孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

イラク  権限委譲、されど宗派対立再燃か?

2008-09-05 17:11:47 | 国際情勢

(イラク 護衛の任務を中断して自身の息子と娘を抱き寄せる“イラクの息子”(SOL)メンバー 首に下げた銃がなければ、ごく普通の穏やかな親子の様子ですが・・・ “flickr”より By onekingdown27
http://www.flickr.com/photos/ak_in_korea/2548603293/)

【腹立たしいこと】
無責任に突然やめられると困ります。
あとのフォローに苦慮しています。
福田首相の話ではなく、今月20日に予定した北京旅行のフライトの話です。
昨日、旅行代理店から電話があり、“帰国日の便がフライト・キャンセルになったと航空会社から連絡がありました。翌日なら飛ぶそうですが、どうされますか?”とのこと。

時間単位のぎりぎりのスケジュール調整でようやく押し込んだ旅行です。
急にそんなことを言われても困ります。
“まるで他人事のようだ”と言いたいところですが、旅行代理店にとっては実際他人事ですから仕方ないです。

キャンセルしたのは中国国際航空。ときどきこういうことがあるとか。
利用者が少ないので“赤字で飛ばすよりは”とフライト・トキャンセルしたのでしょうか。
“サービス業”としての自覚を持ってもらいたいものです。

仕方がないので、急遽大韓航空で手配しなおしましたが、予定していた休暇期間に収まらず、再度無理なお願いを関係者にして・・・・、福岡から鹿児島奄美までの国内乗継便も先割で取っていたので取消料が半額かかり・・・、全く腹立たしいかぎりです。

【進むイラク撤退】
閑話休題。
イラクのマリキ首相は先月25日、部族指導者らに対し米軍の地位協定に関して「(イラク・アメリカ)両国間で、2011年末までにイラク国内からすべての外国部隊を撤退させることで、合意が成立した。国際部隊の駐留を含む安全保障協定で、期限を設定しないということは容認できない」と述べています。
しかし、全軍撤退の期日指定に難色を示すアメリカは、ライス米国務長官がその前の週バグダッドを訪問した際、合意は近づいているがまだ最終段階ではないとしていました。
現在イラクに駐留している米軍は、約14万4000人です

マリキ首相は、シーア派民兵掃討作戦の結果に自信を深めたようです。
そんな自信を裏付けるように、シーア派反米指導者サドル師は先月28日、自ら率いる民兵組織マフディ軍の活動停止を無期限に延長するとの声明を発表しました。
活動停止は今年2月に6カ月間延長され、8月末が期限だったものです。
マフディ軍内部には武装闘争の継続を目指す過激分子もいますが、サドル師は声明で「(活動停止の命令に)従わない者は、われわれのグループのメンバーとは認めない」と述べたそうです。【8月28日 毎日】

米軍の撤退の時期・スケジュールにはまだ流動的な部分があるようです。
イラク駐留米軍のペトレアス司令官は、イラクの治安改善に伴い、首都バグダッドから米軍の戦闘部隊が2009年7月までに撤退できる可能性が出てきたと語っています。
一方、ゲーツ米国防長官らは4日、イラク駐留米軍の追加撤退を先送りし、14万人余りの規模を今年末まで維持するようブッシュ大統領に進言したとも報じられています。

細部はともかく、米軍が次第にイラクから撤退していく方向にあることは現在のところ間違いないようです。
イラクで最も治安の悪かった中西部アンバル州の治安維持権限が今月1日、駐留米軍からイラク軍へ移譲されました。
権限移譲は全18州のうち11番目ですが、イスラム教スンニ派が多数を占める州では初めてです。
権限移譲後は、駐留米軍は州知事から要請があった場合のみ軍事行動に参加することになります。

“米軍発表によると、アンバル州には今年2月には3万7000人の米軍兵士が駐留していたが、現在は2万8000人まで削減されている。一方でイラク軍兵士およびイラク警察の配備規模は3年前の5000人から3万7000人に増えた。
襲撃事件などが増加しているアフガニスタンへの米軍増派を求める圧力が高まる中、アンバル州の権限移譲により、イラク駐留米軍の削減は大幅に進むとみられる。イラク全体に駐留する米軍は約14万4000人だが、今後数か月間に削減が見込まれる。”【9月1日 AFP】

