム教の大ムフティ(高位のイスラム法学者、指導者)も、「女子割礼は、女性の心と身体に大きなダメージを与えるため、イスラム教でも全面的に禁止されている」と、女子割礼を禁止する「ファトワ」(宗教的勅令)を出しています。
なお、2000年の政府調査では、15-45歳の女性の97%が割礼を受けたという結果が明らかになっています。

上記引用記事に“FMGは無害で”という意見が紹介されていますが、これはあきらかな間違い・事実隠蔽です。
女子割礼は、大量出血、施術中の激痛、回復まで続く痛み、様々な感染症などを引き起こし、また、手術中のショックで意識不明や死亡に至る場合もあります。(エジプト事例は手術後の大量出血死)
後遺症としては排尿痛、失禁、性交時の激痛、性行為への恐怖、月経困難症、難産による死亡、HIV感染の危険性など、女性の生涯にわたって極度の影響を与えます。
明確に極めて危険な行為であり、長期にわたり非常に大きな苦痛を与えるものです。

シエラレオネのデモは、欧米的文化・価値観への反発、伝統を重視することでのアイデンティティーの維持に基づくもののように見えます。
確かに“for progress”と言われると、自国文化を否定されたようにも思えるかもしれません。

スーダンからヨーロッパに移住している女性についての次のような記述がありました。
「ヨーロッパのスーダン人は、貧しい人たちはこの習慣をやめたいと思っているのですが、裕福な人たちは、続けたいと望んでいます。その理由として彼女達は、経済的には不自由がなくても、差別されていることをはっきりと感じているのです。そのため、伝統的なほこりを捨てないためにも、割礼をおこなっているのです。
それに対し、スーダン国内では、貧しい人たちは習慣として続けようとしていますが、裕福な上層階級は悪い習慣としてやめたいと思っています。」(http://www.jca.apc.org/praca/back_cont/02/02Sudan.html

過去の習慣であっても、伝統として守るべきものと、悪しき因習として改めるべきものがあります。
女子割礼は極めて危険な暴力である点、更に、この習慣が“女性は性的に快楽を得てはならない”“男性の性的自由は認められても女性の自由は認められない”といった男性の女性支配、女性は男性に従属すべきという考え方と結びつき、女性の社会的地位を低くとどめる社会構造と密接に関連している点で、“守るべき文化・伝統”とは容認できません。

後者の社会における女性の地位については、“そのどこが悪い”“それこそがわが国の文化だ”という考えもあるでしょう。
しかし、極めて常識的な言い方になりますが、ものには限度というものがあります。
人間としてやるべきでない行為があります。

ただ、一般の人々が広くこの習慣を受け入れている背景には、こうした伝統云々とは別のものがあると推測されます。
まず、周囲の人々、自分の家族も行っている地域・環境にあっては、この習慣を受け入れるのに特段の理由は必要ありません。
“みんながやっていることだから”“女性として当然行うことだから”それだけの話です。
もっとも、そのように思うのは母親など周囲の人間で、当の本人は子供でまだよく理解できず恐がっているだけでしょうが。

“当然のこと”という周囲の意識を補強するのが、女性としてどうあるべきかという、“貞淑”とか“性”に関する社会意識でしょう。
日本でも、乃木大将夫人の「母の訓」にみられるように、そのような意識は昔は強く、今でも根強く残っています。

もっと現実的問題としては、割礼を受けないと売春婦扱いされたり,結婚のときに「欠陥品とされて親に婚資(男性が花嫁の父親に支払う財産や労働)が支払われなかったりする、それを恐れる親が娘に強いるということがあります。

シエラレオネの記事の中には「(女子割礼により)夫への忠誠も確固たるものになる」という女性の意見も紹介されていましたが、ここに至ると自己犠牲という心理学的問題にもなりますが、少なくとも他人に強いる理由にはならないかと思います。

いずれにしても、風習を受け入れている人々に対するものの言い方には配慮が必要であり、現実問題への慎重な対応も必要ですが、これが危険な行為であり、女性に過度に(個人的には“不当に”と思っていますが)負担を強いる行為であるという点には変わりありません。

男性として、女性とはフィフティ・フィフティの関係であるべきだと思っています。
もしそれで社会的混乱や問題が生じるというのであれば、男性も女性と同等の負担を負うべきであり、解決については女性にだけしわ寄せの来ない別のアプローチが必要であると考えます。
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“死の商人”ボウト逮捕、それでも揺るがない武器ビジネス

2008-03-08 15:34:02 | 世相
タイのバンコクで6日、ロシアの武器密売業者ビクトル・ボウト容疑者が逮捕されました。
米麻薬取締局の覆面捜査官が12か月に及ぶおとり捜査を行っていたそうで、今話題のコロンビアの左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」と数百万ドル規模の武器取引契約を結ぶため訪れたところを逮捕したものです。

私は始めて知りましたが、この人物は“死の商人”としては最初に名前があがる、この世界では超有名人だそうです。
そのビジネスは、タリバン、アルカイダ、南米ゲリラ、アンゴラ武装組織、国際法廷で裁かれているリベリアのテイラー元大統領、その他コンゴ、パキスタン、ルワンダ、フィリピン、シエラレオネなど世界中にわたっていました。
もともとは旧ソ連の空軍士官で、ソ連崩壊に伴いソ連時代の中古武器、航空機、ヘリコプターなどを格安で入手し、それらを世界各地の紛争地域の武装勢力に売り飛ばし大金を入手するという武器密輸ビジネスを始めたそうです。

関係者の話では、「ボウト容疑者の闇ビジネスの仕組みは単純だ。中古航空機をただ同然で手に入れ、これに安価で購入した武器を詰め込み、そして顧客のもとへ空輸する。この3段階のビジネスを合体させた」とのこと。

誰しも思うところでしょうが、世界中でこれだけ多くの紛争が起こり、大勢の犠牲者が出ている、国際社会の大方も非難している、にもかかわらずその紛争がいつまでも継続するという現実を見るにつけ、「この紛争で使用されている無尽蔵とも思える武器・弾薬は一体どこから供給されているのだろうか?」「この武器供給さえ抑えられれば、紛争も収束するのに・・・」と常々考えます。
その意味で、ボウトのような武器ブローカーが逮捕されるというのは喜ばしいことではありますが、おそらく世界の武器市場の現実は微動だにするものではないのでしょう。

武器市場というものは、“死の商人”と呼ばれるようなブローカーで成立していると言うより、おおもとはその武器を生産・供給する国家・企業であり、それを求める国家・組織の存在でなりたっています。
ブローカーはその間を仲介している存在にすぎません。

世界の武器移転全体の88%は国連常任理事国5カ国で占められています。
紛争を収めるべき立場にある国々が、世界中に武器を垂れ流しています。
国連の禁輸などの措置がとられ、国際世論の批判があっても、いろんな抜け道で武器が生産され輸出されます。
表に出せない、出しづらい“非合法”の武器取引にボウトのようなブローカーが暗躍します。

