世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
北海道もアメリカもルーツは似てる。
BS放送でアメリカの国の成り立ちをドキュメントで伝えていた。
テキサス、アリゾナ、フロリダは、メキシコ領だったのを戦い取ったと言う。
人種的な反目は今も根強くあるらしく、南部の白人はメキシコ人に【出て行け!、帰れ!】と罵り、メキシコ人が「侵入したくせに」とつぶやき白人夫人が「戦って勝ち取ったのだ。」と大声で啖呵を切ってる映像が流されていた。
昔よく見た西部劇の舞台がそうだたとは知らなかった。
ついでだから、アングロサクソン等を検索すると、イギリス始め多くの国が民族の大移動によって成り立ったようだ。(高校時代、教える先生が大嫌いで、世界史の勉強をサボった。)これも僅かにウル覚えである。
考えたら、北海道も似ている。自分は(どさんこ2世)だが、北海道は明治になって(内地)のあちこちから開拓に入った。父系は淡路島、母系は讃岐〈衆)である。それぞれ衆で村を作っていた。
子供の頃アイヌが、毎年学校へ来て、アイヌ文化を紹介していた。
農家をやっている頃は、村のあちこちにメノコ〈アイヌの娘)が奉公に来ていた。貧しかったからだ。うちにきていたメノコは目が真っ黒で美しく、子供心に密かに憧れていはいたが、そういう対象にはならなかった。
自分たちがスタンダードだとの思いに何の疑問も感じなかった。
規模や経過が違うかもしれないがアメリカと共通するところがあると思った。
それだけではなく、世界の国々が所詮同じような経過を辿っているのだと、
歴史や伝統はそういう流れの中にあったのかと、(変だけど)この歳になって初めて気が付いた。感動!
(補 「勝てば官軍」「(侵入しても)勝ち取ったのだから(正義)」
これは、今も変わらないルールなのかと心から納得してしまった。学校でこんな事を子供達に教える訳にも行かないからか、この言葉が新鮮なようなそれでいて当たり前のような変な気持ちだ。(カジノ経済)の言葉もにているなあ!
これが人類の大方の到達点なのだろう。
テキサス、アリゾナ、フロリダは、メキシコ領だったのを戦い取ったと言う。
人種的な反目は今も根強くあるらしく、南部の白人はメキシコ人に【出て行け!、帰れ!】と罵り、メキシコ人が「侵入したくせに」とつぶやき白人夫人が「戦って勝ち取ったのだ。」と大声で啖呵を切ってる映像が流されていた。
昔よく見た西部劇の舞台がそうだたとは知らなかった。
ついでだから、アングロサクソン等を検索すると、イギリス始め多くの国が民族の大移動によって成り立ったようだ。(高校時代、教える先生が大嫌いで、世界史の勉強をサボった。)これも僅かにウル覚えである。
考えたら、北海道も似ている。自分は(どさんこ2世)だが、北海道は明治になって(内地)のあちこちから開拓に入った。父系は淡路島、母系は讃岐〈衆)である。それぞれ衆で村を作っていた。
子供の頃アイヌが、毎年学校へ来て、アイヌ文化を紹介していた。
農家をやっている頃は、村のあちこちにメノコ〈アイヌの娘)が奉公に来ていた。貧しかったからだ。うちにきていたメノコは目が真っ黒で美しく、子供心に密かに憧れていはいたが、そういう対象にはならなかった。
自分たちがスタンダードだとの思いに何の疑問も感じなかった。
規模や経過が違うかもしれないがアメリカと共通するところがあると思った。
それだけではなく、世界の国々が所詮同じような経過を辿っているのだと、
歴史や伝統はそういう流れの中にあったのかと、(変だけど)この歳になって初めて気が付いた。感動!
(補 「勝てば官軍」「(侵入しても)勝ち取ったのだから(正義)」
これは、今も変わらないルールなのかと心から納得してしまった。学校でこんな事を子供達に教える訳にも行かないからか、この言葉が新鮮なようなそれでいて当たり前のような変な気持ちだ。(カジノ経済)の言葉もにているなあ!
これが人類の大方の到達点なのだろう。
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(専門家)パート3
専門家について2度書いたが、どうも吐き切れないので、続きを書く。
全体と専門家の関係はあれで良いと思うが、その先が足りない。
専門家は部分の体系的な知識を述べているが、聞く方は全体的なものとして聞いていないか、と言う事である。
専門家が騙しているわけではなく、最大限良かれと思って知識やデーターを駆使して分ってもらおうと誠実に努力しているに違いない。しかし、彼は専門家として役割を果たすために話しているのであって、全体を現実の真理真実を話しに来ているわけではない。聞く方は、部分的な専門的知識に学ぶと同時に、普通は贖う事が困難な上、全体や現実の真理真実として聞いてしまうことになる。
専門家は騙してもいなし、聞く方は騙されてもいない。単なる錯覚である。
囲碁で、「定石覚えて、1目弱くなり」の格言がある。
それには理由があり、囲碁は盤面全体を俯瞰して手が生じるゲームなのに、
定石は部分の勉強である。勉強をした後反動が出るのは自然かもしれない。
囲碁は何万とある定石から、全体を俯瞰し一つを選択することが求められる。
自分も専門職として教員をしてきた。失敗も沢山あるが、今にして思えば、
専門的に良かれと思ってやったことが裏目に出たことが沢山ある。(その当
時、責任を感じるより心外に感じたものだ。今ごろになって反省。)
要するに部分に拘り、全体の現実を見ていなかったのである。
専門家の話と我々の受け取り方は勘違いしやすい関係にあると思う。
両者がその事を承知して互いに俯瞰し全体の現実を探る努力をしないと、(私も失敗したが)社会全体もエライ事になる。
受け取る我々だけでなく登場する専門家自身もそれを使うメディアや政府なども可也の誤解が見られる。(全体的には誤解を超えてシステム化している。但し全部が全部でない事も付記しておく。)
全体と専門家の関係はあれで良いと思うが、その先が足りない。
専門家は部分の体系的な知識を述べているが、聞く方は全体的なものとして聞いていないか、と言う事である。
専門家が騙しているわけではなく、最大限良かれと思って知識やデーターを駆使して分ってもらおうと誠実に努力しているに違いない。しかし、彼は専門家として役割を果たすために話しているのであって、全体を現実の真理真実を話しに来ているわけではない。聞く方は、部分的な専門的知識に学ぶと同時に、普通は贖う事が困難な上、全体や現実の真理真実として聞いてしまうことになる。
専門家は騙してもいなし、聞く方は騙されてもいない。単なる錯覚である。
囲碁で、「定石覚えて、1目弱くなり」の格言がある。
それには理由があり、囲碁は盤面全体を俯瞰して手が生じるゲームなのに、
定石は部分の勉強である。勉強をした後反動が出るのは自然かもしれない。
囲碁は何万とある定石から、全体を俯瞰し一つを選択することが求められる。
自分も専門職として教員をしてきた。失敗も沢山あるが、今にして思えば、
専門的に良かれと思ってやったことが裏目に出たことが沢山ある。(その当
時、責任を感じるより心外に感じたものだ。今ごろになって反省。)
要するに部分に拘り、全体の現実を見ていなかったのである。
専門家の話と我々の受け取り方は勘違いしやすい関係にあると思う。
両者がその事を承知して互いに俯瞰し全体の現実を探る努力をしないと、(私も失敗したが)社会全体もエライ事になる。
受け取る我々だけでなく登場する専門家自身もそれを使うメディアや政府なども可也の誤解が見られる。(全体的には誤解を超えてシステム化している。但し全部が全部でない事も付記しておく。)
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