しかし、今後の展開について不安にさせる記事もあります

【やっぱり宗派対立か・・・】
*****イラク:進む治安権限委譲 宗派対立の再燃も*****
シーア派中心のイラク政府は、治安回復を担った地元スンニ派部族らの「切り捨て」を始めており、宗派対立の再燃が懸念される空気が漂っている。
 治安権限は軍や警察の正規治安部隊に引き継がれるが、アンバル県などのスンニ派地域で治安回復の柱となってきたのは、地元スンニ派部族で作る「覚せい評議会」だ。メンバーの多くは米軍の資金提供で、対米攻撃から反テロに転じた。評議会はアンバル県のほか、ディヤラ県やバグダッドなどでも設立され、米軍はメンバーを「イラクの息子たち」と呼ぶ。
 ところがシーア派が中枢を占めるイラク政府は、治安権限移譲の進展と並行して「イラクの息子たち」の切り捨てに出始めている。マリキ首相の出身母体「アッダワ党」のアバディ議員は米紙に「元武装勢力に給与を支払い続けることはできない」と強調する。
 政府は「イラクの息子たち」の20%を治安部隊に編入すると約束したが、手続きは停滞したままだ。ディヤラ県やバグダッドの一部では「息子たち」の摘発が始まっている。
 シーア派の間には、覚せい評議会がシーア派に対する脅威になるとの危惧(きぐ)がある。政府の切り捨てにより、「イラクの息子たち」が再び武装勢力に吸収されるとの見方も出ている。【8月31日 毎日】
********

「イラクの息子たち」は、全国で10万人とされ、米軍は1人当たり300ドル程度の月給を支給しています。
シーア派の中央政府とスン二派の「イラクの息子たち」の対立という、相変わらずの宗派対立ですが、記事にもあるように、正式な治安部隊への編入が進まないと、再び中央政府との紛争が起きかねません。
それは、皆がわかっている話で、以前から言われている話です。

“政府による切捨て”云々には、イラク中央政府は本気でイラクの安定を考えているのか疑問を感じずにはいられません。
これで混乱に後戻りするのであれば、米軍を含めて、これまでの犠牲はなんだったのかと腹立たしくも思えます。
何より、命を失い、家族を失い、家を失った多くのイラク住民の悲しみをどのように考えているのか・・・
世の中には腹の立つことが尽きません。

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アメリカ  共和党大会で紹介された“タフガイ”マケイン

2008-09-04 16:00:24 | 世相

(ハノイ・ホアロー収容所の展示写真 収容所を再訪したマケイン氏)

【“タフガイ”マケイン】
ハリケーン“グスタフ”も幸い弱まり、アメリカ・ミネソタ州セントポールで共和党の党大会が開催されています。
世間では副大統領候補のペイリン・アラスカ州知事の話題が賑やかですが、2日には、一時期自らも出馬していたトンプソン元上院議員・現役俳優がマケイン候補のベトナム戦争時代の捕虜体験を熱く語り、会場全体が聞き入り静まり返ったそうです。

「嵐にさらわれなかった共和党大会、マケイン氏の過去に会場沈黙 コラム「大手町から見る米大統領選」(51回目)」から、その熱弁を一部引用します。
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/gooeditor-20080904-01.html

***********
「1967年10月26日、23回目の北ベトナム上空飛行中、ジョンのA4スカイホークが地対空ミサイルで爆撃され、墜落した。緊急脱出した際、機体の一部がジョンに衝突し、ジョンは右膝と左腕と右腕を3カ所、骨折した。
怒りに燃える群衆がジョンを取り押さえた。銃床がジョンの肩を砕いた。銃剣が彼の足首と太ももの付け根を貫いた。

ジョンはハノイ・ヒルトン(訳注・ハノイ捕虜収容所の米側通称)に連行され、そこで何日間も覚醒と昏睡の間をさまよった。軍事情報を明かすなら治療してやると言われ、ジョン・マケインは『ノー』と答えた。
ジョンはそのまま何日も放置された。泥と埃と、自らの汚物にまみれて、不潔な部屋に横たわっていた。数日後に医師がやってきて、ジョンの右腕を固定しようとしたが失敗。しかもそれは、麻酔なしでのことだった。
ほかの骨折やけがは手当てされなかった。ジョンは高熱と赤痢を発症。体重は45キロあるかないかまで落ち込んだ。