よく話題になるアメリカ・ロシア・中国だけでなく、日頃りっぱなことを口にすることが多いEU諸国も同じです。
94年にルワンダで発生した大量虐殺に関与した軍閥に武器を供給したのは、ケニアにあるベルギーの武器製造企業です。
EUの武器輸出規則は、国内での抑圧や武力紛争に使われる恐れがある場合には、武器輸出の許可をしてはならないとしていますが、政治的動乱や民衆による抵抗が行われている国への武器輸出も禁じていません。
イスラエルがパレスチナの民衆抵抗を抑圧しレバノンに武力攻撃を仕掛けている2006年の間に、10億ユーロを超える武器が同国に輸出されています。
ダルフール危機が起こっているスーダンに対しては武器を禁輸するとの公式見解を採っていますが、現実には200万ユーロ以上の武器輸出が許可されています。(2006年)。
また、フランスは、戦闘がつづくチャドにも装甲車両の輸出を許可しています。【2月17日 IPS】

武器ブローカーもこうした供給側の国家・企業との親密な関係がなくしてはビジネスは成立しません。
大体、ボウトにしても、どうしてこれだけ著名な、これだけ活動内容が公にされている人物がこれまで逮捕されなかったのか、不思議です。
2003年アムネスティ・インターナショナル等の団体が、武器が人権侵害や国際人道法に反する行為に使用されるのを阻止する「コンロール・アームズ」キャンペーンを展開しており、そのレポートにボウトの活動についてもアンゴラ内戦へのかかわりを中心に詳しく紹介されています。
http://www.controlarms.jp/press/ControlArmsJapanReportFinal3printout.pdf

このレポートによると、2002年ICPOのロシア事務局が「ボウトはロシア領内にはいない」と発表したとき、当のボウトはクレムリンすぐ近くのラジオ局の生放送で自分の無実を訴えていました。
また、2004年12月には、ボウト関連の空輸会社数社が米国防総省から基地使用の便宜供与を受けて、イラクへの物資輸送を請け負い142回着陸していたことも報じられています。
2004年3月には国連安全保障理事会がリベリアのテイラー元大統領に武器供与した人物の資産凍結する決議案を採択しましたが、アメリカとイギリスの圧力でそのリストからボウトの名前が削除されたそうです。

むしろ、なぜ今になってアメリカがボウト逮捕に踏み切ったのか?そのほうが不思議なのが現実です。
なお、ボウトはもちろん合法ビジネスも扱っていましたが、ソマリアや東ティモールへの国連平和維持軍兵士輸送なども手掛けていたそうで、門外漢には理解できない世界です。

日本の場合、武器輸出に関しては、67年佐藤内閣時の武器輸出三原則、及び76年三木内閣時のその補足によって、基本的に武器および武器製造技術、武器への転用可能な物品の輸出をしていないことになっています。
しかし、実際には現地での武器への転用なども問題になっています。
チャド内戦ではトヨタのピックアップトラックに対戦車ミサイルを搭載したものが大活躍したそうで、海外では“Toyota War”と呼ばれているとか。【ウィキペディア】
また、最近では武器開発コストの問題やアメリカとの協力関係などで見直し論議もされています。

武器供給を受ける国家・組織の問題・・・これは言っても仕方がないことですが、膨大な資金がつぎ込まれています。
非合法武装組織は論外ですが、国家の正規の武器輸入にしても、この資金の一部を他に回せれば・・・と思ってしまいます。
上記レポートでもインドを例に、イギリスから輸入したホーク戦闘機66機の約17億ドルで1100万人のエイズ患者の1年分の薬代がまかなえること、ロシアからのT-90S主力戦車310台の約6億ドルでマラリア対策の殺虫処理された蚊帳2億枚が購入できることなどが紹介されています。

中国は先日から始まった全人代に3名の農民工代表を選出するというパフォーマンスを行っていますが、その膨大な軍事費の一部を、賃金未払いなどに苦しむ農民工の境遇改善に使えば・・・なんて考えてしまいます。

94年から03年までの間にアジア・アフリカ・ラテンメリカ・中東の国々が武器購入に費やした年平均の金額は、ミレニアム目標の「2015年までにすべての子供が小学校に通えるようにする」「2015年までに児童の死亡率を3分の2に引き下げる」このふたつを実現するのために年間必要とされる額を上回っていたそうです。

近年、“テロとの戦い”と称して、世界中への武器拡散がますます無原則に拡大する傾向にあります。
それにともない、武器価格も著しく低下し、誰でも容易に武器を手にできるようにもなってきているそうです。
その武器がテロに使われるという皮肉な結果にもなっています。
ケニアでは86年当時、AK47は牛15頭と引き換えられていましたが、01年には4ないし5頭の牛で入手できるとか。

正月プノンペンを旅行した際、射撃場でハンドガンを7発ほど撃つ経験をしました。
武器としては最もおとなしいハンドガンですら、その威力・衝撃は想像を超えるものがありました。
しかし、わずか7発撃つあいだに、その衝撃に馴染んでいくものも感じました。
武器を手にすることで人間の行動・考えは大きく変わるであろうことが実感されました。

世界中の紛争の温床となる武器の無原則な拡大には是非歯止めをかけてもらいたいものですが、現実世界はそのような考えとは無縁のようです。
ボウト逮捕にしても、本来闇の世界にいるべき人物があまりにも陽をあたりすぎたことの結果では。
表の世界で語られる人権・人道の裏では、今後も武器取引をめぐるビジネスがうごめくのでしょう。


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ナポリのごみ戦争、更にジュネーブへ

2008-03-07 17:25:20 | 世相
イタリアのナポリでは昨年末から正月にかけて、ごみ問題で大騒動になりました。

貧困層の多いナポリ地方では、ゴミ処理施設が地域社会で排出されるゴミを処理しきれず、回収作業が滞るという状況が過去15年以上にわたりたびたび発生しています。
基本的には処理場の不足が原因で、新たな埋め立て処分場が造成されては満杯になり、ごみ収集が止まるということを繰り返してきました。

今回の騒動の直接のきっかけは、昨年中に期待された初の焼却施設の供用が大幅に遅れる中、最後に残っていた2カ所の処分場が相次いで閉鎖されたためです。
現在のところ、ナポリでは2009年初頭に新しいごみ焼却炉が1炉のみ稼働する予定だそうです。

処分所が満杯となったためクリスマス前からゴミがほとんど収集されなくなり、2000トン以上のごみが市内に散乱、路上に積み上がったゴミ袋の山で歩行困難な場所も出てきました。
この事態に、慢性的なゴミの問題に悩まされている住民らの不満が高まり、ごみに火をつける騒動が頻発。
消防出動は1日で最大200回 に達したとか。
また、多くの小中学校がごみ騒ぎを理由に休校。

行政側は古い処分場を再開してしのごうとしましたが、今度はこれに抗議する周辺住民が道路を封鎖、更に市バスに放火する騒ぎに発展。
警察官への投石、小競り合いなどが続くなど、街は暴動寸前の状態となりました。

