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Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

光の旅人 K-PAX

2014年07月16日 14時47分26秒 | 洋画2001年

 ☆光の旅人 K-PAX(2001年 アメリカ 121分)

 原題 K-Pax

 staff 原作/ジーン・ブルーワー『K-パックス』

     監督/イアン・ソフトリー 脚本/チャールズ・リーヴィット

     撮影/ジョン・マシーソン 美術/ジョン・ベアード

     衣装デザイン/ルイーズ・ミンゲンバック 音楽/エドワード・シェアマー

 cast ケヴィン・スペイシー ジェフ・ブリッジス メアリー・マコーマック メラニー・マーレイ

 

 ☆K-パックスは星の名前

 地球から1000光年離れた惑星のことだ。

 で、ある日ひょっこり現れたケヴィン・スペイシーはその星の人間だと主張し、

 数々の証言によって精神分析医ジェフ・ブリッジスらの度肝をぬく。

 ところが、7月27日にK-パックスに帰ると言いだした頃から、

 ケヴィンの過去が見えてくる。

 5年前の7月27日にケヴィンが現れたことから、ジェフが調査し始めるからだ。

 調査によれば、ケヴィンは妻と娘と3人でニューメキシコ州の農場に住み、

 場に勤めるという、ごくありふれたアメリカ人だった。

 そこへ流れ者が現れ、妻子を凌辱し、惨殺したんだけど、

 追いかけたケヴィンはこの暴漢を殺し、行方をくらまし、

 やがてニューヨークの中央駅に現れ、病院へ収容されることになる。

 ここで、ぼくたちは「なるほどね~」という物語の全貌が見えてくる。

 つまり、

 K-pax星人は、魂あるいは光にとても近い存在だということだ。

 光である以上、一瞬にして地球上のどこへだって見学に行けるし、

 宇宙を旅してきたから、人類の知り得ない天体や惑星について、

 地球の天文学者たちよりも遙かに高度な知識を備えている。

 しかも、人間嫌いの犬とだって、仲良く会話もできたりする。

 けれど、地球人じゃないから、バナナの食べ方は知らない。

 だから地球にやってきたとき、

 ちょうど心神喪失状態になっていたケヴィンに憑依して、

 地球のいろんなものを見たり経験したりしようとしたんだけど、

 脳髄はケヴィンのものだから、そこへK-pax星人の魂が上書きされたため、

 ときおり、ケヴィンの深層心理が浮き上がってくる。

 それらはすべて、

 K-pax星における社会情況や心のありように変わって、

 しかも、

 まったく反対のありさまとなってケヴィンことK-pax星人の口から語られる。

 要するに、こういうことだ。

 家族という構成を愛していながらもそれを失ってしまった自分には、

 もはや社会だの家族だのという単位はいらない、

 つまり、K-pax星には、社会も家族も存在しない。

 異性を愛する性行為とその結果によって妻と子を得た自分だが、

 暴漢によって妻が凌辱され、さらに殺されてしまったことで、

 自分がこれまで抱いていた性行為の魅惑は粉々になり、憎悪の対象になった、

 つまり、K-pax星人は性行為を嫌悪するが子孫繁栄のために我慢する。

 この地球は秩序が崩壊し、いたるところに犯罪が見られるため、

 それを縛るための法律が政府によってつぎつぎに出されるが無駄な話だ、

 つまり、K-pax星には、犯罪も紊乱も政府もなく、それでも平和だ。

 しかし、

 さっきもいったように脳髄はケヴィンのものだから、

 あいまいな記憶が漂い続けてるんだけど、

 それは催眠術によってやや明瞭なものとなってくる。

 たとえば、場だ。

 つまり、ケヴィンはK-pax星人でありながらも、

 地球人のケヴィンとしての記憶を語ってしまうことになるわけだけど、

 ケヴィンは、

 過去の忌まわしい記憶をすべて洗い流してしまいたいとおもいながらも、

 最愛の家族があったという記憶は忘れようにも忘れられず、

 それが仕事場の場が象徴となって心の奥に残ってるんだけど、

 自分の人生から逃げ出したいという欲求があるものだから、

 野菜や果物しか食べられないようになってる。

 また、

 妻子が惨殺されたときに庭のシャワーの栓が開きっぱなしになっていたことが、

 得体の知れない記憶の断片となってて、

 そのため、ジェフの家の庭で似たような現象があると、

 危険を察知したケヴィンは狂ったように駆け出し始めてしまう。

 まあ、そのあたりはモザイクのようにいろいろと登場するんだけど、

 ただ、

 K-pax星人もいつまでも憑依し続けられるわけではなく、

 ウルトラマンの地球滞在時間が3分であるように、

 かれらの憑依時間はきっかり5年てことになってる。

 だから、K-pax星人は去らないといけない。

 こうしたあたりの設定と構成は実に見事で、

 この映画はもっと評価されていい。

 ちなみに、

 この物語には原作があって、

 それもシリーズ化されてるらしい。

 ケヴィンの演じたProteことRobert Porterが登場してるのかどうかは知らないけど、

 ちょっと読んでみたいなと、ほんの一瞬、おもった。

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鍵泥棒のメソッド

2014年07月15日 13時15分43秒 | 邦画2012年

 ◇鍵泥棒のメソッド(2012年 日本 128分)

 staff 監督・脚本/内田けんじ 撮影/佐光朗

     美術/金勝浩一 音楽/田中ユウスケ 主題歌/吉井和哉 『点描のしくみ』

 cast 堺雅人 香川照之 広末涼子 森口瑤子 荒川良々 小野武彦 木野花 柊瑠美

 

