第1761回で今の時代の日本に生まれたことの幸運を感謝しないといけないと書きましたが、それも最近の政治をみているといよいよ日本の良い時代も終わりが来たのかと思わせられます。
どうして、こんな恵まれた日本をわざわざおとしめようとする政治家が跋扈するようになってしまったのか。これは素晴らしいと思っていた民主主義の限界かもしれません。選ぶ国民も、選ばれる政治家も余りにも程度が低いと言わざるを得ないようです。つまりは、自分たちの自己責任でしかないようです。
絶対と思った民主主義がこうであるなら、どんな体制が人類にとって良いのかと考えます。
そのヒントになるような面白い話題がありました。
ぼやきくっくり より
「外国人から見た日本と日本人」第17弾です。
…略
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」(1979年発行)より
日本民族のもつ最大の財産は天皇制である。これは全く世界に類例のない偉大なものであり、人類の理想とするものである。
かつてユダヤ人の大思想家でフランス革命に大きな思想的影響を与えたジャン・ジャック・ルソーは、かの有名な『社会契約論』で次の如きことを言っている。
「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである」
ここでいう君民共治というのは、君主が決して国民大衆に対して搾取者の位置にあることなく、したがって国民大衆も君主から搾取されることのない政治体制のことである。
ところがここで驚いたのは、日本人にこの話をするとみな不思議そうな顔でキョトンとする。私は最初その意味が全くわからなかった。しかし、だんだんその意味がわかってきた。日本の天皇制にはそのような搾取者と被搾取者の関係が存在しない、ということを私が知らされたからである。今度は私の方が驚かされた。
日本人のためにちょっと説明しておくと、欧州でも、また最近追放されたイランの王室でも、君主はみな国民大衆に対しては搾取者の地位にあるものである。したがって、亡命するときは財産を持って高飛びする。これが常識である。だが、日本人の知っている限り、このようなことは君主制というものの概念の中には全く存在しないのである。
しかるに、ユダヤ人ルソーの思想は搾取、被搾取の関係にない君主制を求めているわけである。これは確かに理想である。しかし残念ながら、ルソーはそのようなものが実在できるはずもないからやむを得ず、民主主義を選ぶというものである。
私がルソーの時代に生きていたならば、ルソーにこういったであろう。「直ちに書きかけの社会契約論など破り捨て、速やかに東洋の偉大な君主国へ馳せ参じよ」と。
ここで非常に重要なことをルソーは言っているのである。今日本で絶対の善玉の神として一切のタブー化されている民主主義というものは、ルソーによれば君民共治の代替物にすぎないということである。私が日本人を最高に尊敬するようになったのも、この天皇制というものの比類なき本質を知ったからである。
日本では戦前、比類なき国体という言葉があった。またポツダム宣言受諾の際にも、この国体の護持という点が一番問題になったのである。これは真に賢明なことであった。この日本の天皇制はユダヤ思想の理想であったことはルソーの言葉でもわかるが、他にもあるユダヤ人のいった言葉に次のようなものがある。
「わがユダヤの王は、目に見えない護衛だけで守られる。われらの王は威厳にみちてその権力を行使するのは人民の幸福のためだけであり、決して王自身や王朝一族のためにこれを用うることはない。
かくして王への尊敬と威厳はいやが上にも高まり、人民に崇拝され敬愛されるのである。そのため王は神格化されるだろうが、それはひとえに王の権威が人民に安らぎと幸福を保証するコーディネーターの役を果たすからに外ならない」
断っておくが、これは日本の天皇制の描写ではない。ユダヤ民族の理想なのである。これを見てもおわかりと思うが、ユダヤ人はルソーの言った如く、国民との利害関係をもたない君主が理想なのである。
私が日本の天皇制の本質を知ったときの驚きが如何なるものであったかは、推して知られたい。地球上にユダヤ民族の理想が実在したのである。…以下略
これは考えさせられますね。日本人が天皇制を今まで守ってきたことはもしかしたらとてつもなく大事なことだったのかもしれません。
戦後の民主主義の恩恵を受けて育ってきた身としては戦前が素晴らしかったと無批判に賞賛することには抵抗がありますが、それでもこの考え方には納得できるものがありそうです。
天皇という権威と政治を実際に行うものの権力とを完全に分けて維持してきた日本人の先祖は偉大だったのかもしれません。
しかしながら、そんな素晴らしい国を戦後の60年余りで壊してしまった今の日本人は相当な馬鹿者のようです。これもやはり教育が一番大きな問題だったのかもしれません。これだけ素晴らしい先祖を持った日本人ですからそれなりの教育を受ければここまで道を外れることもなかったのじゃないでしょうか。
今からでも、修正は可能なのでしょうか。
それとも、落ちるだけか!