右派野党は、人口600万人のナポリに焼却炉を建設することに反対していた緑の党の党首でもあるペコラロスカーニオ環境相も問題の一因だと非難しています。

ナポリのごみ問題にはカモッラと呼ばれるマフィアが絡んでいるそうです。
1980年代頃からごみ関連ビジネスが麻薬密売に次ぐマフィアの収入源となり、この動きは1990年代に加速しました。
競合他社を押しのけ、安全基準も無視する「エコマフィア」は、イタリア北部の工場から出た産業廃棄物を違法に運ばせ、ナポリ周辺に不法投棄します。
ナポリ周辺の山腹を爆破して穴を開け投棄することも。
こうした違法ごみビジネスにより、マフィアは年間25億ユーロ(約4000億円)にも上る収益を得ているそうです。
(なお、イタリアの警察当局は7日、南部ナポリの犯罪組織カモッラのボスをナポリ近郊で逮捕しました。直接の容疑はごみ投棄とは別でしょうが。)

イタリア政府は8日、関係閣僚会議を開き、陸軍を動員してごみを回収するほか、軍施設内に一時的に集積することなどを含む緊急対策を決めました。
一方で、全国の州にごみ受け入れを要請。
当初、多くの州が難色を示しましたが、プローディ首相が「これはイタリアの恥だ。(各州は)ナポリを助ける義務がある」と説得。
全国20州のうち14州が14日までに、政府のごみ受け入れ要請に応じることを決定しました。

しかし、サルデーニャ島では住民がごみを積んだ船の接岸を妨害。
知事の家の前に大量のごみを置いたり、家に放火しようとする騒ぎとなりました。
シチリア島でも港から処分場への道路が住民らによって封鎖されるなど、ごみ戦争はイタリア全土に拡大。
また、ナポリでは住民の意識の低さから大半のごみが分別されておらず、北部ロンバルディア州は、分別されていないごみを焼却した場合、人体に有毒なガスが出るとして、分別ゴミだけの受け入れを主張。

一部のごみはドイツにも送られて処理されたようですが、ナポリに助け舟を出したのがスイスのジュネーブ。
ジュネーブ市ではごみのリサイクルが進んでごみ量が減少、その結果、ゴミ焼却炉は採算割れ状態になっているとか。
そのため、2009年から2011年までオーストリアのゴミを年間4万3000トン引き受けたりもしています。
そのほかフランス、ドイツからも請け負ったことがあります。
今回、イタリアからは年間4、5万トン、4年間で18万トンのごみを輸入する計画です。
ナポリはごみ余り、ジュネーブはごみ不足(?)のようです。

ただし、このごみ輸入には以下の厳しい規則があります。
まず、ゴミは「新鮮」なものに限られる。数週間前の古いゴミは受け入れない。
そして、輸送にはトラックではなく必ず鉄道(環境に優しいカーゴ列車)を利用する。
また、ゴミの出所もはっきりさせなければならない。

しかし、ジュネーブの住民からは「私達はちゃんとゴミの分別をしているのに、ナポリからの全く分別されてないゴミを何トンも処理するのでは、私達の日々の努力は全く無じゃないか」と、市議会からも「市民にごみ減量を訴えてきたのに・・・」という不満が出ているとか。
しかも、マフィアがらみとあって、“今までの事例とは違う”という反応もあるようです。
まあ、当然でしょう。
ナポリの騒動が、スイスまで飛び火した格好です。

ただ、ごみ減量が進んで焼却場の能力が余っている状況はスイスでは珍しくなく、ローザンヌやチューリヒなどもナポリとごみ受け入れ交渉を進めているそうです。

言うまでもなく、ごみ戦争・ごみ問題はナポリだけでなく、日本でも日常茶飯事、ごみの山ほどあります。
昔、“東京ごみ戦争”なんていうのもありました。
70年代はじめの美濃部都政の頃ですから、もう30年以上たちます。
ごみ埋め立て地の“夢の島”を抱えごみを押し付けられている江東区が、地元でのごみ焼却場建設に消極的な杉並区に反発、杉並区からのごみ搬入を実力で阻止。
清掃労働組合もこれに同調して杉並区のごみ収集をストップ、杉並区が“夢の島”状態になったという騒動でした。

つい最近では、家庭ごみの焼却灰や産業廃棄物などが違法搬入され、経営破綻した福井県敦賀市の民間最終処分場の環境対策工事の費用負担をめぐり、自治体が対立している問題があります。
焼却灰などを運び込んだ全国60の市町村や組合に敦賀市が約14億円を請求しましたが、多くの自治体が「そんなの関係ねえ!」と支払いを拒否・保留、相当にもめているようです。【3月3日 朝日】

また、リサイクル対象外の廃プラスチックについて、不燃ゴミ扱いにしていた東京23区は、来年度から一転、可燃ゴミ扱いにして清掃工場で焼却することになりました。
ダイオキシンの除去など環境対策が整ったうえ、埋め立て処理が限界に近づいていることなどが理由。
廃プラスチックの埋め立て分を焼却すれば、東京湾の処分場が満杯になるのを、30年後から50年後に20年延ばせ、さらに焼却熱による発電量が増加するとか。
要するに、もう埋め立て余裕がない、このままではごみがあふれてしまう・・・ということですが、50年後は東京のごみはどうなるのでしょうか?
そんな先の話は誰も気にしないのが日本人のおおらかさです。
東京湾以外のどこかに持って行こうとして新たなごみ戦争勃発か、ごみ処理新技術開発か、東京がごみに埋没するか・・・。

原子力発電で“最終的な廃棄物処理システムが確立していない”ことが問題になったりしますが、我々の現代生活自体が“ごみ処理”という点で、最終処分システムが完結していないようです。
その点、昨年8月22日にも取り上げたケニアの巨大スラム“キベラ”での取り組みなんかは素晴らしアイデアだと思ったのですが。(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070822)

国連環境計画(UNEP)が1万ドルを拠出してごみに埋もれたキベラで始めたゴミ収集プロジェクトの概要は次のようなものです。
・ 失業中の若者が職員として登録され、週2回ゴミを集める。
・ 分別してリサクルできるものは売却、可燃性のものは地域の焼却炉で焼却する。
・ 焼却炉の熱は地域住民が調理に使う“かまど”として利用される。
・ 焼却炉の熱を利用したお湯で地域住民の公衆浴場を近くにつくる。

しかし、その後ケニアは大統領選挙後の暴動で大混乱、キベラもその震源地のひとつ。
ごみどころではなくなった訳ですが、今はゴミ収集プロジェクト、どうなったのでしょうか?