 ◇多重構造

 売れない役者と謎の殺し屋と婚活中の女性編集長とくれば、

 まあ、それだけで複層的な話だってことは見えてくる。

 しかも、殺し屋が銭湯で滑って転んで記憶喪失になってしまったという、

 とてつもないちから技によって事態が急展開し始めれば、

 これはもはや人物の職業だけではなく、

 人格そのものが複層的になるわけで、

 かといって難解にしていないあたりは、

 内田けんじという才能ある監督の性格みたいなものなんだろう。

 そもそも銭湯に行く殺し屋というのはどういう人間なのかって話で、

 ここに物語の鍵があるわけで、一般的な殺し屋なら行かないはずだ。

 にもかかわらず銭湯に入ってきたという考えられないような庶民的行動が、

 最後のどんでん返しに生きてくるわけなんだろね、たぶん。

 ともかく、

 売れない役者が殺し屋になってしまったことで人を殺すことのできない殺し屋になり、

 謎の殺し屋が役者になってしまったことで銃火器を絶妙に扱う役者となるわけだ。

 でもそれは、

 役者があたかも自分が殺し屋であるように依頼人に見せるという演技をするんだけど、

 殺し屋の場合はもうちょっと複雑で、

 そもそも殺し屋としての演技をしていたために、

 記憶を失う前の自分はたぶん役者だったんだろうと信じて役者稼業を続けることができ、

 記憶を取り戻してからはふたたび殺し屋であるという演技を続けるというわけで、

 まあ、なんというか、多重構造が幾層にも絡み合ってるものだから、

 ひとことでは説明しにくいんだけど、

 そういうところがおもしろく感じられたんだとおもうんだよね。

 でも、それぞれを演じてた役者さんたちは、

 みんな大仰ながらも喜劇をちゃんと演じてました。

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ヒットラー

2014年07月14日 02時47分49秒 | 洋画2003年

 ◇ヒットラー(2003年 アメリカ、カナダ 179分)

 原題 Hitler: The Rise of Evil

 staff 監督/クリスチャン・デュゲイ

     製作総指揮/エド・ガーノン、ピーター・サスマン、クリスチャン・デュゲイ

     脚本/ジョン・ピールマイアー、G・ロス・パーカー

     撮影/ピエール・ギル 音楽/ノーマンド・コーベイル

 cast ロバート・カーライル ピーター・オトゥール リーヴ・シュレイバー ジェナ・マローン

 

 ◇悪を繁栄させる最も有効な手段

 それは、善を行わないこと、だそうな。

 言いえて妙だが、善を行わないのは誰だったんだろう?

 ヒットラーていうかナチスは、

 この作品の中では狂言回しにすぎないんじゃいか?

 ワイマール共和国が成立し、やがて崩壊していく過程の中で、

 いったい誰が善をおこなったんだろう?

 そんな問いかけがなされてるような印象を受けたのは、ぼくだけかしら?

 そういう疑問を投げかける役割を果たしているのが、

 記者というより語り部に近いマシュー・モディーンだったような気もする。

 まあ、そのあたりは意見の分かれるところなんだろうけど、

 凄まじい気迫と神経症ぎりぎりの演技をみせたカーライルはたいしだもんだ。

 それと、

 ピーター・ストーメアがまたいい。

 かれが演じたのはエルンスト・レームなんだけど、

 ほんとうにホモだったのかどうかは、ぼくは知らない。

 でも、かつては自分の子分だとおもっていた男に、

 顎でこきつかわれなくてはいけないような立場へと追いやられていくとき、

 人はどうしようもない無念さを感じるだろうし、

 そうしたときに縋りつくのは、愛人なんだろう。

 それが、かれの場合は男だったっていうだけのことだ。

 ピーター・ストーメアにかぎらず、

 リーヴ・シュレイバーも、

 ヒトラーとたもとをわかつことになるエルンスト・ハンフシュテングルの、

 祖国を離れなければならない複雑な心情をきちんと演じてる。

 ともかく、この作品は長い。

 テレビ映画だったせいもあるんだろうけど、

 第1部の「我が闘争」と第2部の「独裁者の台頭」に分かれてるとはいえ、

 一気に観るのは相当な根性がいったのもたしかだ。

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北の零年

2014年07月13日 02時11分31秒 | 邦画2004年

 △北の零年(2004年 日本 145分)

 staff 監督/行定勲 脚本/那須真知子 撮影/北信康

     美術/部谷京子 音楽/大島ミチル

     衣装デザイン/宮本まさ江、長岡志寿、真霜和生、佐藤百合香

 cast 吉永小百合 渡辺謙 豊川悦司 石原さとみ 石田ゆり子 鶴田真由 奥貫薫

 