そのうち死ぬだろうと北ベトナム側は考え、雑居房にジョンを入れた。そこにいた2人の米兵捕虜も、ジョンは死ぬだろうと思った。
しかし2人の助けを借りて、ジョン・マケインは戦い続けた。耐え抜いた。なので北ベトナムはジョンを独房に入れた……2年以上も。

孤独……トタン屋根を打ち付けるとてつもない暑さ。24時間消えない裸電球。窓には板が打ち付けられ、新鮮な空気はいっさい遮断されている。耐え難い暑さのせいで、腕の下に野球ボールと同じくらいの大さの腫れ物ができた。外界との接触は、ドアの隙間からわずかに見えるものだけ。
希望がどうしたこうしたと最近よく聞く。
ジョン・マケインは希望について、よく知っている。生き延びるには、希望しかなかったのだから。

プロパガンダのために、北ベトナムは彼に帰国を許すと申し出た。しかしジョン・マケインは断った。自分よりも長く収容されている仲間たちをおいて、先に帰国するわけにはいかないと断った。自分の自由を犠牲にしてでも、自分の良心と名誉を手放すわけにはいかないと拒んだ。
『断るとひどいことになるぞ』という警告を振り切って、彼は断った。
まさにそのとおりだった。ひどいことになった。

守衛たちは彼のあばらを折り、歯を根元から折った。両腕をロープでしばり、両肩をぐいと思い切り後ろにひっぱり上げ、彼の体を固定した。
4日もの間、2~3時間おきに拷問は繰り返された。なかでも特にひどく打ち据えられたあと、ジョンは床に落下。再び両腕を骨折した。

(中略)

5年半もこれは続いた。ジョン・マケインの骨は折られたかもしれないが、その心意気がくじけることはなかった。
戦争捕虜だったことと、大統領になる資格とは別物だ。けれども、その人の資質はよく分かる。
歴史の始まりのころからあらゆる文明が、指導者に求めてきたのは、まさしくそういう資質だ」
****************

歯医者さえ怖くて躊躇う私などは、そのタフガイぶりに感服する話です。
また、“希望”云々のくだりは秀逸です。
カンボジア・プノンペンのトゥール・スレン収容所の独房などを見るとき、人は“希望”ということを考えます。
ただ、ベトナム側の言い分は少し違うかもしれません。

【にこやかな捕虜達】
今年GWのベトナム・サパ旅行の折に、ハノイのホアロー収容所(通称“ハノイ・ヒルトン”)を訪れました。
旅行直後のブログにも書きましたが、かつてのホアロー収容所の敷地の大部分は、現在ではハノイタワーズという高層ビルに生まれ変わっています。
敷地から見上げる近代的なビルは、ベトナムの経済成長を象徴する光景のようにも思えます。

展示内容は当然ながら、フランス植民地時代の過酷な政治弾圧を訴えるものがメインになっていますが、ベトナム戦争に関しては、当時の“ハノイ・ヒルトン”でのアメリカ捕虜の暮らしぶりもかなりのスペースをとって紹介されています。
写真の米軍捕虜達の顔は実ににこやかです。
クリスマスを祝う米軍捕虜、手厚い治療を受ける捕虜・・・それらは“いかにベトナム側が米軍捕虜を人道的に扱ったか”と言いたいように思えます。

その手厚い治療を受けているのがマケイン氏です。
このコーナーには他にもマケイン氏がらみの展示が見られます。
冒頭写真のホアロー収容所を再訪したときの様子。
捕虜になった当時の飛行服。

【憎しみを越えて】
トンプソン氏が語るような激しい拷問があったのかどうか・・・まあ、当時のベトナムがそんなに人道的だったとも思われませんので、恐らくそのような激しい拷問・虐待があったのでしょう。
展示写真はある種のプロパガンダ写真なのでしょう。

しかし、それにしても再訪時のマケイン氏の様子はくつろいでおり、当時を懐かしむようにも見えます。
少なくとも、ベトナム当局に激しく抗議云々といった感じではないようです。
マケイン氏の心のなかでどのような時間が流れたのでしょうか。

拷問・虐待を耐えるタフガイ・愛国者ぶりも立派でしょうが、その体験を乗り越えてベトナムに接しようとしているのであれば、更に立派です。
そのことは“大統領になる資格”“世界のリーダーとなる資格”に大いに関係することかと思われます。