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マレーシア  問われるブミプトラ政策と民主主義

2008-03-06 17:13:37 | 世相
今日はマレーシアの総選挙について書こうと思っていたところ、出勤の準備をしながら横目で眺めていた朝のTVで丁度、マレーシアのインド系住民のブミプトラ政策への不満、まさにブミプトラ政策の生みの親であるマハティール前首相の「政策を変更する時期にきている。ただし、急激な停止は成果を失うことになる。」といったコメントが流れていました。

マレーシアでは今月8日に総選挙が実施されます。
前回2004年の総選挙ではマハティール前首相を引き継いだアブドラ首相の率いる与党連合が全議席の9割、199議席を占めて圧勝しました。
今回選挙は、その結果とともに、ながくマレーシア社会を特徴付けてきたブミプトラ政策の今後がどうなるのかという点、それと、マレーシアにおける民主主義の実情はどうなのかという点、このふたつの観点からも注目されます。
それはひとりマレーシアだけの問題ではなく、世界各国で問題となっている異なる民族がいかに共存していくか・・・という大問題に関するひとつの参考事例になるのではないかとも思われます。

ブミプトラ政策については、昨年11月30日のブログ(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/m/200711)でも取り上げました。
そのときも書いたように、マレーシアはマレー系(約65%)、華人(中華)系(約25%)、インド系(約7%)の主要民族のほか、ボルネオ島のサラワク州、サバ州に住む多様な民族、更に細かく見ると、オラン・アスリと呼ばれるマレー半島の先住民族、あるいはポルトガル系など、多くの民族から構成される多民族国家ですが、民族間の緊張は比較的少ないほうだと一般的には思われています。

この多民族国家を束ねる基本政策がマハティール前首相らが導入したブミプトラ政策です。
経済的に劣った地位にある多数派マレー系住民を資本・雇用(例えば銀行融資、入学試験、就職など)で優遇することで、その地位を穏やかに引き上げていこうとするものですが、その推進にあたっては中華、インド系住民との協調も考慮し、民族間の衝突が噴出さないようにコントールしていく体制のもとで行われてきました。

その体制の中核となるのが与党連合である国民戦線(BN)で、マレー人を代表する統一マレー国民組織(UMNO) 、華人のマレーシア華人協会(MCA) 、インド系のマレーシア・インド人会議(MIC) の連合体です。
各民族を代表する政党が選挙協力体制をとって協調し、絶対多数の与党を形成しています。

多数派に対する優遇政策を中国・インド系住民が受け入れていることは奇妙にも感じられますが、マハティールは「マレー人は華人より経済観念、勤勉さで劣っている。だからこれはハンディキャップです。」とマレー人が他民族より劣っていることを率直に認めることで、他民族の理解を求めました。

一方で、優位な立場にある中国・インド系住民には、もし民族間の軋轢が先鋭化すると暴動という形で自分達の存在が危うくなるという不安がありますので、この穏やかなマレー人優遇策を受け入れることで、民族間の緊張をコントールしたいという考えがあると思われます。
実際、1969年の“5月13日事件”では、中国系の貧困層とマレー系の衝突が起こり、放火や襲撃などで196人の死者を出す惨事となりました。

また、マレー人優遇とは言っても、実際の運用にあたってはいろんな“抜け道”もありますので、そのような緩やかな運用も中国・インド系住民の政策許容の背景にはあるようです。

この政策のもとで、マレーシアは80年代の工業化の成功に続いて、90年代以降はIT先進国化に向けた長期戦略を実施しました。
そして経済成長の結果、一人あたりGDP(12,700ドル強)は、東アジアのなかで日本、シンガポール、韓国に次いで高く、50年前の独立当初、一次産品生産国で人口の半数強が貧困ライン以下で生活していた状況と比べると、大きな変貌をとげました。

さらに、ある世論調査で、「あなたの国で、選挙は自由で公正に実施されていると思うか」という質問に「はい」と回答した率はマレーシアがアジア各国の中で最も高率の74%だったそうで(ちなみに同調査で日本は50%)、こういった数字にもみられるように“民主主義”ということに関しても実績を作り上げてきたとも見られます。
http://www.ceac.jp/cgi/m-bbs/index.php?thread=&form%5Bno%5D=558

こうした経済・政治における自負が、冒頭のマハティール前首相の言う“成果”でしょう。

しかし、ここにきてマレー人優遇政策に対する不満が、特にインド系住民から強く出されています。
また、マレー人内部においても、見直し論が出てきているとも言われます。
マレー人との競合で経済的に困窮しているとか、すでに一定の生活水準を達成したとか、その置かれている立場によって、“見直し”の理由は様々と思われます。

昨年11月には、自分たちの経済的問題は旧宗主国・イギリスに責任があるとしてイギリスに対し数十億ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしたインド系住民が、訴訟の支援を訴えるデモを行い、放水車・催涙弾で鎮圧する警察と衝突しました。
このデモは当局の禁止通告にもかかわらず、1万人規模に膨れ上がりました。
マレーシア政府に対しても「少数派」ヒンズー教徒の社会的・経済的水準の向上を求めています。
こちらのほうが本来の不満のようです。

このデモを実施した5人のメンバーが12月、国内治安法(ISA)により拘束されたことで、今年1月にはISAに抗議する集会が開かれましたが、これも警察により実力で排除されました。

更に、2月16日には、首都クアラルンプールで、マレー人主導の政府による「差別」に抗議する少数派のインド系住民が大規模な集会を開こうとしましたが、警察は催涙ガスや放水で解散させ、主催者集計で約50人が逮捕されました。
非暴力の集会が封じ込められたことで、マレーシアの民主主義が問われることにもなったという意見もあります。

国内治安法(ISA)は、もともと第二次世界大戦後に共産主義者をとりしまるために英国の統治下で制定された法律ですが、この法律によって、マレーシアでは国家の安全にとって危険と思われる人物の逮捕が、警察の任意によって行われ、その後は内務大臣によって無期限に拘留が延長できます。
また、裁判は行われず、接見禁止や、独房での拘留、自白の強要など様々なことが行われると言われています。
現在ではもっぱらイスラム教「戦闘員」に適用されているそうです。【1月6日 AFP】

このような“装置”が、ブミプトラ政策の民族協調を支える道具として使用されてきました。
マレーシアの非“民主的”側面、“事実上の穏やかな独裁”とも言われる体制に対する意義申し立ても相次いでいます。

昨年11月には、公正な選挙制度の改革を求める大きなデモンストレーションが、クアラルンプールで行われました。
4つの主要野党と67の市民団体からなる連合組織「BERSIH」によるもので、かつて政権から排除されたアンワール元副首相が重要な役割を果たしているようです。

また、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW、本部ニューヨーク)は5日、総選挙では公正な投票が認められていないと指摘するとともに、野党の言論を封じ、総選挙のプロセスを操作しているとしてマレーシア政府を非難しています。

マレーシアでは、主要紙やテレビ局のほとんどが与党系の選挙関連報道で独占され、野党の活動が取り上げられることはほとんどありません。
そのため、インターネットのブログ等が野党の選挙活動の手段となっています。
これに対し、政府は野党に好意的な書き込みを行っているブロガーらを非難し、今後も書き込みを監視していくと警告しています。【2月22日 AFP】

欧米的な民主主義だけが唯一の価値観ではないとは思いますが、マレーシアの民主主義が民族対立を未然に防止する“アジア的民主主義”のひとつの形なのか、また、ブミプトラ政策が民族共存のひとつの形なのか、そうした問題も今回選挙で問われるところです。