 △明治4年、蝦夷地

 庚午事変(稲田騒動)に絡んだ映画っていうか、

 それによって蝦夷地(北海道)静内へ追いやられた藩士たちの話だ。

 結論からいってしまうと、

 稲田騒動をそのまま描いた方がぼくとしては好みだ。

 なんだか、夫婦の話になっちゃってるていで、

 スペクタクルが感じられない。

 これはこの映画にとっては致命的だ。

 おもいだしたのは手塚治虫の『シュマリ』で、

 もちろん、全然ちがうんだけど、アイヌとなるとどうしてもね。

 たださ~、

 台詞の中で「ゼロから始めよう」みたいなのってなかった?

 明治4年に「ゼロ」はあかんて~。

 そういうのは、プロデューサーや企画が脚本をチェックしないと。

 まあ、そんな細かいことはさておき、

 妙な違和感を感じるのはなんでなんだろう?

 吉永小百合と豊川悦司の純愛にもっていくために、

 渡辺謙の存在がやけに中途半端な描かれ方になってるっていうか、

 そんな感じがした。

 あと、なんていうのかな、群像劇になりすぎてて、

 主人公の内面に迫らないといけないはずが、

 全員に花をもたせるために拡散してるような印象を受けたのは、

 どういうわけなんだろって、素朴な疑問もあったけどね。

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厨房で逢いましょう

2014年07月12日 00時22分10秒 | 洋画2006年

 ☆厨房で逢いましょう(2006年 ドイツ、スイス 126分)

 原題 Eden

 staff 監督・脚本/ミヒャエル・ホーフマン 撮影/ユッタ・ポールマン

     美術/イェルク・プリンツ 衣装/キャロル・ルチェッタ

     音楽/クルストフ・カイザー、ユリアン・マース

 cast シャルロット・ロシュ ヨーゼフ・オステンドルフ デヴィッド・シュトリーゾフ

 

 ☆官能料理(エロチック・キュイジーヌ)

 どんな料理だ?

 ておもったりするよね。

 でも、そもそも料理には、いろんな「5」がある。

 5味、5感、5色、5法。

 5味っていうのは、甘い、鹹い、酸っぱい、苦い、辛いだ。

 これは香道でもおんなじなんだけど、それはおいとく。

 5感っていうのは、色、音、香、温、味。

 5色っていうのは、白、黒、黄、赤、緑。

 5法っていうのは、焼く、煮る、揚げる、蒸す、炒める。

 日本料理の場合、炒めるのは生で食べることらしいんだけど、

 インド料理は5種類の野菜とか5種類のスパイスとか、

 ともかく5が大切な数字らしい。

 でもまあ、

 このあたりはちょっと好い加減で、すべて聞きかじり。

 だから、あんまり信用ならないんだけど、

 なにがいいたいのかっていうと、

 そういう要素をすべて味わいつくせるのが、

 人間の官能を刺激する料理ってことらしい。

 もっとも官能を刺激するのは、実は衣のあるもので、

 いちばんわかりやすいのがとんかつで、

 これは官能をいちばん刺激するみたいだ。

 で、この作品なんだけど、

 人妻に憧れを抱いている一流の腕前を持ったシェフことヨーゼフ・オステンドルフと、

 かれの料理がたまらないほど好きになってしまった人妻シャルロット・ロシュの、

 簡単にいってしまえば料理が結びつける恋の物語だ。

 まあ、恋に落ちない前のふたりに強烈な嫉妬を抱いた旦那の暴力行為が、

 料理店を潰してしまうばかりか、自分までも過失致死してしまうという展開で、

 破産して投獄されたヨーゼフ・オステンドルフの屋台に、

 子供をつれて彷徨っていたシャルロット・ロシュがようやく巡りついたところで、

 次なる展開を予感させながら話は終わるんだけど、

 途中までの料理がほんとにおいしいのかどうかは画ではよくわからないものの、

 シャルロットの狂ったような食べっぷりと通いっぷりから、

 ああ、料理ってのは凄いのになるとほんとに官能を刺激するんだな~、

 てな気分になるから、たぶん、凄く美味しかったんだろう。

 ま、

 美味しいものが大好きな僕としては、この映画は好きだ。

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キング・コング(1933)

2014年07月11日 19時50分18秒 | 洋画1891~1940年

 ◇キング・コング(1933年 アメリカ 100分)

 原題 King Kong

 staff 監督・制作/メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シェードザック

     製作総指揮/デビッド・O・セルズニック

     原案/エドガー・ウォーレス、メリアン・C・クーパー

     脚本/ジェームス・アシュモア・クリールマン、ルース・ローズ

     撮影/エドワード・リンドン、バーノン・L・ウォーカー、J・O・テイラー

     美術/キャロル・クラーク 特殊撮影/ウィリス・オブライエン

     効果/ハリー・レッドモンド・Jr 音楽/マックス・スタイナー

 cast フェイ・レイ ロバート・アームストロング ブルース・キャボット サム・ハーディ

 