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エチオピア、アフガン  いまも重くのしかかる食糧価格高騰

2008-09-03 13:52:41 | 世相

(エチオピアTigray で行われているエチオピア政府によるセーフティネット事業。水を貯め、土壌を保護する溝を掘る事業に参加する住民にいくらかのお金が支給されます。このお金が干ばつと食糧価格高騰を乗り切る手助けとなります。 “flickr”より By Overseas Development Institute
http://www.flickr.com/photos/overseas-development-institute/2592160893/)

世界中で食糧価格が高騰し、あちこちで暴動や政情不安なども伝えられたのが今年の4月、5月。
6月初頭には国連食糧農業機関(FAO)主催の食糧サミットも開催されました。
最近はあまり食糧価格関係の記事を目にすることはなくなり、世界の関心もグルジア紛争後の米ロ対立などに向いていますが、食糧危機が解消した訳ではなく、高止まり状態ということでしょう。

食糧価格高騰に苦しんでいる国は財政基盤が弱い途上国が多いので、独自の対策には限界があります。
そして、多くの問題同様に、国内でも最も弱い立場の者に最も重くのしかかります。
エチオピアでは暴動対策のため都市住民対策が重視された結果、地方農民は危機的状況に置かれているとの記事がありました。
その“都市住民対策”にも疑問符がつくようです。

****エチオピア:食料危機の中の選択*****
エチオピアでは8月、首都をはじめ各都市の政府が、原価より40%近くも安い価格で小麦を販売し始めた。
干ばつに苦しむ内陸部で農業や畜産を営む農民を危機的状況に置く可能性を犯してまで、都市部住民に安価な食料を供給しようという選択である。

 一方で地方については、干ばつと食糧価格の急騰が重なり、今年は1,300万人以上が緊急援助を必要としているのにその半分も満たされていないと、エチオピア政府は、援助諸国や機関(ドナー)への非難の声を高めている。6月には新たに3億ドルの緊急援助を要請した。

 しかしドナー側は、都市部の食糧供給プログラムについて地方での食糧援助活動を阻害するものと困惑を強めており、援助要請に応じない可能性もある。エチオピア政府は、都市部での食料配布のため、この18カ月間に非常時用の食料銀行として設置された穀物備蓄から26万tを借りた。だが全く返済していないため、備蓄はほぼ底を突いている。

 エチオピアとそのパートナー機関である世界食糧計画(WFP)等は、限られた食料供給に対し、用途の優先順位付けを余儀なくされ、配給を3分の1削減。地方では何百万もの貧困世帯がなんの援助を受けることもできないまま、子どもたちが急性栄養失調に陥っているのが現状である。
 しかしこうした中、エチオピアは、世界的な食料危機が国内政治の安定に及ぼす脅威にも対応しなければならない。諸外国で見られている暴動等の事態にまでは至っていないものの、エチオピア政府の戦略的食料備蓄の使用を含む諸政策は、その防止策と思われる。

 8月初めに開かれた記者会見でアベラ・デレサ農相は、都市部の貧困層がもっとも弱い立場にあるとの見解を繰り返したが、政府が補助金つき穀物価格を引き上げ、誰もが購入することを認めたことから、そうした政府の見解に対しても疑念が増している。今では本当に貧しい人々には手が届かぬ価格となり、代わり に商人、銀行、中産階級の世帯が購入している。【現地発8月25日 IPS】
**********************

いろんな問題が凝縮しています。
限られた予算・資源のなかで、都市住民と農民のどちらを優先するか。
援助国、援助機関も価格高騰のため十分に手当てできない。
ドナー側と受け入れ側の思惑の違い。
援助対策が社会的不公正助長に利用されている。

最後の問題については腹立たしいことであり、政府の見識が問われる問題です。
紛争地域住民も、紛争の影響に上乗せして食糧価格高騰に苦しむことになります。

****冬のアフガン、5百万人が飢餓に直面へ 英国のNGOが警鐘****
治安悪化が著しいアフガニスタンで今年冬、夏の激しい干ばつや食料価格高騰の影響で食料不足が深刻化し、中部ダイクンディ州などを中心に500万人が飢餓の危機に直面する可能性があると、英国の国際的非政府組織(NGO)オックスファムが警鐘を鳴らしている。アフガンでは昨冬、記録的寒波が続き、女性や子どもら1100人以上が死亡。飢餓問題が解決しなければ、今年はさらに多数の死者が出そうだ。【8月31日 共同】
*********************