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ブータン難民  “桃源郷”の光と影

2008-03-05 15:08:25 | 国際情勢
ブータン・・・と言うと、“秘境”“神秘の国”“桃源郷”“幸福大国”といったキーワードが連想されます。
また、若くして即位した英明な前国王が伝統を重んじ、民主化を率先して進める国、近代化のみを追い求めるのではないスローライフの生活、“国民総幸福量”を求める社会・・・なども。
ある意味、現代社会に疲れ、疑問を感じる人々にとってひとつの理想でもあるように思われます。

ちなみに、経済面だけでなく精神的幸福を重視した指標としての“国民総幸福量”は、持続可能で公平な社会経済開発、自然環境の保護、有形・無形文化財の保護、そして良い統治という柱からなるそうです。
経済開発一辺倒による自然環境破壊や伝統文化喪失を避けようとするものです。
この国民総幸福量の増大の精神にのっとり、例えば、医療費は無料、教育費も制服代などの一部を除いて無料です。また、国土に占める森林面積は現在約72%で、今後も最低でも国土の60%以上の森林面積を保つ方針が打ち出されています。
また、良い統治という面では、行政と意思決定の両面での地方分権化が進んでおり、人々は自分達の住んでいる地域の開発プランについて、自分たちで優先順位を決め中央政府に提案するとか。
http://eco.goo.ne.jp/life/world/bhutan/report12/01.html

なんとも素晴らしい見識ですが、観光的にちょっと厄介な国で、旅行代金として入国1日につき200ドル以上(交通費、宿泊代、食事代、ガイド代を含む。)を前払いして、ガイドが同行する必要があるなど、私のような貧乏旅行者は相手にしてくれません。

そんな“理想郷”ブータンに関してこんなニュースが。
****ネパールのブータン難民キャンプ火災、1万2千人が家失う****
ネパール南東部ジャパ郡のブータン難民キャンプで1日夜、火災が発生し、2日までに小屋1200棟が焼失、約1万2000人が住む場所を失い、4人が重傷を負った。
出火原因は不明。
ブータン難民は、ワンチュク前国王が民族衣装着用の徹底など伝統文化復興策を通じて仏教徒優遇を進めるのに反発、1990年代以降、インド領内を経てネパール東部に逃れたヒンズー教徒住民。現在、10万人以上に達する。
ネパール、ブータン両政府間の帰還協議が進まないため、2006年には米国が難民6万人の受け入れを表明、カナダやオランダも受け入れの意思を示している。難民側には第三国移住に抵抗を示す人も多いが、今回の火災で米欧への出国が早まる可能性もある。【3月3日 読売】
********************

ブータン難民については、かわまたじゅん氏のhttp://www.ne.jp/asahi/jun/icons/bhutan/に詳しく紹介されています。
ブータンには主に3つの民族集団があります。【ウィキペディア】
チベット仏教(ドゥク派)を信仰しゾンカ語を主要言語とし、西部に居住するチベット系のドゥクパと呼ばれる人々
チベット仏教(主にニンマ派)を信仰しツァンラ語(シャチョップカ語)を母語とし、東部に居住するアッサム地方を出自とするツァンラと呼ばれる人々
ヒンドゥー教徒でネパール語を話し、南部に居住するローツァンパと呼ばれるネパール系住民

人口比は、国王を擁する西部のドゥクパが50%ほど、ネパール系のローツァンパが40%ほどといわれていました。 (ネパール系は多くが難民として出国したため、今は20%程度)
ローツァンパは、もともとブータンの土着の住民ではなく、19世紀末以降ネパールやインドのダージリンなどから移住してきた人々です。
ニューカマーとしての印象が濃く、ネパールの伝統文化を固持する生活スタイルなどから、チベット系住民から偏見の目で見られ、不当な扱いを受けることも多いと言われています。【ウィキペディア】

1985年に公民権法(国籍法)が制定され、定住歴の浅い住民に対する国籍付与条件が厳しくなり、国籍を実質的に剥奪された住民が特に南部在住のネパール系住民ローツァンパに発生しました。
1989年、「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」を施行し、チベット系の民族衣装着用の強制(ネパール系住民は免除)、ゾンカ語の国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守、教育現場でのネパール語の禁止などが実施されました。
“伝統と文化”はあくまでも支配階層ドゥクパのものであって、ローツァンパのものではありません。

これに反発する南部ローツァンパを中心に、大規模デモなど抗議活動がひろがりました。
デモ弾圧の取り締まりが強化され、拷問など人権侵害行為があったと主張される一方、チベット系住民への暴力も報告されています。
この混乱から逃れるため、ネパール系ブータン人の国外脱出(難民の発生)が始まったとされています。
出国を余儀なくされた人々は、半ば強制的に「自発的に国を去る」といった書類にサインをさせられたとも言われています。(ブータン政府にとっては、彼らの多くは不法滞在者です。)
人口約60万人(ブータン政府は140万人と主張)のブータンから、総人口の5分の1にもあたる12万人以上の難民が発生したとも言われています。

“伝統と文化に基づく統合”が強行された背景には、当時のシッキムの先例を危惧したとも言われています。
仏教国シッキムではネパール系住民が増加し、結局インドに統合されました。
ブータンでも国勢調査の結果、南部のネパール系住民の増加率が北部ドゥルパを上回っていることが明らかになりました。

現在ネパール国内にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が建設した8箇所のブータン難民キャンプが存在し、ここに約10万人が生活しています。
今回発生した火災もこの1箇所です。
これ以外にインド国内にも数万人の難民が存在しています。
難民キャンプでの生活は、国際援助によって“難民としては”比較的恵まれており、むしろ最低保障のない周辺ネパール人のほうが困窮しているとも。
ただ、帰国のあてもなく、キャンプ内で“飼い殺し”される閉塞感はそれとは別物でしょう。

難民の国籍認定・帰還作業については、上述のかわまたじゅん氏のサイトに詳しく紹介されていますが、遅々として進まないようです。
同氏は、意図的なブータン政府の遅延行為と非難しています。
ブータン政府は第三国の介入を認めず、あくまでもネパール・ブータンの2国間の問題として進めています。
ブータンの実質的サポーターであるインドも、国際社会の要請にもかかわらず介入を拒否してきました。
このような事態を打開するため、現在はUNHCRが介入しているようです。

ブータンにおけるネパール系住民、ネパールにおけるインド系マドヘシ族、スリランカにおけるインド系タミル人・・・すべて古くからの定着民族と比較的新しい参入者との間の確執です。
(マドヘシについては昨年9月7日http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070907参照)

かつてスリランカを訪れた際、お世話になった現地の方の奥さんがタミル人のことを「あの人達はスリランカ人じゃないから」と切り捨てたときの驚きは今も覚えています。
法制度・国境管理が整備された後の明らかな不法入国の場合は別として、世紀を遡るような移住についてはすでに生活がそこに定着しており、定着の後先については論じて仕方なく、共存の途を模索するしかないと考えます。
そうでなければ、「民族浄化」にいたります。

ブータン難民発生時に、国王は国外への脱出を行わないように呼びかけ現地を訪問しましたが、難民の数は一向に減らなかったそうです。
伝統と文化、その存在を否定されたネパール系住民は、英明とされる国王の目にはどのように映っていたのでしょうか?
現実が理解できず自己陶酔に浸っていただけの暗愚な王だったのでしょうか?
見えないふりをする狡猾な王だったのでしょうか?
それとも、民族の違いというのは英明な王の目をも曇らせるものなのでしょうか?
まあ、日本人が圧倒的に多数をしめている日本などにいて、“他民族との共存”を云々する資格はないかもしれませんが。

