日中の暑さに耐えかねて、夕方、ふと思いつき、蛍と伊藤若冲の謎について、近所である普賢寺を散歩しながら、久し振りの勝手気ままな探訪に行ってきました。
蛍は、そろそろ、普賢寺川を飛びまわるとのことで、例年その情報を届けてくれる人に会い、近況を訊ねました。今年は、まだ見ておらない、もっと奥の高船に行けば、観れるそうで、一度訪ねたく思います。
伊藤若冲については、鶏の絵が置かれているお宅に飛び込み、その噂のものを写真に撮ってきました。かなり絵が古くその色彩などはあせ、ぼんやりとかすんでいましたが、若冲の印は、本物とほぼ同じであると思いました。若冲の屋敷跡の案内板がある近所の方に屋敷の場所について、お訊ねすると、やはりわからないとのことでした。ただ、近くの大きな屋敷は、全く関係ない、伊東さんということが明白に理解できました。話をしていると、京都新聞に載っていた人って聞かれ、そうですと返事してから、それ以降いろいろと中味の濃い話が続き、また、他の史跡等の調査要望も出て、なかなか面白い時間を費やしました。こうやって、地元、地域の人たちとの会話を楽しむことに喜びを感じるようになり、年を重ねたのだなあと思った次第です。
蛍は、そろそろ、普賢寺川を飛びまわるとのことで、例年その情報を届けてくれる人に会い、近況を訊ねました。今年は、まだ見ておらない、もっと奥の高船に行けば、観れるそうで、一度訪ねたく思います。
伊藤若冲については、鶏の絵が置かれているお宅に飛び込み、その噂のものを写真に撮ってきました。かなり絵が古くその色彩などはあせ、ぼんやりとかすんでいましたが、若冲の印は、本物とほぼ同じであると思いました。若冲の屋敷跡の案内板がある近所の方に屋敷の場所について、お訊ねすると、やはりわからないとのことでした。ただ、近くの大きな屋敷は、全く関係ない、伊東さんということが明白に理解できました。話をしていると、京都新聞に載っていた人って聞かれ、そうですと返事してから、それ以降いろいろと中味の濃い話が続き、また、他の史跡等の調査要望も出て、なかなか面白い時間を費やしました。こうやって、地元、地域の人たちとの会話を楽しむことに喜びを感じるようになり、年を重ねたのだなあと思った次第です。