米軍主体のアフガニスタン駐留多国籍軍は、アフガン南部ヘルマンド州で多国籍軍とアフガン治安部隊が8月25-30日に軍事作戦を実施、武装集団の220人以上を殺害したと発表しています。

少人数でゲリラ的な戦闘を行うタリバン相手に数日で220人という数は驚異的な数字ですが、この戦闘では多国籍軍側に死者はいないとのことで、“220対ゼロ”というのも、どんな戦闘が行われているのか想像を超えたものがあります。
また、住民の被害も多く出ていると思われます。

問題は、これだけの犠牲者を出しながらタリバンの攻勢が弱まらないということです。
米軍等の外国勢力との戦いに参入してくる者が後を絶たない状況があるようです。
これでは、アフガンとパキスタン北西辺境州のパシュトゥン人男性全員を“皆殺し”しない限り戦闘が止まないのでは・・・とも思われます。

この状態を考えると、タリバンとの直接的な戦闘以上に、飢餓に直面している500万人にどのように援助の手を差し伸べ、いかに人々の心をつかむのかということが、戦略的にはずっと重要ではないでしょうか。
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辞めないタイ・サマック首相 非常事態宣言、 辞める福田首相・・・

2008-09-02 15:44:26 | 世相

(PADが占拠するバンコクの首相府で警備にあたる警官隊 女性からのドーナツ差し入れに和むひととき 8月28日の様子ですが、非常事態宣言が出た今は、また違った雰囲気になっているのではないでしょうか。“flickr”より By craig.martell
http://www.flickr.com/photos/craig_martell/2806512985/)

【国民の支持が広がらないPAD】
タイ・バンコクでくりひろげられている反政府団体・民主主義市民連合(PAD)とサマック首相の対立について、“どうもPADというのは“胡散臭い”ところがあるな・・・、ここはサマック首相の踏ん張りどころかな・・・”なんてことを書こうかと考えていたのですが、なんのことはない、自分の国の首相が踏ん張ることなくさっさと再び退陣を表明しました。

PADは“タクシン元首相の傀儡”としてサマック首相の辞任を求め、首相府での座り込みを始めて9月1日で1週間を迎えました。
この間、首相府占拠に加え、プーケット、クラビ、スラタニなど南部空港の実力閉鎖といった過激な行動で政権に揺さぶりを掛けましたが、首相は辞任を拒否。
社会を混乱させる議会外の直接行動に国民は距離を置いているとも言われ、市民連合の活動は手詰まり状態となっています。占拠している首相府では、有名歌手の歌謡ショーを開き、食事を無料提供するなど参加者集めに躍起になっているとも。

ただ、国鉄労組が支援ストに入り長距離列車を中心に3分の1から半数がストップしているほか、政府系企業でつくる労組連合は1日、加盟43労組が3日から事実上のストに入ると宣言、電力、水道、電話、金融機関など国民生活に大きな影響が出るおそれが懸念されていました。

【手詰まりのサマック首相】
一方のサマック首相は「脅しによって私をやめさせることはできない」「私には国家を平和的に前進させる責任がある」と退陣を拒否しており、タイで大きな影響力を持つプミポン国王に面会するなどして事態打開をはかってきました。
国王への謁見については、“中部のフアヒンの王宮でプミポン国王と謁見したが、空路でバンコクに戻った直後、予定の記者会見に出席せず消息が不明になっており、政権内部からも辞任を求める声が出る中、窮地に追い込まれた。
”とか、“29日深夜、中部ホアヒンに滞在中のプミポン国王を訪ね、未明まで粘ったが、面会できなかったという。30日午後、再度面会を申し入れ、受け入れられた。”とも報じられています。
92年の民主化運動に伴う流血の事態に際し、プミポン国王が見せた影響力の大きさ、サマック首相もPADリーダーのチャムロン氏も当時の関係者であることなどは、8月29日のブログでも取り上げたところです。