 ◇怪獣映画の原点

 80年前の映画とはおもえん。

 高校生だったか浪人生だったか、ともかくリメイク版は観た。

 ジェシカ・ラングがとっても魅力的だった記憶がある。

 で、そのときはなんにもおもわなかったんだけど、

 なるほど『美女と野獣』がおおもとだったんだね。

 東宝の『キングコング対ゴジラ』で育ったぼくは、

 どこまでこの作品をひきずってるのかっておもってたけど、

 なんとまあ、こちらの方が魅惑的だわ。

 たしかにキングコングに美女が生贄にされるって趣向は、

 当時の東宝版では難しかったんだろうけど、

 この作品の場合、とっても重要な要素だったってことがよくわかった。

 でないと『美女と野獣』にはならないもんね。

 ただ、それまでに生贄にされてた現地人の女の人はどこにいったんだろ?

 てなことはおもわないでもないけど、

 ブロンドの美人ってのは、キングコングもまた惹かれるんだね。

 けど、

 1933年の段階で、

 キングコングが美女の服を引き千切って、肌の匂いを嗅ぐなんて、

 なんてまあ、官能的なこと。

 これじゃあ、負けるな~。

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火天の城

2014年07月10日 19時12分41秒 | 邦画2009年

 ◇火天の城(2009年 日本 139分)

 staff 原作/山本兼一『火天の城』

     監督/田中光敏 脚本/横田与志

     撮影/浜田毅 美術監督/西岡善信 美術/吉田孝

     音楽/岩代太郎 主題歌/中孝介『空が空』

 cast 西田敏行 椎名桔平 大竹しのぶ 夏八木勲 福田沙紀 渡辺いっけい 笹野高史

 

 ◇天正四年、安土

 尾張熱田の宮大工、岡部又右衛門がいかにして安土城を築いたか、

 という話なんだけど、安土城についてはいまもってよくわかっていない。

 5層7重の天主を築いたというんだけど、

 その形がどんなものだったのかってことも研究者の意見は分かれてる。

 でもまあ、それはそれとして、

 原作がどうなってるのかは知らないけど、

 この映画では天主の各階はぶちぬきになってない。

 なんでかっていうと、西田敏行も懇々と説明してるとおり、

 これまでの有力な説のとおりだと、煙突状になってしまって、

 火炎のまわりが早いからだっていう。

 ぼくの意見はさておき、それはそれでいい。

 だって、映画は監督のものなんだから。

 ただ、木曾から伐り出してくる檜については、

 もっと信じられないような凄まじいものであってほしかった気もしないではない。

 とはいえ、てがたくまとめた物語にはなってたな~っていうのが印象だ。

 ちなみに、築城の棟梁だった人物の名前はなかなか残らない。

 総大匠司の位と日本総天主棟梁っていう称号まで、

 信長から与えられてる岡部又右衛門のような例は、

 きわめて少ないんじゃないかっておもうんだけど、

 実際はどうなんだろう?

 さらにいうと、岡部又右衛門は本能寺の変で、死んでる。

 信長に同宿していたのが災いしてたらしいんだけど、

 これは、ほんとにそうだったんだろうか?

 ぼくだったらちょっと違う物語を想像しちゃうんだけどな~。

 ま、それは映画とはまるで関係ないことだから、書かない。

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カポーティ

2014年07月09日 18時36分06秒 | 洋画2005年

 ◎カポーティ(2005年 アメリカ 114分)

 原題 Capote

 staff 原作/ジェラルド・クラーク『Capote』

     監督/ベネット・ミラー 脚本/ダン・ファターマン

     製作総指揮/ダン・ファターマン、フィリップ・シーモア・ホフマン、

              ケリー・ロック、ダニー・ロセット

     撮影/アダム・キンメル 美術/ジェス・ゴンコール

     衣装/カシア・ワリッカ=メイモン 音楽/マイケル・ダナ

 cast フィリップ・シーモア・ホフマン キャサリン・キーナー クリフトン・コリンズ・ジュニア

 

 ◎1965年『冷血』発表

 都会的な文化人なんだろうけれども、

 なんともいけすかない野郎を印象させる見事な演技だ。

 とおもってたら、フィリップ・シーモア・ホフマン、製作総指揮も兼ねてるのね。

 カポーティが世の中に認められたのは、1959年、

『ティファニーで朝食』を発表したときだった。

 で、作家としての地位を固めようと選んだのが、

 カンザス州の田舎町で農家の一家4人が惨殺された事件だ。

 ザ・ニューヨーカー誌に連載予定で事件の調査に入り、

 やがて犯人2人が逮捕され、死刑宣告を受けるんだけど、

 この内のペリー・スミス(クリフトン・コリンズJr.)に接触したことが、

 カポーティの失敗といえば失敗だったんだろう。

 犯人との交流が深くなればなるほど、

 事件の全容を白日のもとに晒すことに良心の呵責を感じるようになり、

 やがて、それでも連載を進めて書籍にしてしまったことから、

 ふたりの友情は粉微塵になる。

 こうした過程を丹念に描いているのが、この映画だ。

 フィリップ・シーモア・ホフマンは、

 そういうカポーティ自身をしっかりと取材し、

 まるでカポーティがそこにいるかのように演技してる。

 いや、まじ、見事だった。

 重苦しい映画ではあったけどね。

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アフタースクール

2014年07月08日 02時33分28秒 | 邦画2008年

 ◇アフタースクール(2008年 日本 102分)

