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ゴジラ

2014年07月20日 21時25分03秒 | 邦画1951~1960年

 ☆ゴジラ(1954年 日本 97分)

 英題 Godzilla

 staff 監督/本多猪四郎 原作/香山滋 脚色/村田武雄、本多猪四郎

    撮影/玉井正夫 美術/北猛夫、中古智 音響効果/三縄一郎

    特殊技術/圓谷英二 音楽/伊福部昭

    劇中歌「平和への祈り」/作詞:香山滋、作曲:伊福部昭、斉唱:桐朋学園女子生徒

 cast 志村喬 河内桃子 宝田明 平田昭彦 高堂国典 菅井きん 堺左千夫 鈴木豊明

 

 ☆特撮とボク、その1

 もともとこの作品の仮題は『海底二万哩から来た大怪獣』だったらしい。

 ま、それはいいとして、

 大学時代、まだそれほど『ゴジラ』に始まる特撮が市民権を得ていなかった時代、

 どちらかといえば、特撮とか子供だましのように捉えられていた時代、

 ぼくはかなり特撮に入れ込んでいて、

 東宝の特撮作品が名画座で掛かるとまっさきに観に出かけてた。

 大学の何年だったか、文芸地下に『ゴジラ』が掛けられたとき、

 タイトルに伊福部昭の名前があがった瞬間、にわかに拍手が沸き起こった。

 後にも先にもそのときだけだったけど、

 その時代にしてはかなりマニアックな連中がその日の劇場につめかけてたんだろう。

 だって、その時代はまだビデオとか普及してなくて、

 映画音楽のLPがかろうじてレコード屋さんの片隅にあるくらいなもので、

 ゴジラシリーズとか、

 日曜の昼すぎになるとたま~にテレビで放映されるくらいしかなかったから、

 僕たちはずいぶん相当、東宝特撮っていうか、伊福部昭に飢えていた。

 そんな時代だった。

 でも今じゃ、レンタル店があるから、

 好きなときに好きなだけ、東宝特撮に浸たっていられる。

 時代の流れってのはすごいもんだ。

 で、ハリウッドで『ゴジラ』が復活したついでに、

 この際、観られるかぎり『ゴジラ』に始まる特撮映画を観てみようっておもい、

 まあその初っ端はやっぱり『ゴジラ』でしょってことで観たんだけど、

 いや、やっぱり、すごかった。

 でも、この作品がどれだけすごいのかってことは、今さら書く必要もないわけで、

 元ネタのひとつには『原子怪獣現わる』とかあってさとか、長ったらしくなるだけだし、

 ここではゴジラっていう怪獣について、ちょっと書いておけば、ま、いいかなと。

 で、ゴジラのことだ。

 ゴジラはいちばん最初、北緯24度、東経141度の洋上に現れる。

 これがどこかっていうと、米軍と壮絶な死闘を繰り広げた硫黄島の南あたりだ。

 この頃、海底火山が大噴火して陸地がどんどん出来上がりつつある西之島の南でもある。

 そこからゴジラは東京に向かってくるわけなんだけど、

 そもそもゴジラは高堂國典の棲んでる大戸島にはそれまでにもよく現れていたらしい。

 大戸島は伊豆諸島のどこかにあって、江戸時代よりも前から人が棲んでたらしい。

 志村喬演じる山根京介博士はいう。

「ゴジラがどうして、今回、わが国の近海に現れたか、その点でありますが、おそらく海底の洞窟にでもひそんでいて、かれらだけの生存をまっとうして生きながらえておったと、それが、たびかさなる水爆実験によって、かれらの生活環境を完全に破壊された。もっとくだいていえば、あの水爆の被害を受けたために安住の地を追い出されたと見られるのである」

 ちなみに、大戸島は伊勢志摩の三重県鳥羽市の石鏡町でのロだケそうだから、

 初代ゴジラの雰囲気を味わいたければ、伊勢志摩まで出かければいいんだけど、それは余談。

 大戸島だ。

 ここの呉爾羅大明神ってのがゴジラの正体になる。

「やっぱり、ゴジラかもしんねえ」

「またじいさまのゴジラか。今どきそんなもんがいるもんかよう」

「おい、昔からの言い伝えバカにすると、今におめえたちアマっ子、ゴジラの餌食にしなきゃなんねえぞ」

 記者が漁師に訊く。

「たしかに生き物か?」

「奴は今でも海の中で暴れまわってる。だから雑魚いっぴき獲れやしねえや」

「だけど、そんな大きな生き物が」

「だからおらぁ話すのは嫌だって言ったんだ。いくら正直に話しても誰も信用しやしねえんだ」

 祭礼の烏帽子に天狗の神楽舞を奉納しているとき、今度は村長に、

「ゴジラ?」

「へえ。おそろしくでけえ怪物でしてね、海のウオを食い尽くすと、今度ぁ陸へ上がってきて人間までも食うそうだ。むかしゃあ、長く時化のつづくときにゃあ、若ぇ娘っ子を生け贄にして、遠ぉい沖へ流したもんだ。へぇ。今じゃあ、そんときの神楽が、こうやって厄祓いで残ってるだ。へぇ」

 つまり、呉爾羅は、ジュラ紀に生息していた太古の生物で、

 こいつが海底の洞窟を棲み処にしてたんだけど、魚が取れずに飢えたりすると、

 大戸島へ現れては牛や馬、ときには生贄にされた若い女性を食べてたらしい。

 ところが、アメリカの水爆実験によって棲み処を追い出され、

 放射能の影響で巨大化したばかりか、

 背びれが発光して口から火炎なのか放射能だかよくわかんない破壊炎を噴くようになっちゃった。

 つまり、どういうことかっていうと、大明神が怪物になっちゃったっていうわけで、

 もしかしたら、

 全身が水爆によって焼け爛れ、怪物にされてしまったゴジラはその苦しさに悶え狂いながら、

 助けを求めるようにして日本をめざしたのかもしれない。

 アメリカの水爆で死ねなかったばかりか怪物化し、さらに日本の自衛隊から攻撃される。

 ゴジラの咆哮は「なにもしないよ。苦しいんだから、助けてくれ。いっそ殺してくれ」とか、

 もう断末魔のようにして泣き叫んでいたのかもしれない。

 となれば、これは悲劇以外の何物でもない。

 ゴジラはたしかにかつては荒魂だったかもしれないけど、

 それは大戸島が戦争にも巻き込まれず、穏やかな海に囲まれていた時代のことだ。

 後世、破壊神とかって、名称だけはかっこいいものに祀り上げられたゴジラは、

 ほんとうにそれで満足だったんだろうか。

 正義の味方にされていく過程の中で、呉爾羅大明神だった素朴な過去を、

 ゴジラはどんなふうに思い起こしていたんだろう?

 宝田明は、いう。

「あの凶暴な怪物をあのまま放っておくわけにはいきません。ゴジラこそ、われわれ日本人の上に覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか」

「その水爆の放射能を受けながら、なおかつ生きているその生命の秘密をなせ解こうとしないんだ」

 芹澤博士の発明したオキシジェン・デストロイヤーによって永遠の眠りについたとき、

 もしかしたらゴジラは、

「これでようやく地獄のような苦しみから解放される」

 とかおもってたんじゃないだろか。

 そんなふうに『ゴジラ』が見えてくるようになった僕は、

 たぶん、ずいぶんと年を食ってしまったのかもしれないね。

 ラスト、志村喬は含みをもたせる。

「あのゴジラが最後のいっぴきだったとはおもえない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかへ現れてくるかもしれない」

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