今朝、翁の施設の職員さんから電話。翁からのお呼び出しの言付けでした。
で、急遽かけつけました。
しかし「まだ死にませんよ」ということで、心配したことではなく、安心してお話しを一時間余りお聞きしました。
そのことと関連して午後、西宮図書館まで行ってきました。
もちろん徒歩で。約4000歩のリハビリです。
39年前の翁執筆の新聞記事を見るため。
翁は資料もないのでその記事の掲載年月日を覚えておられないのだが、
そのことがあってすぐに記事にしたとおっしゃった。
わたしは、別の人があるところに書かれた資料から、そのことは1979年の3月の末ごろのことと知っていました。
ならば記事は4月初めに載ったのだろうと目星をつけました。
西宮の図書館は、古い神戸新聞の現物を所蔵しているのです。
マイクロフィルムではないので便利です。
念のため、1979年の3,4,5月分の朝夕刊を書庫から出してもらいました。
でかくて重いです。「台車で運びましょう」と言ってくださったが、わたしなんとかまだ持てました。
でも3冊までが限度でしたね。
両腕で抱えて閲覧机に運び、先ず4月の初めから探しました。多分10日付けまでに載っているだろうと。
ところが見つかりません。
次に3月分を31日から逆にたどって行きました。
なかなか見つかりません。
15日まで遡ったのですがありませんでした。
ちょっとしんどくなりましたが、こういうことは根気をなくしたらあきません。
もう一度、4月1日からやりなおしました。
10日まではさっき見たのですが念のためもう一度。
やっぱり見つかりません。
翁は神戸新聞とおっしゃった。
内容から言っても神戸新聞にちがいないこと。
ちょっと不安になりましたが、やはり根気よく、と思って11日以降をめくって行きました。
するとついに、18日の朝刊に見つけました。
「あった」と声が出ました。
写真を撮れば簡単なのですが、撮影は禁止です。
だけどコピーはOKなのです。
ところが新聞はきっちりと綴じて製本化されており、しかも分厚いので、右端がどうしてもきれいにコピーできません。
司書さんが手伝ってくださったのですが、谷の部分がコピー機のガラス面に密着しないのです。
だから、その読めない部分は、ノートに書き写して帰ってきました。
そして、帰ってきてから、今見たら、このページのカット絵に目が行き、「あっ!」と声が出ました。
菅原洸人さんの絵です。
なんという偶然。
宮崎翁と洸人画伯が39年前に紙上でコラボレーションしておられたのでした。
で、急遽かけつけました。
しかし「まだ死にませんよ」ということで、心配したことではなく、安心してお話しを一時間余りお聞きしました。
そのことと関連して午後、西宮図書館まで行ってきました。
もちろん徒歩で。約4000歩のリハビリです。
39年前の翁執筆の新聞記事を見るため。
翁は資料もないのでその記事の掲載年月日を覚えておられないのだが、
そのことがあってすぐに記事にしたとおっしゃった。
わたしは、別の人があるところに書かれた資料から、そのことは1979年の3月の末ごろのことと知っていました。
ならば記事は4月初めに載ったのだろうと目星をつけました。
西宮の図書館は、古い神戸新聞の現物を所蔵しているのです。
マイクロフィルムではないので便利です。
念のため、1979年の3,4,5月分の朝夕刊を書庫から出してもらいました。
でかくて重いです。「台車で運びましょう」と言ってくださったが、わたしなんとかまだ持てました。
でも3冊までが限度でしたね。
両腕で抱えて閲覧机に運び、先ず4月の初めから探しました。多分10日付けまでに載っているだろうと。
ところが見つかりません。
次に3月分を31日から逆にたどって行きました。
なかなか見つかりません。
15日まで遡ったのですがありませんでした。
ちょっとしんどくなりましたが、こういうことは根気をなくしたらあきません。
もう一度、4月1日からやりなおしました。
10日まではさっき見たのですが念のためもう一度。
やっぱり見つかりません。
翁は神戸新聞とおっしゃった。
内容から言っても神戸新聞にちがいないこと。
ちょっと不安になりましたが、やはり根気よく、と思って11日以降をめくって行きました。
するとついに、18日の朝刊に見つけました。
「あった」と声が出ました。
写真を撮れば簡単なのですが、撮影は禁止です。
だけどコピーはOKなのです。
ところが新聞はきっちりと綴じて製本化されており、しかも分厚いので、右端がどうしてもきれいにコピーできません。
司書さんが手伝ってくださったのですが、谷の部分がコピー機のガラス面に密着しないのです。
だから、その読めない部分は、ノートに書き写して帰ってきました。
そして、帰ってきてから、今見たら、このページのカット絵に目が行き、「あっ!」と声が出ました。
菅原洸人さんの絵です。
なんという偶然。
宮崎翁と洸人画伯が39年前に紙上でコラボレーションしておられたのでした。