 staff 監督・脚本/内田けんじ 撮影/柴崎幸三

     美術/金勝浩一 音楽/羽岡佳

     主題歌/monobright 『あの透明感と少年』

     ロケ協力/牛久フィルムコミッション、川崎市シティセールス、

            調布フィルムコミッションほか

 cast 大泉洋 佐々木蔵之介 堺雅人 田畑智子 常盤貴子 山本圭 伊武雅刀

 

 ◇見知らぬ同級生

 ぼくの中学は8クラスあった。

 だから、この映画みたいに、

 いきなり見知らぬ人間がやってきて同級生だといわれたら、

 たぶん、おおそうか~とかいっちゃうかもしれない。

 でも、ぼくの中学校はふしぎな組の数え方をしてた。

 どういうことかっていうと、

 ぼくは1年6組、2年4組、3年6組だったんだけど、

 それを16組、24組、36組というふうに呼んだ。

 これは正式な呼称で、

 いまだに見知らぬ同級生に会うと、

「なん組だった?おれ、36組だったんだけど」

 といえば、おお、36組か~と反応してくれる。

 この呼称は、もしかしたら、うちの中学だけなんじゃないかとおもう。

 だから、いきなり佐々木蔵之介が登場しても、

 この会話があれば、そうそう簡単には騙されないんだけど、

 でも、ここでの大泉洋はそんなことは百も承知で、

 佐々木蔵之介と行動を共にしていくんだろね。

 そういうところ、内田けんじの脚本はよく練られてる。

 軽さで包んでいながら、どんどんシビアになっていくあたり、

 上手な人だな~とおもうんだよね。

 ところで、

 ロケ協力のひとつに調布フィルムコミッションがあるんだけど、

 調布のどこでロケしたんだろ?

 まったく気がつかなかったわ~。

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ティファニーで朝食を

2014年07月07日 01時39分14秒 | 洋画1961~1970年

 ◇ティファニーで朝食を(1961年 アメリカ 115分)

 原題 Breakfast at Tiffany's

 staff 原作/トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』

     監督/ブレイク・エドワーズ 脚色/ジョージ・アクセルロッド

     撮影/フランツ・プラナー 美術/ローランド・アンダーソン、ハル・ペレイラ

     衣装/ユベール・ド・ジバンシィ、イデス・ヘッド、ポーリーン・トリジェール

     音楽/ヘンリー・マンシーニ 歌/ジョニー・マーサー『ムーン・リバー』

 cast オードリー・ヘプバーン ジョージ・ペパード パトリシア・ニール

 

 ◇ユニオシ

 物語の中で、奇妙な日系人が登場する。

 ミッキー・ルーニー演じるユニオシという、

 どんな漢字をあてればいいのかわからない名前なんだけど、

 このとんでもない日系人の描かれ方は、

 ハリウッド映画史上、もっとも残酷で、もっとも恥ずべき場面といわれる。

 にもかかわらず、この映画を酷評する日本人に、

 ぼくは出会ったことがない。

 ほんと、日本人は怒らない。

 寛容すぎるほどに寛容なのか、

 それとも、アメリカに対しては無意味なほどに謙虚なのか、

 あるいは、ここで描かれている日系人と自分たちとは関係がないのか、

 ぼくにはよくわからないんだけど、

 でも、ぼくもどうやら寛容であるらしく、

「まったく、日本文化を知らない連中が勝手なことやっとるわ」

 としかおもわない。

 どうやら、ぼくもまた、鈍感らしい。

 実はこの原作は、ぼくの本棚に入ってる。

 活字の苦手なぼくがこの原作を手にしたのは大学生のときで、

 もちろん、映画を観てから買い求めたもので、

 カポーティがどんな小説を書いているのかはうすうす知っていたものの、

 いやまあ、とにかくぼくには難しかった。

 映画が「ティファニーで朝食を取れるような身分になりたい」小娘が、

 ティファニーのウィンドーの前でサンドイッチを頬張り、

 やがて映画の語り部になってる作家と恋に落ちることに焦点をしぼってるのは、

 なるほど、正解なんだろう。

 でもさ~、

 ほんと、この映画に憧れてる日本人のいったいどれだけの人間が、

 ユニオシについて覚えてるんだろね?