強制的に占拠者を排除すれば流血の事態となり、国民の批判を招きPAD側の思う壺にはまってしまうこと、軍も前回のクーデターに懲り、敢えて火中の栗を拾うことを嫌がっているため、非常事態宣言を出そうにも軍の協力が得にくいこと(29日には、「協力関係にある軍側から首相辞任を打診されたようだ」という首相側近の話も流れています。)、議会内では野党民主党だけでなく、与党内でも首相辞任を示唆する発言が出て、辞任勧告や議会解散が噂されるような事態にもなっていたこと・・・こうした状況でサマック首相も手詰まり状態にありました。

こうした事態に軍幹部も30日未明にかけて会議を持ち、状況打開の道として、首相辞任、下院解散のほか、野党・民主党を含めた大連立政権樹立、クーデターの可能性などが話し合われたとも報じられていますが、“クーデター”がそんなにおおっぴらに話し合われるあたりがタイらしいところです。

【非常事態宣言】
そんなPAD側もサマック首相も手詰まりの膠着状態が続いていましたが、ついに2日未明、PADと政府支持派の群衆数千人がバンコク中心部で発砲を伴って激しくぶつかり合い、死者1名を含む多数の死傷者が出ました。
これを受けて、サマック首相は午前7時(日本時間同9時)、首都に非常事態を宣言しました。
 
非常事態宣言下では、アヌポン陸軍司令官に事態収拾の指揮権が委任され、5人以上の集会が禁止されますが、PADは首相府の占拠を解かない構えで、更に南部の空港を再度閉鎖に追い込む意向を示すなど強硬な姿勢を崩しておらず、軍が強制排除に乗り出せばさらに大きな流血につながる恐れもあります。

【議席7割は任命制?】
PADに関しては、憲法改正反対とかサマック首相の退陣要求以外の具体的な主張が、日本では殆ど報じられていませんでしたが、“(議会の)全議席の約3割のみを選挙で選出し、残りの議席は任命制とするよう議会制度の改正を求めている。 PADの主な支持層は、従来からの富裕層や少数の中流階級層など。PADの指導者らは、タクシン元首相やサマック首相らを支持した農村地域の貧困層が投じた票の価値に疑問を呈していた。”【9月1日 AFP】という記事がありました。

また、PAD指導者であるメディアグループ経営者、ソンティ氏はタクシン前首相の盟友でしたが、資金トラブルから決別した関係にあり、かねてより、タクシン政権時代に利権を失った企業家らがPADの活動資金を提供しているとも言われています。

こうした一部情報だけで判断することは危険ではありますが、どうもPADには“胡散臭い”ところがあります。
もし本当に議会の7割を任命制にすることを主張しているのであれば“民主主義市民連合”の名前と大きく異なるグループのようにも思えます。“農村貧困層が投じた票の価値に疑問”云々は問題外です。

また、選挙からまだ間もないこの時期に首相府や空港を占拠して辞任をせまる、流血の混乱から軍のクーデターを誘発することも視野に入れての行動・・・というのも、議会を重視した民主主義のあり方からは外れています。
権力側が選挙結果や議会を無視しており他に方法がないなら別ですが、今のタイの政治状況で、自分達の気に入らない選挙間もない政権を議会によらず潰そうというのは・・・いかがなものでしょうか。

そんなこともあって、冒頭に述べたように“サマック首相は今が踏ん張りどころか・・・”と思ったのですが、事態は非常事態宣言発令で緊迫しています。

【淡々と辞意表明の福田首相】
それにしても、サマック首相が「辞める理由がない」と辞任を拒否しているように、海外からのニュースで伝えられる権力者、政治家の動向は、“何としても政権を維持する”というものが目立ちます。
選挙結果を認めず強権的にいすわるジンバブエ・ムガベ大統領、憲法改正によって再選を可能にしたいベネズエラ・チャベス大統領、武力に訴えても自己の主張を押し通そうとするグルジア・サーカシビリ大統領とロシア・メドベージェフ大統領、連立を解消しても1年がかりで原子力政策を進めるインド・シン首相、死に体と言われながらも粘りに粘ったパキスタン・ムシャラフ大統領・・・
良く言えば“自分がやらずして他に誰がやるんだ”という気概・自負心に溢れていると、悪く言えば“権力に執着している”言えるかも。

別にこれらの指導者が“優れている”なんて言う気はないですが、毎日こうした人の記事に接していると、殆ど衰弱状態に追い込まれた安倍前首相はともかく、今回の福田首相の辞任劇はいかにも淡白に思えて際立ちます。
自分からとりに行った政権でもなく、周りから請われる状況で“貧乏くじかもしれないよ”なんて引き受けた政権ですから。