国王主導で進められた民主化最終段階として、12月31日の上院選挙に続き、今月24日に始めての下院選挙が行われる予定です。
故郷を奪われた十数万人を排除したまま行われる“民主選挙”に対し、1月20日、4ヶ所で爆弾テロが行われ、女性1名が負傷しました。

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中国  不満を高める食糧価格の上昇

2008-03-04 16:25:44 | 世相
中国では明日3月5日から国会に相当する全国人民代表会議(全人代)が開かれます。
昨年秋から上昇傾向を強める物価対策が焦点になりそうです。

新華ネットがインターネット上で行った「全人代・政協への提言・最も関心ある議題」アンケート調査では、物価上昇(11・35%)がトップ、続いて住宅価格上昇(9・37%)。
住宅を含めた物価上昇が庶民の暮らしを圧迫し社会不満の要因となっています。【3月4日 産経】

党の指導層もこの点は認識しており、「共産党中央党学校」が指導部に対して行ったアンケート調査でも、汚職や収入格差よりもインフレ問題の方が脅威だととらえられています。【1月8日 IPS】

1月の国内消費者物価指数は前年同月比7・1%上昇、96年12月(7・0%)以来11年ぶりの高水準でした。
食品価格の高騰に加え、中南部で発生した50年ぶりの大雪の影響で停電や交通網の遮断が続き、食料・日用品の供給が不足したのが主因とみられています。

とりわけ、食糧価格の上昇が顕著で、前年比18%の上昇となっています。
穀物・食糧価格上昇は世界的現象ですが、社会問題化しているインドネシアやパキスタンの13%を超える数字です。
食糧は価格が高騰しても購入を控えることが出来ませんので、貧困層にとって大きな負担となります。

経済発展が伝えられる中国ですが、まだまだ貧困層の割合は大きく、昨年12月に世界銀行が行った調査でも、中国民衆の購買力が従来の調査で言われていたよりも4割ほど劣っていることが報告されています。
これまで、世銀が貧困の基準として定める1日1ドル未満で生活する貧困層について、中国では1億人と言われていましたが、これを大きく上回る3億人が貧困にあえいでいるとも推定されています。【07年11月15日 AFP】

3億人という数字の妥当性は判断しかねますが、経済発展にあっても格差が拡大し、依然として貧困から抜け出せない層が多数存在していることは間違いなく、食糧価格上昇はこれらの者の生活を困難にします。
ひいては社会不安を高め、社会の安定性を脅かしかねない危険をはらんでいます。

昨年11月には重慶市の外資系スーパーで、開店10周年セールに客が殺到して特価品の食用油の奪い合いがおこり、倒れた人の下敷きになった3人が死亡、31人が負傷した事件があり大きく報道されました。
(その後、北京市では、大規模小売店が特売セールを実施する場合は、1週間前までに当局に報告するよう義務づけられました。消費者が1カ所に集中したり、商品の奪い合いなどの危険が予想される場合は、当局が開催中止を求める方針で、「数量限定」などの特売セールは事実上できなくなったようです。【2月15日 毎日】)

現在の食糧価格上昇を象徴するのが豚肉価格の動向で、ここ1年間ほどで2倍近くに上昇しています。
豚肉は中国の食卓に欠かせないものですからその影響は大きなものがあります。
背景には、バイオエタノール原料と競合する飼料価格の上昇、原油価格上昇、伝染病などもありますが、成長に牽引された旺盛な需要が根底にあります。【1月8日 朝日】

中国の動向は世界経済に影響します。
中国では国内食糧需要増加によって穀物輸入が始まっています。
都市部の急速な富裕化は肉の消費量を高めており、家畜用の飼料の需要が増大、97年から大豆を輸入するようになりました。
近年中にコーンの輸入も見込まれています。
このような中国の穀物需要は穀物国際価格を引き上げ、世界の食糧インフレを招くのではとの懸念も出てきています。【3月3日 IPS】

95年、アメリカのワールドウォッチ研究所所長のレスター・ブラウンが「誰が中国人を養うか」という論文を発表しました。
これは、中国人の食料消費の拡大、特に肉類消費の拡大に伴う飼料穀物の需要爆発により、世界が穀物不足になるという懸念を指摘したものでした。
しかし実際には、その後の中国は土地生産性の向上があって、食料輸出基調となっていました。
それが、ここにきてブラウン教授の指摘したような事態が垣間見えてきたようにも思えます。
なお、05年段階で中国は豚肉については世界の56%を、野菜は48%を消費しているそうです。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/0300.html
もちろん、豊かになった中国の人に、日本などが「お前ら、肉なんか食うじゃない!」と言う権利など全くないのは言うまでもないことです。

賃金も上昇し、工業製品の物価も上昇し始めており、“世界の工場”中国に安価な製品供給を頼っている日本など各国に影響が及びます。

 一方、この数年急騰を続けた株式や不動産相場が陰り始めており、株価は上海総合株価指数が昨年10月16日の6092・06(終値)をピークに下がり始め、現在は4000台半ばで推移しています。
北京、上海、深センなど大都市の不動産取引は昨年末から急減、値崩が始まり、仲介業者の夜逃げや店舗閉鎖が相次いでいると報じられています。【2月9日 産経】
世界経済に完全にリンクしている中国経済は、今後、サブプライムローン関連のアメリカ経済の動きなどに強く反応・共鳴することが予想されます。

こうした物価上昇に対し、中国政府は昨年から10回に及ぶ預金準備率の引き上げや売りオペなどにより、金融引締めを継続しています。
また、ガスや油などの主要商品の価格を一部凍結し、インフレを助長する活動を厳重に取り締まる方針を示しめしています。【1月11日 AFP】

農業関連では、農家に対する穀物税を廃止すると同時に肥料/種子補助を引き上げました。
また、国際価格の高騰および国内のインフレに対処するため昨年12月に輸出税の引き上げおよび各種穀物および小麦粉の輸出割り当てを定めています。
バイオ燃料生産への農地転用を規制する措置も講じています。【3月3日 ISP】

しかし、基本的には金融政策もさることながら、物価上昇の抑制のためには、食糧生産や輸入を拡大させ、小売などの流通段階の効率化など、実体経済への総合的な対応が不可欠です。
価格統制などは即効性がありそうで、特に中国のような社会体制の国ではとられがちですが、結局実体経済の調整をゆがめてしまう結果にもなりかねません。

89年の天安門事件について、小平が進めた開放経済・価格自由化政策に刺激されおきた20%を超える物価上昇、大量の失業者、開放経済で拡がる所得格差・・・これらへの民衆の不満が背景にあったと言われています。
また、物価上昇による社会不安を恐れた小平が、“はしごをはずす”形で保守派と手を結び調整政策に転じた結果、経済開放の先頭に立っていた趙紫陽の実権がすでに事件前から制約されていたとも言われています。
物価上昇による民衆の不安定化というのは中国権力者にとっては鬼門となっています。


