小中学生、体力低下

文科省は全国の小中学生の体力調査結果をした結果、昭和60年次より大幅に体力を低下させていると発表した事を、朝日新聞は社説で社会問題として取り上げていた。
 国もメディアも教育関係ではこんなトンチンカンは普通だから、無視しようと思っていたが、テレビで、女子中学生の運動不足や、体力づくりの塾へ子供を通わせる様子を伝える報道を見て、やはり一言書こうと思った。
 子供の運動不足や体力低下、それによる発達上の異変はとっくの昔から学校現場や研究者の間で問題にされてきたし、文科省も体力調査の結果、体力低下を補うため業間体育(休み時間の一斉体操)を学校現場に求めてた。
 要するに、とっくの昔から子供の体力低下や発達上の歪みは分っていた。
 それがなぜ今になって分ったように心配顔で社会問題にするのか?
 勿論遅くなっても改善した方が良いに決まっているが、
 あれから50年もたっている。
 その間育った子供達は取り返しがつかない。
  子どもの発達は農作物や他の生き物と同様「適期」や「臨界期」があって、それを逸したら育たない。
  体力低下が分って50年たっても未だ本格的に原因を探り対策を講じる兆しもない。
 学力低下も、同じだろう。

 体力や学力の低下を察知したり、対策を講じるのは直接的な関わる直感的なマンパワー。
 今それが機能していないから50年経っても変わらない。 
身近な人の直感を見直したほうがいい。 
   
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もう一方の柱

オバマ新大統領の就任は地球を舞台にしたミュジカルのようでもあった。
 我々がたどり着いてる地点を見せてくれたようでもあった。
 昨日、「認識のもう一方の柱」と書いたが、<価値観>のことである。
 
  人間が何を大事で何が大事でないかは価値観である。
人間を理解しどこまで根源的な価値を見出し身に着けるかが「一方の柱」になると考えている。
 要するに我々は視座と価値観によって物事の意味が生まれるのではないか?
 
今は、多様な価値観と共に生命よりお金が大事だと勘違いさせるような風潮も合わせ、価値観は混乱し、
 意味のないことをやり続ける中で、世界的危機に陥っているようだ。
 だから、古い世界観から抜け出し、世界を見直し意味ある行動を取り戻してはじめて、 
  CHANNGEやWE CANも本物になるのではないか?
視座や価値観の発展はオバマ氏も我々一人ひとりも等しく求められていると思う。
 下駄を預けるなら愚痴を言うまい。

 
 
 
 
 
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