神は愛なり

「神は愛なり」は若い頃、魅力的な聖句だった。
 今日、新宿へ映画を見に行って来た。電車の中も新宿の街も帰ってきて目の前でやっているテレビもあの聖句に似ているが主述をひっくり返して「愛は神なり」の感じがしなくもない。ひっくり返しても普遍的な感じがするので、もしかしたら、これも宇宙的な法〈神)と似たようなものかもしれないとつい思ってしまった。 論理や実態が同じかどうかは分らないが、気持ちの上では違っていないような気がして、ほぼ納得してしまった。
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この感じだ!

画用紙の中の絵の周辺に空白を感じる自分が、初めて(個人・1人格)になったのかも知れない。悪い感じどころかすごく良い感じだ。
 本来こういうものなのだろう。普通のことかもしれないが、自分としては初めての感じ。
 家族も教え子も、友達も、60数億の地上の全人間がこうだったら幸せだろうなー。
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何やら書いている。

(カラオケで)歌が歌いたかった。なんでもいいから、何か言いたかった。仕方ないから、こうして何やら書いている。そういうものなんだ。
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ここまで来た

今日は映画を見に(ポチ公の告白)を新宿へ行って来た。
 全国26万の警察が検察・裁判官、ジャーリリスト、全ての国民をも巻き込んで悪事を働き、隠すというものだった。
事の是非は別として、今日の映画も若い人たちで、満杯。
先に見た、3本の映画と通ずるものを感じた。
 帰り道、上弦の月がピカピカ出ていたこともあって自分の内側の空間をまとめてイメージした。
 地球にまたがる線がこの風に響く。これだと思った。
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俯瞰図における空間・時間の一元化

昨日、著名な憲法学者の【憲法と資本主義】と言うテーマの話を聞いてきた。
 現在、世界や日本が置かれてる現状や今後を学者らしく緻密に明快に話してくれた。その意味でその学者を尊敬するし大いに勉強になった。
 ただ、自分が問題にしている、視座や俯瞰図から言うと、見えない所が可也あった。画用紙に書いた絵の回りに余白が沢山残っているような感じがした。
 でも、話を聞いて、はっきりした事は、自分が目指してる地球的視座を持った俯瞰図は、空間と時間を1元化して描いた方がいいだろうなと考えた事だった。
 
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友達は良いもんだ。

昨夜30年来の3人の友達と、一杯やった。
 30歳中ごろからの付き合いだが、面白いものだ。会うたびに新しい発見がある。ちょっとした一言や、思い出が、新鮮に映る。相手を知っていて敬意を払っているように思っても、彼の一部しか知らなかった事になる。また会うことを約束して終わった。若いときの友達は格別だ。
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友達は良いもんだ。

昨夜30年来の3人の友達と、一杯やった。
 30歳中ごろからの付き合いだが、面白いものだ。会うたびに新しい発見がある。ちょっとした一言や、思い出が、新鮮に映る。相手を知っていて敬意を払っているように思っても、彼の一部しか知らなかった事になる。また会うことを約束して終わった。若いときの友達は格別だ。
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