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ハンナ・アーレント

2014年07月06日 19時25分10秒 | 洋画2012年

 ☆ハンナ・アーレント(2012年 ドイツ、ルクセンブルグ、フランス 114分)

 原題 Hannah Arendt

 staff 監督/マルガレーテ・フォン・トロッタ

     脚本/マルガレーテ・フォン・トロッタ、パメラ・カッツ

     撮影/カロリーヌ・シャンプティエ 美術/フォルカー・シェイファ

     衣装/フラウケ・フィルル 音楽/アンドレ・マーゲンターラー

 cast バルバラ・スコヴァ アクセル・ミルベルク ミヒャエル・デーゲン ユリア・イェンチ

 

 ☆1960年5月11日、アドルフ・アイヒマン拘束

 映画の中で問題になっているのは、

 イスラエルにおけるアイヒマンの裁判を膨張したハンナが、

 1963年に雑誌『ニューヨーカー』に連載した論文で、

『イエルサレムのアイヒマン・悪の陳腐さについての報告』という裁判記録だ。

 ユダヤ人でシオニズムにも造詣の深いはずのハンナが、

 アイヒマンは徹底して陳腐な取るに足らない小役人にすぎないと主張し、

 さらに、

 国際法上における「平和に対する罪」には明確な定義はなく、

 ソ連のカチンの森の事件や、

 アメリカの広島・長崎への原爆投下が裁かれないのはおかしいと主張したことで、

 こういうあたりを日本人のぼくが観てると、

 なんら、ハンナの主張はおかしくないようにおもうんだけど、

 やっぱり、ユダヤ人ことにシオニストたちからすれば大変なことで、

 当時、いかに物議をかもしだしたかがよくわかる。

 まあ、映画の中でも触れられてるんだけど、

 ハンナは、マールブルク大学に在学していたとき、

 教えを受けていたマルティン・ハイデッガーと不倫関係にあったみたいで、

 自身でも「初めての情事」とかいってるみたいなものだから、

 シオニストたちからすれば、こう勘繰りたくなったんだろう。

 ナチスに関係していた人物との関係がその主張に繋がっているのか、と。

 人の心はよくわからないし、

 忘れ難い関係をもった異性を忘れるはずはないんだけど、

 この勘ぐりはおおやけのもとでするべきではないし、苦し紛れにすら見える。

 ハンナの主張はあくまでも客観的でありながら、たしかに主観的でもあり、

 これはこれでひとつのアイヒマンに対する意見として受け止めればいいはずなのに、

 なかなかそうはいかないのが人種や宗教、さらには民族浄化のからんだ問題だ。

 こうした小難しい問題を前面に掲げながらも、

 ユダヤ人として生きてきた女性が自身の見解を勇気をもって主張することの強さ、

 というものについて、この映画は硬質に描いてる。

 ハンナの日常は、朝が重要だったようで、

 煙草と珈琲を大量に摂取しながら瞑想にふけるのが日課だったようで、

 これについても映画は冒頭とラストできちんと取り上げてる。

 入念な調査と準備のもとに撮影されたことがよくわかるし、

 人物造形については、まじ、脱帽に値するんじゃないかと。

コメント

タイマグラばあちゃん

2014年07月05日 18時45分58秒 | 邦画2004年

 ◎タイマグラばあちゃん(2004年 日本 110分)

 staff 監督/澄川嘉彦 プロデューサー/菅原淳一、伊勢真一

     撮影/澄川嘉彦、太田信明 音楽/三上憲夫 音響構成/米山靖

     語り/小室等  テーマ曲・編曲/ 吉田俊光『大地の祈り』

 cast 向田久米蔵 向田マサヨ 奥畑充幸 山代陽子

 

 ◎岩手県、早池峰山

 東京オリンピックが催されたのは、昭和39年だった。

 そのとき、この早池峰山に10軒の農家が入植した。

 けれど、その後20年経ったときには、

 たった1軒しか残っていなかった。

 それが、向田家のじいちゃんとばあちゃんだ。

 この作品は、このばあちゃんちを15年間追い続けた記録だ。

 まあ、当初はNHKのドキュメンタリーから始まったとはいえ、

 15年間もひとつの家族を追い続けるのは大変なことだ。

 海外各地でさまざまな賞を受賞したのは、よくわかる。

 この村は日本でいちばん最後に電気が通った村らしいんだけど、

 そんなことは、

 この早池峰の自然と一緒に生きてるばあちゃんには、

 あんまり関係ないのかもしれない。

 タイマグラにはその後、昭和60年になって、

 大阪から若夫婦が入植して、やがて子供も生まれた。

 みんながまるで家族のように静かにつきあって暮らしてる。

 映画が完成したときにはじいちゃんはいなくなっちゃってるし、

 ばあちゃんもそれからまもなくいなくなったそうだ。

 でも、じいちゃんやばあちゃんの暮らしぶりを観てると、

 ばあちゃんの口癖の「極楽だあ」っていうのが、しみじみわかる。

 ぼくが早池峰山のふもとにいったのは、かれこれ、30年ちかく前だ。

 早池峰山を眺めたとき、この向田さんちは、すでに入植してた。

 そのときはなんにも知らずにいたんだけど、

 あらためてこの映画を観ると、

 今でも「お農神さま」などの神々が、

 そこかしこにいそうな気のする山におもえた。

 岩手県下閉伊郡川井村江繋タイマグラはそんなところである。

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エヴァの告白

2014年07月04日 13時57分54秒 | 洋画2013年

 ◎エヴァの告白(2013年 アメリカ、フランス 120分)

