保護貿易か自由貿易かの議論

世界的不景気に対し、アメリカの車に見られるように世界の産業は全体的に保護貿易への動きが強まっている。
日本は、食糧自給40%に見られるように極度に自由貿易化しており、日本の立場は悪い。
 アメリカに、はしごを外され取り残された印象すらある。
 それはそれとして、日本のこれまでの産業構造で今日に至ったことを考えると【産業構造の転換】は不可欠で産業の保護育成は国家的な課題であり何時までも目先の利益を追うべきでなく、転換の良い機会にしたほうがいい。
 しかし,NHKや朝日新聞をはじめ目にする全メディアが専門家〈経済学者)を動員して、80年前の世界恐慌の経験を引き合いにして、保護貿易を批判し自由貿易の優越性を説き、外交と合わせてその意向を世界に発信しているかのようだ。
 外需が駄目なら内需と分っていてもそれが出来ない産業構造が出来上がっていて、2兆円の交付金をばら撒いて内需拡大すると言う。これが産業であるはずはない。
 状況判断を欠いたまま突っ走り、軌道修正ができない頓珍漢。
 難しい?ことを考えず、2兆円で、全国の休耕地を耕し、水産や林業の振興に使ったら、内需を伴った実質経済も政府の人気も?はるかに上向くはず。
  
 内容が逆行しているかどうかは別にして、メディアが世界や日本の【産業】の辿って来た経過やあり方を話題にし始めたことは喜ばしい。
 
 
 
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もう一歩突っ込んで「民意」を考えると

これまで「民意」はメディアの手による加工品のようだと述べてきた。
昨今、「民意」の登場が多くなっているので、更に考えを進めてみたい。
 ジャーナリストの鳥越氏が「情報作りの職人でありたい。」と自ら述べるように、情報が仕立てられている一面を持っている。
我々はその情報を得ながら考え行動するが、我々の意向(民意)が仕立てられた情報の結果なのかそれを超えた一人格としての、一個人としての主体的な意向なのかの区別は難しい。街頭でマイクを向けられた人の話や、新聞の読者欄、周りの世間話を聞いていると、個の部分を見出すのが難しいことが多い。
 これを曖昧にしたままツールのように民意が利用されている現在、我々は民意の名で自分を見失いかねない。
 【皆言ってる】【皆やっている】と子供の頃、この手で親の目を誤魔化したが、効き目は抜群。〈そのぐらい、世間体に弱い)
応用して、大人も良く使う。
我々は「民意」「皆」の言葉で、思考を停止させられ、ロボットにされかねない。
巧言には,クワバラ!クワバラ!
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