時代の変わり目

漠然としているが、全体的に見た潮目というか時代の変わり目はやっぱり、人類が始めて月面着陸した1970年ごろではないかと思う。
 年末の大掃除に合わせて、残り少なくなった(遺留品?)に目を通し整理しているとやっぱりそう思った。
 今100年に1度の世界的景気の悪化が伝えられ、日本沈没?再生?が日本や世界の論客や責任者が真顔でテレび討論なんかをしているのを見ていると、
 どこか(時代遅れ)で違っている感じがすることが多い。
 地球号の中で日本が沈没だ再生だと、論議し選択するタイミングは少なくても4~50年ぐらい前ではなかったろうか?(学校教育の分野でではそれまで広範囲で危惧されたことが子供の具体的な行動や変化に統計にはっきり表れ始めていた。)
勿論今日論じてならないことはないが、中身が伴っていないから、どこか大袈裟で言葉が軽く聞こえる。
 勿論自分も表現が同様なのはよく知っている。具体性に欠け論理の飛躍があちこちにあるからである。
 言い訳になるが、私には専門的な知識がなくその体系や文法に従って論理的に表現する事が殊更苦手で思いのままを日記として書いている。
もともと直感優先で子供に関わってきた。それでよかったのだと今も確信している現在
領域が違っても同じように直感主体でやらざるを得ないし、それでいいのだと確信している。
 本気で沈没や再生を言うなら、こんな私が(?)と思うような乱暴で非論理的な討論をする前に十分準備して視聴者を少しは納得させて欲しい。
 下手するとテレビ局が責任放棄の言い逃れの場を提供するか、さもないとさらに逆走するのを手伝うことになる。実際逆走は言い逃れしながらエスカレートし続けている
いてる。
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期待のお坊さん

昨夜の年越しは近くの禅寺の本堂でお祈りをして過ごした。(昨年から2度目)
 新築した立派なお寺の年越しの儀は50歳近い息子さんのお坊さんが仕切っていた。80を超えてはいるが元気そうなお坊さんのお父さんは
そばにいて息子のお手伝いをするだけ。
お坊さんのような袈裟も着けていない。以前はこの父さんさんが住職だったが、故あって寺をでたらしい。この儀が終わった後座敷で一緒にお茶を飲む。この時は立場が変わりお父さんが主役のようだ。
 今年で2度目の参加だが、私の期待は後の、2次会?のお茶の時間。
 まず、参加者全員に自分が色紙に書い毛質の書をくれる。
 書の見事さは言いようもないが、自由闊達さだけはわかる。
 配っておいて、同じテーブルにすわり、いろんな話をしてくれる。      
 「自分は坊さんが本当は好きでない。息子はよくやる。」
 「祭壇中央のお釈迦様は金粉の塗りすぎで厚化粧のようだ、以前のほうが美しかった」とけらけら笑う。
  「このお寺の新築には一切寄付を集めなかった。寺の用地を売って立てた。」
   「昔は近所の中学の教師をしていた。」
   自分は10人の兄弟で、6歳のときお寺の子供になった。その養父も貧乏寺が好きだったようだ雨漏りだらけの寺だった。
   座敷のふすまの額縁に書いてある【色即色】は自分と高幡不動の前僧侶の秋山氏(言言宗)が何かでご一緒したとき、意気投合し思いついた言葉を秋山氏が書いてくれたという。
  せいぜい30分ぐらいのおしゃべり調の話だったが、私には今まで聞いたどのお坊さんより気持ちよく新鮮に聞こえた。
これかもしれない! こんな感じだ! !と心に落ちた。
   元気なら来年も行こう。目が曇りなく変化し続け、まっすぐ生きる感じがする。
    
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明けましておめでとうございます

これまで同様、、内容は別にして思いをそのまま書きたいと思う。
 自分では俯瞰すのる方法が面白いので、これかからも、磨きたいと思う。そして地球の「新しい小さな芽(こころ)」になりたいなー。
お互いい年にしましょう。
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