リンカーン・ケネディ・オバマ

3氏の就任演説を並べて読んでいる。
 いずれもアメリカを中心にした国家観の延長に世界を見ている。
 権利は国家の包容力によって与えられるのではなく、神によって与えられている、と述べつつ、仲間と敵を2分し、神に変わって敵を制裁する論法も共通している。
 現状の国家の視座をそのまま世界に拡げてる。
 地球的、人類的視座までにはかなり距離がありそう。〈言葉だけカも知れないがこれまで、【地上】の言葉が最大の視座として用いてきたが オバマが初めて【星】の言葉を用い拡げた)
 とは言え、時間がかかっても実際に視座を拡げずに地球に棲み続けることはできない。
 どう変化していくか?
 意外に、社会で目立たないところから変化し、権力や組織など、責任のあるところが最も変化が遅いかもしれない。
 既に現状が政策に先んじて変化している気がしないでもない。
 日本では、1次産業への労働資源の移動が片や始まっているのに政府与党がついていけないでいる。
世界的に自然な保護貿易に対し、いきさつ上、自由貿易からけんせいされているが本来の産業構造への転換から言えば大事なところ。
 オバマシもブレーキを踏まざるを得ないでいる。微妙だ。

 
 
 
 
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50年ぶり

昨日、高校時代の学友からひょんな縁で写真と一緒に手紙をもらった。すぐ御礼の電話をし思い出話に花が咲いた。ソフトボールで3塁越えのヒットを打ったことを今も覚えていた。当時親しくしていた友達の消息を教えてもらったりもした。
 昨年あった中学や高校のクラス会でも、多くの幼馴染にあった。
 田舎のこと、町のあれこれから家族のあれこれまでお互いよく知っている。
 地域が共同社会と言える頃のことだ。体ごと人生を俯瞰するようで感慨も深い。  懐かしさと同時に、共同社会の削ぎ落とされた寂しさも共有しているように思う。
 
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