5月を思わせるポカポカ陽気に誘われて、近くの近衛基通の墓と田宮の館を見に行ってきました。いずれも草木が乱雑に生い茂り、誰も気づかないような建造物になってしまいました。こういう歴史的資産こそ、大事に保存しなけれなならないのに・・・。写真は、以前のもの。
【近衛基通】
■平安末~鎌倉前期、平清盛、後白河・後鳥羽天皇らにより摂政・関白に任じられて政治を行う。
■1222~33年、普賢寺上村御所ノ内に隠棲、移り住む。
■普賢寺関白ともいわれ、観音寺 伽藍を復興。
【田宮の館】
■ 掘り:最大幅5m、深さ1m、延長100m、2000㎡の館
■ 武者窓、白塗りの高い塀、石垣、鉄金具、武家門が郭構え300年前の屋敷
■ 田宮氏先祖:元弘3年(1331)南北朝時代、大和国葛下郡、万財新三郎友盛が、後醍醐天皇の笠置山挙兵で活躍、宝剣を賜る
■ 戦国時代に普賢寺に移住し、田宮姓に
■ 明治2年、新政府高官、横井小楠暗殺の刺客5人を匿う