 原題 The Immigrant

 staff 監督/ジェームズ・グレイ 脚本/ジェームズ・グレイ、リチャード・メネロ

     製作/ジェームズ・グレイ、アンソニー・カタガス、グレッグ・シャピロ

     撮影/ダリウス・コンジ 美術/ハッピー・マッシュー

     衣裳デザイン/パトリシア・ノリス 音楽/クリストファー・スペルマン

 cast マリオン・コティヤール ホアキン・フェニックス ジェレミー・レナー

 

 ◎1921年、ニューヨーク

 そのものすばり移民の話なんだけど、

 ポーランドからの移民って、

 第一次、第二次の両方とも多かったんだろうか?

 ほんと、あの国のことをおもうと大変だったろうなあっておもうけど、

 ジェームズ・グレイにとってこの作品を製作すること自体、

 自分探しっていうか、アイデンティティの模索だったのかもしれないね。

 実際にエリス島には生き別れになった移民の姉妹がいたらしいし、

 その場に、グレイの祖父母あるいは曾祖父母がいたのかもしれないし、

 ホアキン・フェニックスのモデルは、

 母方の曾祖父の知り合いで、売春の斡旋業者だった、

 マックス・ホックスティムとかいう人物だったようだし、

 ジェレミー・レナーのモデルは、

 手品師でもあり読心術師でもあったテッド・アンネマンっていう実在の人物らしい。

 まあ、歴史に題材をとった物語の場合、

 こまかい年表の上に散らばってる小さな点を、

 数珠つなぎにしていって、

 それがほぼ違和感なく繋がったときにできあがるもので、

 この作品もそうした伝聞や調査の結果、完成したものにちがいない。

 もっとも、

 移民の問題はなにも1世紀前に遡る必要もなく、

 現代でもかなり重要な問題のはずなんだけど、

 やっぱりジェームズ・グレイの場合、

 個人的な関心の方に傾いていったってことなんだろうね。

 ただ、なんていうのか、

 マリオン・コティヤールは妹と再会してエリス島から出、

 ホアキン・フェニックスの用意してくれた切符でカリフォルニアをめざしても、

 そこで幸せになれるかどうかはわからないわけで、

 実をいえば、この作品は当時の移民の悲惨さは語られてはいるんだけど、

 どのように自分の置かれている状況を打開して生きていったのかっていう、

 次への階段を上っているところはひとつもないんだよね。

 それをして希望っていうのかもしれないんだけど、

 この物語に足りないものがあるとすれば、

 マリオンと結核の妹アンジェラ・サラファインの能動さなんだろな~。

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天のしずく 辰巳芳子 いのちのスープ

2014年07月03日 12時33分26秒 | 邦画2012年

 ◎天のしずく 辰巳芳子 いのちのスープ (2012年 日本 113分)

 staff 監督・脚本/河邑厚徳 撮影/本田茂

     音楽/吉田潔 朗読/草笛光子、谷原章介

 cast 辰巳芳子

 