“頑張りズム”信仰の強い日本ではこうした福田首相の対応はいかにも不評で、世間は“無責任な投げ捨て”と批判一色ですが、個人的には私自身これまで節目節目で多くのものを投げ捨ててきましたので、“無責任”云々を問う資格はないと自覚しています。
ただ、政治家、政治をめぐる状況が変わってきたな・・・という感はしています。

【内閣支持率や世論】
昔の“三角大福”時代の政治家は、怨念まみれのドロドロした世界で、隙あらば相手に食らいつこうと互いにうかがっていました。
三木首相などは、自民党内の公然たる“三木おろし”にもかかわらず、政権維持に固執しました。
竹下首相はリクルート問題で連日マスコミの袋叩きにあい、支持率5%台なんて数字になるまでやっていました。
(どうしてあんなつらい状況を投げ出さないのか、不思議に思いつつTVを観ていました)

今はみな周囲の評価を非常に気にします。
評価の象徴が“支持率”で、福田首相も随分気にしていたようです。
政権側がここまで支持率を気にするようになったのは安倍政権以降だとも言われています。
選挙で自らが信任された訳でもなく、小泉改革でかつての支持基盤は壊れてしまい、いまや“創価学会が自民党の最大の支持団体”という状況にあっては、“世論”の動向に頼るしかないのでしょう。

世論に気を配るというのは民主主義の基本でもあり、当然のことでもあります。
ただ、世論というのはうつろいやすいもので、ときに感情的で無分別です。
そこに取り入ろうと、“新聞の論説委員だけではなく、みのもんたに支持されるようにしないと”ということにもなります。

しかし、大衆迎合を排すべく・・・なんて言っていると、タイPADのような“議会の7割を任命制にする”云々にもなってきますので、これまた注意が肝要です。

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ジンバブエ  女性の政治参加に向けて

2008-09-01 14:45:36 | 世相

(ジンバブエ 村の寄合いみたいなものに参加する女性達(のように見えます)“flickr”より By Feinstein International Center
http://www.flickr.com/photos/feinsteincenter/770874004/)

【混乱が続く政治・経済】
3月の大統領選挙、6月の決選投票以来の混乱、と言うか、ムガベ大統領の横暴が続いているジンバブエでは、新たに首相ポストを設け、3月の大統領選挙でムガベ大統領を上回った最大野党「民主変革運動」(MDC)のツァンギライ議長をこれにあて、与野党の大連立を・・・といういわゆる“ケニア方式”の協議が行われています。
しかし、首相権限などで合意には至らず、一時は暗礁に乗り上げていました。

今月29日に新政権樹立に向けた権力分担協議が隣国南アフリカで再開しました。
ムガベ大統領は早期の新内閣発足を求めていますが、MDCのツァンギライ議長は、「権力分担協議の最終合意なしに新内閣発足は受け入れられない」と拒否の姿勢を示しているそうです。【8月31日 毎日】
ただ、今日はその話ではありません。

先日25日、大統領選以後初めて議会が招集され、議会で初めて多数派を占めたMDCの全国委員長が議会議長に選出されました。
議長選の投票直前には、警察が議会内でMDC議員を拘束する騒ぎがあり、MDC側は僅差が予想される議長選の投票に影響を与えようとする行為だと非難していましたが、今日はその話でもありません。

ジンバブエの政府系日刊紙は19日、6月のインフレ率が年率換算で1120万%を記録したと報じました。
しかし公式インフレ率は実際のものよりも大幅に少なく見積もられているとの見方が一般的で、非政府系エコノミストは、実際の6月のインフレ率を4000万%だとする見方を示した上で、「7月の実際のインフレ率は3億%、8月は6億%になるだろう」と語ったそうです。【8月20日 AFP】
4000万%、3億%、8億%・・・全く想像を絶する戦後最悪のハイパーインフレーションで、一部には“物々交換”が行われているとか。
しかし、今日はその経済崩壊の話でもなく・・・。

