団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★日本の捕虜に対する扱いの凄さ

2023年12月07日 | 誇れる日本

 戦後の自虐史観教育で日本人は野蛮であると思い込まされていましたが、ネットのお陰でそれも嘘であったことを知ったものです。
  鳴門の第九などその代表的な感動する話です。日本人全てとは言いませんが、こんなことが起きていたのも日本だからこそでしょう。

  イスラエルの独立もこうした捕虜の扱いから起きたことであるのもネットでねずさん達に教えてもらって驚いたものです。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。日本の先人は本当に凄い人達でした。その心を取り戻すことを願いたいものです。 

  ねず さん のひとりごとより   2023/12/04

  鳴門の第九 松江豊寿大佐

  ・・・略 

  ドイツ橋は、2003年に県の文化財に指定されました。
195トンもの石を積み上げて作られてていて、一切セメントが使われてない橋です。
そして100年近く経った今でも、まったく健在です。
それは石組みの巧みさばかりでなく、河床の処理が丁寧になされています。

 こうした橋の建造について、当初は応分の報酬が払われるはずだったのですが、俘虜に金を払うことの是非について論議が起きて、結局は無償となりました。

 このとき、ドイツ兵のひとりが言った言葉がいまに伝えられています。
「松江大佐が、我々俘虜に
 創造の喜びと働く意欲を駆り立ててくれた。
 このことこそが最大の報酬です」

 今回書きたかったことの第一がこれです。
心志を苦しめられ、鍛え上げられた人というのは、周囲までも立派な人にしていくのです。

 こうした交流の中から、自然発生的に生まれたのが、捕虜のドイツ人たちによる「ドイツ沿岸砲兵隊オーケストラ」の誕生です。
そしてこのオーケストラは、帰国まで計34回、月平均1回の割合で公開演奏を行い、地元の人たちに親しまれ、また大きな影響を与えました。

 大正7年6月1日には、80人の地元民による合唱団が出演し、収容所施設内で、壮大なベートーヴェンの第九が、なんと第一から第四楽章まで、全曲演奏されました。

 ちなみに、世界中の捕虜収容所で、人を人として扱わない非人道的な扱いが公然と行われている中で、日本では極めて人道的な、というより、それ以上に家族的な扱いが行われていたことは、世界史的な観点からも、実に注目に値することです。

 そういえば、イスラエルの建国の英雄、ヨセフ・トランペルトールも、日本で、ロシア兵捕虜として収容所生活を送った経験を持っています。
時点は少し違っていて、トランペルトールは日露戦争時の戦時捕虜として、大阪・堺の浜寺収容所に入れられています。

 浜寺収容所では、当時の日本はまだまだとても貧しかったにもかかわらず、捕虜たちに常に新鮮な肉や野菜やパンをふんだんに支給しただけでなく、将校には当時のお金で月額で三円、兵には五〇銭の給料も支給しています。

 そのあまりの親切さに、トランペルトールは一生懸命に日本語を習得し、なぜ小国日本が大国ロシアに打ち勝ったのか、その秘密を探求しようとしました。
答えは、意外と身近なところに転がっていました。
警備をしているひとりの日本兵が言ったのです。
それは、
「国の為に死ぬほど名誉なことはない」
という言葉でした。

 祖国イスラエルに帰ったトランペルトールは、「トフ・ラムット・ビアード・アルゼヌ」という言葉をイスラエル建国の標語としました。
これはユダヤ語で「国の為に死ぬほど名誉なことはない」です。

 日本は、建国の理念を「家族国家の建設」に置いている国です。
誰もが家族のように親しみ、信頼し合い、互いに互いの役割に従って、できる最大限を家族のために尽くしていく。

 だから日本は、明治維新後の大発展ができたし、世界に良い影響を与え得たし、そうした先人たちのおかげで、いま私達はこうして生きているわけです。

 歳末の第九交響曲は、単にベートーベンの名曲というだけでなく、それが日本で演奏されることの背景には、捕虜さえも家族として扱い接した私達の父祖たちがいる。

 そのことを、この歳末にもう一度、思い出したいと思いました。

  そのイスラエルの独立もねずさんが「むすび大学チャンネル」で語ってくれています。


  この関係から日本の一部沖縄をイスラエルに譲ることもあっても良いのじゃないでしょうか。Chinaにとっては何とも嫌な考えでしょう。やってみる価値はあるでしょう。


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