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ウクライナ  天然ガスで再度ロシアとトラブル

2008-03-03 14:32:41 | 国際情勢

(天然ガスパイプラインの写真なんてつまらないので、かわりに「ガスの王女」ことティモシェンコ・ウクライナ首相
“flickr”より By Minirobot)

ロシアからのウクライナへの天然ガス供給については、05年から06年に価格改定交渉の行き詰まりから、供給停止、ウクライナの欧州各国向けガスの抜き取り、欧州各国でのエレルギー不安という大騒動になったところですが、最近もまた揉めているようです。

*****露ガスプロム:ウクライナに天然ガス削減警告 代金未払い******
ロシア政府系天然ガス独占企業ガスプロムは2月29日、「ウクライナが昨年のガス代金6億ドル(約620億円)を支払っていない」として3日午前10時に同国向けのロシア産天然ガスの供給量を25%削減すると警告した。
 ウクライナのガス代金未払いを巡っては、ロシアが2月12日にもガス供給停止を宣言。その時はウクライナ側が早期支払いを確約し、危機はいったん回避されたが、ガスプロムによると、その後も07年分の代金が支払われていないという。【3月1日 毎日】
***********************************

確かに、2月12日時点でガスプロとウクライナの間で未払い金15億ドル(1610億円)について決着した旨の報道があり、プーチン大統領の「ガスプロムはウクライナ側の取り組みに満足している。われわれ(ロシアとウクライナ)は協力して問題解決にあたることで合意した」、ウクライナのユーシェンコ大統領の「ウクライナは未払い金を支払うことに合意した」という両者のコメントも報じられていました。

そのわずか半月後の騒ぎですが、どういう事情でしょうか。
なにやら、「お前、払うって言っただろうが!」「払える分は払ったじゃないか!もうちょっと待てよ!」みたいな、そこいらへんの借金取立てのやり取りにも似ているような。

ウィキペディアによれば、05年のロシア・ウクライナガス紛争に関して“そもそもウクライナ側はソ連時代から再三ロシアに無断でのガスの抜き取りを行っていた。特に、ソ連崩壊後の1990年代初頭は料金不払い・無断抜き取りが多発していたため、幾度にもわたるガス供給停止が発生しており、今回の紛争においても、ロシア側はそれまでの供給停止と同じ感覚で事に臨んでいたと考えられる。しかし、今年はウクライナ側が記録的な大寒波のため、大々的にガスの抜き取りを行った。そのため、パイプラインの下流に位置する欧州の混乱を招く結果となった。”とのことで、ウクライナは“常習犯”の扱いになっています。

それが正確かどうかはわかりませんが、いずれにしてもその騒動で国民生活の根幹であるエネルギー供給が不安定化するのは下流の欧州各国としては大変な迷惑です。
ロシアにエネルギーを頼っているということだけでも大変な問題なのに。
ロシアにしてもエネルギーは国家戦略の要ですから、“ウクライナごとき”に制約されるのはとんでもない話でしょうし、更にエネルギーを戦略的に有効活用したいという思惑もあるでしょう。

そうした背景で、現在のウクライナとベラルーシ経由の天然ガス輸送パイプラインについて、多チャンネル化が進展しています。
2005年、ロシアとドイツは、バルト海を回る天然ガス輸送パイプライン「North Stream」(ノース・ストリーム)の敷設に調印しました。この計画は、2010年に完成し、その際、ドイツに毎年550億立方メートルの天然ガスを輸送することになります。

もう1本のルートが「South stream」(サウス・ストリーム)。
ロシアとイタリアが共同で提案し、全長900キロ、ロシアから黒海海底を通ってブルガリアに至り、その後は枝分かれして、南西はギリシア、北西はルーマニア、ハンガリー、オーストリアへ、そしてイタリアの北部までガスを運ぶ計画です。

昨年6月、ロシアとイタリアの関連会社は、協力の覚書に調印しました。
このプロジェクトは、今年か来年にスタートする計画で、3年後に輸送を始め、毎年、ヨーロッパに300億立方メートルの天然ガスを運ぶことになるそうです。 【3月1日 CRI】

サウス・ストリームには、EU支援で進められている競合ルートとして、カスピ海周辺諸国で産出された天然ガスをトルコから欧州に運ぶ「ナブッコ(Nabucco)」パイプライン計画があります。
ロシアへのガス依存から脱却するためのものですが、どうも難航しているようにも伝えられます。

一方のサウス・ストリームは着々と進行しているようで、欧州各国首脳と協定に調印するプーチン大統領及びガスプロム会長でもあるメドベージェフ第1副首相(今日当選が決まり次期大統領となりましたが)の記事を最近よく見かけます。
1月18日、ブルガリアがパイプライン建設契約に調印
1月25日、セルビアがパイプライン建設契約に調印、ガスプロム関連の石油会社がセルビア国営石油・天然ガス会社NISの株式51%を取得することでも合意。コソボ独立後の協力関係を強化。
2月28日、ハンガリーと建設で合意
“着々”どころか、超ハイスピードで進展しています。

ところで話をウクライナに戻すと、ウクライナの天然ガスと言うとどうしても「ガスの王女」ことティモシェンコ首相が連想されます。
「オレンジ革命のジャンヌダルク」とも呼ばれるこの女性の経歴をみると、
“1989年レンタルビデオ(海賊版)のチェーン店を設立し、成功する。ソ連崩壊後、1990年から1998年までいくつかのエネルギー関連企業を経営した。1995年から1997年まで、ティモシェンコは、ウクライナ統一エネルギーシステムの社長。1996年には、ロシアからの天然ガスの主要な輸入・卸売業者になり「ガスの王女」の通称で呼ばれた。その一方で、ガス貿易に関して不正取引も取りざたされた。”【ウィキペディア】
ということですが、89年の海賊版ビデオから96年の「ガスの王女」まで、一気に階段を駆け上ったようです。
“黒革の手帖”でも持っていたのだろうか?“なんていうのは下衆のかんぐりで、それだけ有能でロシアの混乱期というチャンスにも恵まれたのでしょう。

1999年からは副首相(燃料エネルギー部門担当)に就任しますが、2001年には、統一エネルギーシステム社長時代の文書偽造・ロシア産天然ガスの密輸入の容疑で逮捕されます。(数週間後に嫌疑不十分で釈放、本人は石炭産業と癒着した大統領のでっちあげと主張)

2005年には“オレンジ革命”で支持したユシチェンコ大統領のもとで1回目の首相に就任しますが、このとき彼女はロシアからの天然ガス輸入に際しロシア高官に賄賂を贈ったとしてロシア検察から指名手配を受けていました。
首相就任に伴い、ロシア検察は「首相など政府高官には不逮捕特権がある。ティモシェンコ氏がロシアに来ても問題はない」とロシア訪問しても逮捕しないことを明らかにしましたが、捜査自体は継続され、逮捕を免れるのは首相在任中に限るとの考えも示されました。

