あいよっこの旅ログ:::Part2:::

「女性のひとり旅は冒険の始まり!」

独自の文化・景観・街並みを守るのは難しい

2009-06-18 17:50:39 | 日記



?? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?写真:手前が弁天島、後ろが仙酔島。船がひっきりなしに通ります。
              ? ? ? ? ? ? 対潮楼より。

 尾道市の親戚を訪ねて行き、一緒に鞆の浦に1泊しました。鞆の浦は「崖の上のポニョ」の舞台と騒がれるようになり、ある紛争が激しくなっているようです。偶然とはいえ先日、ジブリ美術館で「ポニョ特集」を見たこともなにかのご縁かと感じてしまいます。?


?  ホテルはそのポニョ人気なのか、あるいは「高速道路土日1000円」が奏功しているのか、満員御礼です。バイキング料理の夕食時には、漁船が船出するときの大太鼓や弁才天様のショーで盛り上がっていました。


?? 写真:「福禅寺」は寺社の多いこの町でも別格。??

? 
 家族のお祝い事、たとえば還暦とか誕生日とかで宿泊すると、お客様全員で祝ってもらう趣向です。温泉や料理はもちろんですが、宿泊施設ではユニークな工夫を凝らしてお客様を迎えているようです。?
?


 さて古来より鞆の浦は漁港として、また交易をする航海人が「潮の流れを待つ港」として栄えました。人力で船を漕ぐ時代には、潮の流れを見ること、流れに乗ることが必要不可欠だったのです。


     ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ?写真:街並みは大切に保存されています。 


 港が栄えたのは景観のすばらしさも大きな要因で、国立公園第1号「瀬戸内海国立公園」に指定されました。手前の小さいのが弁財天の祠がある弁天島で、人が上陸するのは限られています。
 後ろの仙酔島は、妊婦があおむけに寝ている形にも見えるため、島から登る朝日には「生まれ変わりのエネルギー」があると考えられています。?

  海岸線の小高い丘にある「対潮楼(たいちょうろう)」は名前どおり、潮の流れを観るのには絶好のポイントです。対潮楼は、平安時代の創建と伝えられる真言宗の古刹「福禅寺」に隣接し、かつて「朝鮮通信使」が滞在したことでも有名です。江戸時代の創建当時から国の施設として活用され、天皇ともゆかりが深い由緒ある客殿です。
 

 海を望む広い窓(?)は真東に向いているため、お彼岸の中日には目の前で太陽と月が交差するなど、居ながらにして興味深い天体観測ができるそうです。壁には、天体と季節や潮の流れ・満ち引きなどの関係を示す古い天体カレンダーが貼ってありました。?


 ところでポニョの舞台になった場所はどこでしょう?「鞆の津の商家」で案内しているおじさんに聞いてみました。「円福寺の近くの、丘の頂上にある別荘が鞆鉄道の社長の別荘です。
知り合いの宮崎監督はそこに2ヵ月間ほど滞在して構想を練ったと聞いています」とのこと。
 「アニメに出てくる宗介の家や船着場のようす、モデルにした船などで良く似ている場所がある」らしいです。さっそく行って見ました。

 
  写真:鞆の津の商家」で。「八朔の馬出し」に使う白い木馬と台車。
     子どもの誕生と健やかな成長を願うお祭りです。


 しかし街中の道路は相当に狭いです。車1台がやっとの道幅でも一方通行ではないので、対向すると汗が出てきます。紛争というのはこの道路の問題です。以前から海を埋め立てて道を
拡幅する計画が進行中だったところ、予期せぬ「ポニョの景観を守ろう」という声の高まりで、行政側も思案顔という現況なのだとか。?

 
 写真:右手の頂上にあるのが別荘。その裏側がよく似ているらしい。でも見えな~い。

 たしかに住民にとってこの道路の狭さは不便で、広くしたい要望は十二分に理解できます。ただ旅人としての(勝手な?)願いとしては「今となってはぜひ残してほしい」です。失くしてしまうと絶対元通りはできない文化遺産なのです。ヨーロッパなどで狭い石畳の道がごく普通に残っていること考えてみても、細い道を大切にすることが、つまりは街の独自性を守ることにつながるのではないでしょうか?
コメント
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