大もとと比べたら小さいこと?

地球上の人類の異常とも思える行動をベースにして人間社会は成り立っているようだから、多くの理解し難い行動があってもその矛盾は感じにくい。
 金融政策でする中央銀行の量的緩和と公的資金の市場への注入もそのひとつ。
 経済政策の重要な施策なのに、なぜ国会で議論しないのか。政党の公約にもならなければ、政府の政策にもならない。
 秘密が多いとされている軍隊の動向は国政の範囲内にある。
中央銀行の銀行券の発行如何は国民生活上も、経済や国政上も重要な位置を占めるはずである。
 国会で取り上げないだけでなくマスメディアもあまり取り上げない。
 触ちゃいけないタブーであるかのようだ。
それでどうして、国の経済政策や景気対策がが立てられよう?
 大もとの矛盾に比べこのレベルの問題は小さいと言うことか?
 
学校教育にも、到底常識では考えられないようなことが公然と、法律や行政を使い【子供のため、教育のため】の名で行われている。教師生活の40年間はどこへ行ってもずーとそうだった。人々の真面目な努力は陰になり、幅を利かすのは責任転嫁と言い訳ばかり。
 そうでなければ今日の教育問題、子供の問題はありえない。
 これも大本の悪と比べたらちっちゃい事か? 
相手は子供 そんなことで済むと思うか?


 
 
 
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曖昧にできない【地球と人類】の関係

例によって、朝方布団の中で考えてしまった。
 【地球と人類】
 地球上で、人類はとんでもない事を(当たり前のこととして)やっていないか。
 疑問と言うより、はっきり良くない事をしていると確信にも近い思いになった。
 【とんでもない事】とは、人類が生きるために今やっている産業のやり方である。
 特に、工業化の名で、地球から一方的に節度なく資源を掘り起こし工業製品に作り変え富として貯え、さらに大きくしようとしているようだ。
 地球の資源は、(特に地下資源)減ずるだけで人類の手で戻す事はできなく、自然の連鎖調和共生は壊れ、既に地球は人類も望まない異常な現象をあちこちで見せている。

地球を壊し、他の種を絶やす事は、そのまま人類自身の将来をも危うくしている事ではないか。 地球と人類の関係を超えて、人類が人類の将来を壊している。 
 
地球自然の調和と種の共生の破綻は、種の滅びと疫病などの他の種の異常発生を促す原因とも考えられ、人類の生をも危うくしている。人類の安全を脅かす予知できない最大のものになってはいないだろうか。
 地球や他の種からすると、人類は一方的に地球を掘り起こし、持ち去り、種は生きる場を奪われるわけだが、人類は憲法や法律、国際的には条約によって正当化し己を守って、この行為を正当化し続けている。
 でも、人類が地球に対してやっていることは強盗のようだ、と頭に浮かんだ。
 そして、国は1強盗団かと、続いて浮かんだ。
 世界の盟主アメリカは最大最強の強盗軍団なのか?
 【テロとの戦争】は強盗軍団同士の奪い合い、小競り合いにも見えてきた。
 

これらは、文明文化をベースにした問題だから、簡単に結論付けられないが、今は【地球と人類】の関係を曖昧にして済む時代はないと考えている。
 今、人類は正当化しながらも基本的には地球に対して異常行動、犯罪的行為をベースにし行動していると考えている。
 (以前も書いたが、今やっている産業の形態が昔から間違いや異常行動だとは考えていない。現在の産業の規模や技術と地球の現状の如何で意味合いが変わってしまった。)
  物事の価値や善悪・意味合いは行動する主体の思いや、やっていることとは別に背景に見るもの、背景の変化によって全く変わるものだ。
 (こんな大上段に構えエラそうに言う自分が異常?と思わないでもない。こんな事に触れた本を探しているが今のところ見つけられない。これに関して他人の話だけでも聞きたいが、突拍子もなく妄想のようで乗ってくれそうにない。
 自分がとんでもない事を考えていないかと気にはしているが、考えてしまうからどうしようもない。)
 
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