本能寺の変は天正10年6月2日の未明に起こります。その時代は、日本の旧暦(宣明暦)が使われており、新暦で表すならば、1582年7月1日です。新旧で、1カ月のズレがあるのは、新は地球の太陽公転を、旧は月の地球公転を暦の基準とし、1年で11日ズレています。今では、使われていない旧暦のひと月は、月の満ち欠け、満月~満月と言うことになります。旧暦では、三日月の日付けは3日、十五夜は15日とよくわかります。また、閏○○月が出てきますが、春夏秋冬を24に区分した『二十四節気』のズレを調整するためにもうひと月分、暦に加えたものです。月を基準にした旧暦では、1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬と言うことになり、少しなじめません。ところで、本日は旧暦の5月4日に当たります。ああ、そうそう、かなり脱線しましたが、家康一行が伊賀越えで逃走したのは、6月2日午後~5日朝方と思われますので、月の明かりは、殆どなかったようであります。それにしても、新旧ともに、日々のズレは、閏年月で補正を行いますが、天文学・数学・物理学・季節天候・・・、多分野のスペシャリストが暦を考え出したことに感心させられます。

