今回のねずさんのブログは一段と耳が痛い。まさに我が人生の情けなさを指摘されたような気がします。
やはり、何もかもを他人の所為にする生き方は余りにも情けない。その報いが極貧生活なのだと受け止めるしかなさそうです。
とは言え、折角ねずさん達のお陰で目覚めたのですから残り人生は少しでも公の為になることをして行きたいものです。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2022/05/11
未来への責任
・・・略
GHQの「せい」にする。
戦後左翼の「せい」にする。
政治の「せい」にする。
国際金融資本の「せい」にする。
ディープステイトの「せい」にする、等々、
近年、現状を何者かの「せい」にすることが流行しています。
誰かの「せい」にしてしまえば、自分は被害者でいられる。
そして不思議なことに、被害者でいることで、安心を得ているかのようです。
まず、冷静に考えていただきたいのですが、自分の給料が安いことや、なかなか出世できないことなどは、会社の「せい」だった のでしょうか。
自分に彼女ができないのは、誰かの「せい」でしょうか。
いま起きている様々な事象について、「なぜそうなったのか」を考えることは、とても大切なことです。
けれど、「だから仕方がない」とあきらめるのは、日本的ではありません。
我々は「いま」をしか生きることができないのだから、「いま」できる精一杯の誠実を尽くすことで、より良い未来へとシフトし ようと考えてきたのが日本人です。
そして実は、こうした日本人の古くからの思考は、立体的です。・・・中略
このままではいけないと思うなら、そうでない未来を築くのは、いまを生きている私たちの役割です。
私たち一人ひとりが、歴史の当事者なのです。
「そんなことを言ったって、個人の力なんて知れている」と考えるのも、違うと思います。
なぜなら、いつの時代にあっても、時代を動かし、時代を変えるのは、その個人の力です。
決してあきらめない。
どこまでも戦う、いつまでも戦い続ける。
死んでも魂魄となって戦う。
七度生まれ変わって戦い続ける。
それが日本人です。
それが、いまを生きる日本人の、未来への責任です。
未来への責任を果たしたいものです。
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