Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Nikon Freak545. 小樽の旅28. 博物館へ

2021年05月23日 | field work

図1.旧小樽倉庫模型(現小樽市総合博物館運河館)

 

図2.小樽内概要図 北前船が来航した明治初年の地図、勝納川、入船川河口に船溜まりがあり、集落がつくられている。

 

図3.買付船の引札

 

図4.北前船の横断面模型

 

図5.北前船の運んだ産物

 

図6.大日本職業別明細図之内小樽市 大正14年(1925) 運河完成直後の地図。地図には各商店、会社の名称を入れ、裏面に掲載商店の広告がある。

 

 日本でも海外でも街を訪れるとその街の歴史がダイジェストでわかる博物館と、古文献をストックしている図書館にゆくように努めている。

 小樽の歴史は江戸時代に遡り北前船による物流拠点であったから、当時から街は開けていた。同様に北海道で初期の頃から開かれた街が松前だ。この2都市が、明治以降開拓された碁盤の目を持つ都市構造の札幌などと違う所以だろうし、私が関心をもつ理由だろう。

 小樽には二つの博物館があり、さてどっちだったか・・・。一つは鉄道博物館であり、このなかの手宮機関庫が我が国近代建築の走りであるが以前見た。その他に鉄道、例えば弁慶号とかには用事はないしちと歩くので、運河館へ。

 図1にあげた運河館は、1893(明治26)年に小樽初の営業倉庫としてつくられ、現在小樽市総合博物館運河館として再生リニューアルされている。

 運河館には江戸時代の資料はないが、それを示唆する展示が3点あった。

特に図2の小樽内概要図は二つの小河川沿いに集落が発達してきたことがわかり、小樽の街の創世時の姿を留めている。

図3は北前船の引き札、つまりチラシ。北前船は、単に荷物の運搬をしていただけではなく寄港地で安い商品を買い、高く売れる港で売りさばきながら大坂と北海道の間を航海していた買付船である。

図4は北前船の横断面図。長い航海をどうやって生活していたかと思うぐらい船倉は蔵ばかりである。意外に小さいと感じた。まさに航海する蔵である。

 運河館の記述に寄れば1865年の人口が1,000人、1907年(明治40)には90,000人と成長してきた。ニシン漁で財をなし、樺太への国際航路の港として栄え、石炭の積み出し港でもあり、経済都市として発展してきた経緯があった。それ故に近代建築が数多く建設され、今も残されている。

 その後ニシンは乱獲がたたって衰退し、敗戦で樺太を失い、戦後にエネルギーが石炭から石油に変わって石炭需要が大いに低減し、都市の栄華の頂点が終わる。現在、観光都市として生き残っている小樽の前身の姿は、歴史が幾重にも集積し興味深い。

 この博物館は、写真が自由に撮れるので小さな展示の割には記録できるのがありがたい。

 

注)展示資料は小樽市総合博物館運河館所蔵による。

 

小樽市

NikonDf,Carl Zeiss Distagon 25mm/F2.8T*ZF

運河館中庭:ISO400,露出補正0,f/8,1/160

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