2005年9月には首相を解任されますが、12月にロシアはティモシェンコの起訴を取り下げました。
丁度、ロシア・ウクライナガス紛争が火を噴いていた時期です。
何があったのでしょうか?
この間、ティモシェンコはウクライナ首相であると同時にインターポールのサイトに顔写真が掲載された指名手配犯(本人は“ロシアの政治的圧力”と否定)でもありました。

昨年には首相に返り咲いていますが、とにかく波乱万丈の人生です。
政治的には反ロシアの立場ですが、まあ、指名手配を受けていた訳ですから当然と言えば当然でしょうか。
もっとも、昨日と敵と今日手を組むくらいは朝飯前でもあるでしょうが。
天然ガス取引については裏の裏まで知り尽くしている人物でもあります。

ティモシェンコはともかく、今回のウクライナへの供給削減の期限が3日午前10時。(日本時間の17時)
この件、すでに決着済みなのかどうかよくわかりませんが、前回12日にロシア・ウクライナ間で話がまとまったのが期限切れ数分前とのことです。

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フィリピン・タイ  エストラダにタクシン、復権をもくろむ前職

2008-03-02 13:34:21 | 世相
フィリピンのマニラ首都圏マカティ市で先月29日、汚職疑惑が取りざたされているアロヨ大統領の退陣を求める約1万5000人の大規模デモが行われました。
このデモには、国民に根強い人気のエストラダ前大統領やアキノ元大統領らも参加しました。
エストラダ氏は「私は2年半で大統領の座を追われたが、アロヨ氏は長く居座りすぎるよ」と冗談交じりに語り笑いを誘い、アキノ氏は「もう十分だ、退陣せよ、という声が満ちている。祈りを続けよう」と呼びかけたとか。

アロヨ大統領の汚職疑惑というのは、中国企業が受注した約3億3000万ドル(約345億円)の政府ブロードバンド網構築事業が舞台となっています。
大統領の側近が、中国企業に政府への仲介料として約1億3000万ドル(約136億円)を要求した疑いが昨夏浮上。
ある意味汚職はフィリピンなどの多くの国々で日常茶飯事のことではありますが、汚職疑惑には慣れっこのフィリピン国民も額の大きさに驚いているとか。

この事件にアロヨ大統領の夫が関与した疑いも浮上しています。
パキスタンのテロで亡くなったブット元首相の夫もリベート請求で“ミスター10%”と呼ばれていましたが、女性権力者の夫にはどうも素行のよくない男性が多いようです。

相手企業が中国企業というのも、“やはりね・・・”と思わせるところがあります。
猛烈な勢いで世界進出する中国経済ですが、あまりモラルとか社会公正には関心はないみたいで、ややもすると手段を選ばないところもあるようです。
昨年旅行したミャンマーなどでも、中国との取引が増えるにつれて賄賂がまかりとおる風潮が非常に強くなったと嘆く声も聞きました。
もちろん、日本企業を含め大同小異のことをやっているでしょうから、中国企業だけ槍玉にあげるのは不公平でしょう。

フィリピンのアロヨ退陣運動の今後については、エストラダ前大統領の動向が鍵を握っているそうです。
貧困対策などを掲げて登場した元映画スターのエストラダ前大統領は、結局、愛人問題、取り巻きの株不正取引疑惑、違法とばくの上納金など、スキャンダルばかりが話題となり、弾劾裁判の被告に。
その過程で、国民の怒りを買い、2001年にピープル・パワーによって大統領辞職を余儀なくされました。
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20070918

アロヨ大統領はこの混乱の中で大統領に就任しましたが、エストラダ前大統領は任中に不正蓄財を行ったとして横領などの罪に問われ、昨年9月には公務員犯罪特別裁判所で終身刑判決を受けました。
しかし、10月には、アロヨ大統領は、エストラダ前大統領に対する恩赦を決定しました。
恩赦の理由は、(1)前大統領は70歳を超えている(2)01年4月の逮捕以来すでに6年半の拘束生活を送った(3)どのような公職にも就かないことを約束したというものでした。

エストラダ前大統領は元映画スターということもあって、今なお貧しい国民には根強い人気があり、被告の身ながら、昨年5月に行われた中間選挙で上院の過半数を制した野党勢力を取りまとめる存在でした。
一方、アロヨ大統領も2004年の大統領選で、アロヨ大統領自身が中央選管幹部に携帯電話で連絡し、票の不正操作を図ったのではないかとの疑惑を抱えており、エストラダ前大統領の恩赦は、野党との決定的な対立を避け、自身への追及をかわす狙いがあるとも言われていました。
アロヨ大統領は「国民的和解」と表現していました。

「政治活動は慎む」というのがエストラダ前大統領恩赦の条件だったとされていますが、「国民的和解」は反故にされそうな情勢です。

好調な経済を背景に、アロヨ大統領は「政治的雑音」と意に介さず、2010年までの任期を全うする姿勢を示しています。
汚職で終身刑を受け恩赦で自由の身なった前職が、現職の汚職疑惑を大衆に訴える。
その時々の話題に熱くなる大衆は“ピープル・パワー”で権力者を追い詰める・・・この国の民主主義はあまり生産的には機能していないようにも見えます。
汚職が文化となっている社会風土が一番問題なのでしょうが。

復権を狙うもうひとりの前職は、タイのタクシン前首相。
06年9月の軍部クーデターで政権を追われて海外生活を続けてきたタイのタクシン元首相は28日、1年半ぶりに滞在先の香港からバンコクに帰国。
汚職容疑で逮捕状が出ていますので到着後、いったん拘束されましたが、最高裁に出頭して即日保釈されました。
総選挙勝利を受けて帰国は予想されてはいましたが、随分早いお帰りでした。

帰国したタクシン前首相は「政治には二度とかかわらない。普通のタイ国民になりたい」と政界引退を強調していますが、自身が関与するタイ最大の通信グループ株の売却だけでも前首相一族は733億バーツ(約2560億円)を得ており、とても“普通の国民”ではありません。

政治にはかかわらない・・・と言いつつも、すでに先の総選挙でタクシン支持派が勝利し、政権を実質的に手中にしています。
あとは表に出るかどうかだけの問題です。

軍部前政権に関与した国家警察長官の更迭など、“報復人事”も進んでいるようです。
ただ、一応タクシン支持派の看板になっているサマック首相も根っからのタクシン派ではなく、タクシン氏の操り人形にはなりたくないようで、内閣の組閣にあたっても、サマック首相とタクシン前首相の綱引きがあったように報じられています。

サマック首相は18日、下院で新政権の基本政策を発表し、タクシン政権時代に低所得者層から人気を得た30バーツ(約100円)医療や一村一品運動、低所得者向け小口融資制度などの復活を盛り込んだ「ばらまき型政策」を復活させました。
しかし、首相就任後「(タクシン氏の)汚職調査には介入しない」と選挙中のタクシン擁護の態度を一変、恩赦も「急ぐ必要はない」と軌道修正し、タクシン前首相の影響力排除に躍起になっているとも報じられています。

タイでも現首相と前首相の実権をめぐる争いが繰り広げられそうな雰囲気です。


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