【女性議員】
今日は“女性議員”の話。
ジンバブエ関連で伝えられるニュースは、政治的混乱、暴力の横行、経済崩壊・・・そういったものばかりですので、ジンバブエ社会に対するイメージは非常にネガティブなものになりがちです。
特にメディアは“異常なこと”は伝えますが、“普通のこと”は伝えませんで、受け手の頭の中では異常事態が増幅してしまいます。
しかし、物事すべてそうでしょうが、ジンバブエ社会も異常・ネガティブな面だけではなく、普通の生活もあれば、地道な改善の取り組みもある、そんな社会なのでしょう。

******ジンバブエ:女性の政治参加平等へ向けて*******
 アフリカ連合(AU)の「ジェンダーおよび女性の人権に関する議定書」あるいは南部アフリカ開発共同体(SADC)が最近調印した「ジェンダーおよび開発議定書」は、議員の半数を女性にするよう定めているが、3月29日ジンバブエで行われた議会選挙では、女性当選者数は全体の14%と前議会の16%を下回る結果となった。

 しかし、8月14日から15日首都ハラレで開催された全国会議に出席した女性たちは、同選挙に参加した女性候補者数がこれまで最高であったことを祝福しあった。
「Woman Can Do It」の先頭に立ったウーマンズ・トラストのルタ・シャバ代表は、「候補者動員数は50%増加した。国政選挙は男性候補との戦いで厳しかったが、男性は地方選挙には関心が薄い。地方レベルには740人の女性が参加できる枠がある。地方議会での経験は、女性議員が将来国政に打って出ようとする際に大いに役立つ」と語っている。

 ジンバブエのSADC目標達成は定かではないが、ルワンダは憲法および選挙法で女性議員枠を保証することで既に48.8%を達成。南アフリカ、モザンビークも党の積極的取組みにより30%・ラインを超えている。これらの例からも、女性議員枠を基とする選挙システムの確立が女性の政治参加拡大に必要なのは明らかだ。

 ジンバブエでは現在、与党のジンバブエ・アフリカ民族同盟・愛国戦線(ZANU-PF)と民主変革運動の2グループが協議を行っている最中で、ウーマンズ・トラストを始めとする女性政治活動グループは2013年選挙を見据え、3者が、女性の政治参加拡大を目指す「女性と平和及び安全保障に関する国連決議」を遵守することなどを要求している。【現地8月23日 IPS】
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ちなみに、開発戦略に男女平等を打ち出した南部アフリカ開発共同体(SADC)は05年までに議会の30%を女性とすること、差別的な法律/政策を撤廃すること、男女平等を保証する新法を制定することで合意。また、07年までに対女性暴力を半減、15年までに対女性暴力を根絶する目標も掲げています。

日本の国会議員の女性比率は、昨年8月段階で、衆議院9.4%、参議院17.8%であり、合計では11.8%となっています。
これでも近年随分改善した結果であり、衆議院などは、昭和の間は殆ど1%台の数字で、平成8年4.6%、平成12年7.3%と、平成に入ってようやく上昇してきました。
なお、先進国の間では一番女性比率が低いことが以前から指摘されてきました。

こんな情報もありました。
******ベトナム、女性国会議員の割合がアジアでトップ*****
国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)は米ニューヨークで1月17日、女性差別撤廃条約(ベトナムは1982年に批准・加盟済み)の実施状況に関するベトナム政府の報告書を審査した。この審査に参加した政府代表者によると、ベトナムにおける女性差別撤廃および男女平等における取り組みと成果は模範的であるとの評価を受けたという。
 ベトナムは国会議員に占める女性の割合が27.31%とアジア地域で最も多い。政府機関では大臣または同等クラスの役職に占める女性の割合が11.29%、次官または同等クラスは12.85%、また仕事を持つ女性の割合は全体の83%で、これもアジアでは最も高い数字となっている。【日刊ベトナムニュース 07年2月7日】
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確かに、ベトナムを旅行すると働いているのは女性ばかりで、“男は何しているのだろうか?”という印象を受けますので、この結果は納得できるものです。

日本の女性議員の少なさにはいろんな事情があり、また、ここ数日随分世間を騒がせている女性議員もいて、“女性議員が多ければいいというもんじゃないだろう”という意見もあるかとは思います。
ただ、そんな事情・理由を百並べても、“二人に一人は女性なのに何故?”という疑問の答えにはならないとも思います。

政治・社会・経済が混乱の極みにあるジンバブエにおいても、女性の政治参加に向けた地道な取り組みがあること、日本の数字はそんなジンバブエにも及んでいないことが今日の話です。

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