 ◎手仕事は気力だ

 料理家でもあり、随筆家でもある辰巳芳子さんの料理は、

 その食材を選ぶところから仕上げまで、ともかく丁寧だ。

 それはおそらく目黒長者丸に生まれて、祖父母からも可愛がられ、

 さらに鎌倉雪の下に移り住んで後まで、いっさい変わることがないんだろう。

 ただ、それもこれも、気力によるところは大きいんじゃないかしら。

 意見もしっかりしてる。

 一年半もかけた撮影の中途、東日本大震災が起こる。

 辰巳さんは、映画の中でこんなふうにいってる。

「あの原発の事故は未来を奪った」

 たしかにそうだ。

 ここで辰巳さんがいっているのは個人の未来ではなく、

 もっと漠然としてて、日本とか日本人とかの未来をいってる。

 しかも辰巳さんの家の庭では、いろんな花が狂い咲きしたという。

 鎌倉の自然までもがおかしくなってると。

 このあたりは、随筆家の辰巳さんが見えてくるんだけど、

 料理家として食材や自然を見つめているからいえることでもあるんだろう。

 それにくらべて、ていう話になるんだけど、

 ぼくの毎日は、実にさびしく、さもしい。

 料理に費やす時間がないんだよな~とかいうのは、自己弁護だ。

 気力も体力もなく、だらだらしてるだけなのを棚に上げて、

 そんなことをいってるんだから、あかんね。

 ただ、日本の料理は日本の食材で、というのはわかる。

 また、自然の素材のみで、というのもわかる。

 そうしたい。

 食材の自給率がどんどんと低下して、

 海外から農薬まみれかどうかは知らないがともかく格安の食材が入ってきて、

 スーパーでもそれを率先して売り、消費者もそれを求め、

 外食産業でも自宅でも海外の野菜が並び、それを食べる。

 それでいいじゃんか、という消費者に対しては、それでいいよね、とおもう。

 けど、

 ぼくはちょっとだけだけど、国産の食材にはこだわりたい性質だ。

 ただ、現実的な問題もある。

 お金持ちはいざ知らず、消費者の多くは、

 料理教室に通っていられる人達はさておき、

 みんな毎日朝から晩まで働いて、恋人とつきあったり、家族を養ったりしてる。

 当然、買物は簡単に済ませたいとおもうし、料理の時間は短くしたいし、

 とにもかくにも食材は安いに越したことはない。

 そんな状況の日本人にとっては、

 辰巳さんの命のスープは憧れの存在なんだろう。

 ほんとに、むつかしいところだ。

 誰でも気持ちとふところに余裕を持ちたいし、

 余裕をもった暮らしをして、余裕をもった食事をしたい。

 でも、日々の生活に疲れ果てて、そんな余裕のよの字も考えられなくなる。

 だからって、命のスープを物販するとかなったら本末転倒だ。

 ぼくたちはいったいどうしたらいいんだろう?

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ボトル・ドリーム カリフォルニアワインの奇跡

2014年07月02日 19時45分21秒 | 洋画2008年

 ◎ボトル・ドリーム カリフォルニアワインの奇跡(2008年 アメリカ 109分)

 原題 BOTTLE SHOCK

 staff 監督/ランドール・ミラー

     製作/J・トッド・ハリス、マーク・トベロフ、ブレンダ・ローマー、

         マーク・ローマー、ジョディ・セイヴィン、ランドール・ミラー

     原案/ロス・シュワルツ、ラネット・パドン、ジョディ・セイヴィン、ランドール・ミラー

     脚本/ジョディ・セイヴィン、ランドール・ミラー、ロス・シュワルツ

     撮影/マイケル・J・オジアー 編集/ランドール・ミラー、ダン・オブライエン

     美術/クレイグ・スターンズ 音楽/マーク・アドラー

 cast クリス・パイン アラン・リックマン ビル・プルマン レイチェル・テイラー

 

 ◎1976年5月24日午後、パリ

 世にいう「パリ、テイスティング事件」が起こったのは、

 インターコンチネンタル・ホテルのパティオだ。

 世界的なワイン通で知られる9人の審査員による、

 カルフォルニア・ワインとフランス・ワインとのテイスティング・イベントで、

 主催したのは、

 マドレーヌ広場の近くでワインショップを経営する34歳の英国人で、

 アラン・リックマン演ずるところのスティーヴン・スパリエだ。

 このイベントは、フランスのワイン通からはそっぽを向かれていた。

 マスコミもほとんどが無視した。

 あたりまえの話で、

 伝統的なフランス・ワインが無名のカルフォルニア・ワインに勝てるはずがない、

 と、誰もがおもっていたからだ。

 ところが、いざ蓋を開けてみると、とんでもない結果になった。

 白ワインも赤ワインも、優勝したのはどちらもカルフォルニア・ワインだったんだから。

 この事実は、

 たったひとりイベントに参加していた新聞記者によって報道された。

 記事のタイトルは『パリスの審判 Judgment of Paris』で、

 タイム誌のパリ特派員を勤めていたジョージ・テイパーによる。

 世界中がびっくりした。

 フランスはこの世の終わりのように沈黙し、

 アメリカは建国200年の最大のニュースのようにそこらじゅうが湧いた。

 そしてなんとも恐ろしいことに、

 フランスによるリターン・マッチと称して、

 1986年と2006年にこのテイスティング・イベントは催されたんだけど、

 どちらも、勝ったのはカルフォルニア・ワインだったんだよね。

 ちなみに、

 1976年の赤ワインの優勝は、

 スタッグス・リープ・ワインセラーズ1973で、

 白ワインの優勝は、

 シャト・モンテリーナ1973だった。

 1986年は赤ワインの審査だけだったんだけど、

 優勝したのはクロ・デュ・ヴァル1972で、

 さらに2006年、

 優勝したのはリッジ・モンテベッロ1971 で、

 スタッグス・リープ・ワインセラーズ1973は2位だった。

 ちなみに、リッジ・モンテベッロ1971 ってのはすごいワインで、

 1976年は5位、1986年は2位だったんだ。

 いやまあ、呑んだことはないけど、とっても美味しいんだろう、たぶん。

 で、映画はアラン・リックマンがいかにも板についた英国紳士を演じてるんだけど、

 なかなか味わいぶかい。

 几帳面ながらも自分の舌に絶対的な自信を持っていて、

 フランスワインが世界一だっていうのは幻想だといいきり、

 わざわざカリフォルニアまで出向いていって、美味しいワインを探してくる。

 こういうあたり、イギリス人とはおもえないくらい行動的で、

 いかにもアメリカ人が好みそうな人物ぶりだ。

 この映画は食に対するこだわりだけど、

 世の中、得てしてこんなもんで、

 世間がおもしろいとか口をそろえる映画や小説なんてものは、

 たいがい観たり読んだりしないでおもしろいと流される。

 自分の舌や眼がいかに大切なものかってことを、

 他人の意見に左右されず、

 自分の感覚を信じないといけないってことを、

 この映画は教えてくれてるんだよね。

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