団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★頑張りすぎない練習

2020年03月27日 | 日記・その他

 何かの拍子に、72歳で死ぬとの予感を感じたのですが、もう一月ちょっとしか残っていません。
  24時間座椅子に寝てネット三昧。食事は、朝は水1リットルとバナナ1本弱、昼はマルちゃん正麺醤油味、夜は御飯丼2杯弱とレタスのサラダにみそ汁などという極端に健康に悪い生活をしてその時を待っていますが、未だにその気配無し。

  さて、どうなるのやらなんて考えていたら、何時もの宮崎さんが書評で『頑張りすぎない練習』なる面白い本を紹介してくれていました。
  
  ご苦労されてきてたどり着いた心境なのでしょうか。常に「マア、いいか」で頑張らなかった身には皮肉に聞こえてしまいます。
  とは言え、あるがままに任すことも大事でしょう。あせったところで良くなることもないでしょう。

  と言うことで、死も自然に任せるしかなさそうです。


  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和二年(2020)3月20日(金曜日)弐 通巻6411号   

  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 

 素直であり、一直線の心の清浄さは感動的
  「看取り社会」を考える際に、入門副読本

 玉置妙憂『頑 張りすぎない練習』(マガジン ハウス

 仏教哲学の入門書かとおもうと、そうではなかった。女性僧侶で、風呂敷を拡げる売僧(まいす)の代表は瀬戸内寂聴だ が、その類いのテツガク本ではない。衒学的な要素ゼロ、読み進むにつれて、むしろ看取り社会の実践編ということが分かっ た。
 頑張るのは良いが、頑張りすぎの突っ張りは駄目、そこそこの人生、悠然たる生活のススメともとれる。
 日本の旗艦産業はいまや鉄鋼でも自動車でも半導体でもない。介護士である。
 高齢化社会、看取り社会に移行しているのに、政治家の打ち出す政策には、哲学的な含蓄がなく、目先の金のばらまきしか ない。
 日本人の心の源泉、伝統文化の中心だったコミュニテイィは喪失している。現代日本人は基本的に、人間としての在り方を 見失ったようである。
 いかに生きるかとは、同時にいかに死ぬかということである。それが仏教の悟りでもあり、拙著『青空の下でよむニー チェ』に書いたことでもある。
 著者は「頑張りすぎ」は何もしないと同じことなのです、という。だから人とうまく付き合うコツは『適当に距離を置く』 ことであり、休暇はしっかりと、暮らしの中に瞑想を取り入れよ、とする。
 素直に読めることに加えて、清浄な印象。はたして著者はいかなる経歴の持ち主なのかと思えば、重度のアレスギーの息子 のために、『息子専属の看護士になる』と決意して看護学校に通う。そのうち看護学校で教えるようになる頃、夫がガンと分 かった。夫は自然死の選択をした。悲しみから立ち上げるや、決然と高野山で修業に励み、僧侶兼看護士。とくに在宅での看 取りの重要性、スピリチュアルの実践に務める日々を過ごすようになったという。
 介護サービスについても「罪悪感にとらわれず、上手に使えば良い」と、すなおに推めている。

  あくせく働いて99%の人達から搾り取った金を持って何が楽しいのかと思いますが、それでも足らなくてもっと絞りたてようとする人生を送っている人達もいることを考えるとどちらが幸せなのか。  

やはり、足るを知るでしょう!

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