俯瞰する能力の高め方

学力であるかのような見出しにしにしてみた。
関心はあるが、よく分らない。
明日考えてみよう。
 (続き)ここ2~3年地球を俯瞰して自分たちを見て見ようと意識することが多くなった。
俯瞰図と言えば、昔描かれたお城や村の地図や子供達に地図の指導の前段階で教えた絵地図や家の見取り図などを思い出すが、
 スポーツするときのイメージトレーニング、劇の脚本作りや演技の練習、授業の指導安、子供の内面など、頭の中での想像しているものは似ている。座禅も近い。
 鳥瞰図は時間の流れも含む全体的な空間意識のイメージ化したものかもしれない。
 そうすると、いろいろな種類の俯瞰図が必要になる。
 宇宙から心の小さな動きまで個別に無数の俯瞰図ができ、それを全部納めた1枚の大きな俯瞰図が描けるかもしれない。
 家近辺の絵地図だって判りやすく書くのは難しい。
  デッサンのように繰り返し練習してそれらしく描けるようになるのだろう。

  「俯瞰する能力」もまた学習して養われるのだろう。
 長い教師生活で、沢山のテストを作り実施したが、意識して
 俯瞰能力をテストしたことがない。
 たいていのテストは俯瞰能力と関係ない部分的な知識と技術で間に合うし、逆に俯瞰するような全体的能力を測るテストは作れないかもしれない。
 自分は今、独りよがりの日記でも書いているうちに俯瞰する力がつくのではないかと考えて練習の意味もあって書いている。
 囲碁では常に大局観が求められるが、俯瞰する力と通ずるところがあるかもしれない。
 本を読んだりしての間接経験は見聞を広め想像力を助けてくれる事はあるが、実際の直接経験は想像したりや俯瞰する場合より大きな力になるように思う。
 今は生活上も直接経験が減り、学習や研究・仕事・責任など、社会生活や仕組みが現実にはありえない縦割り細分化されてる現在、現実の存在そのものの横断的・総合的・全体的な認識からなる俯瞰する能力は育ちにくい。
 政治も経済も社会も俯瞰能力は(機能不全といって良いほど)機能せず先行きが不透明な現在、社会はこの力が必要だろう。
自分はこうしてまず書いてみる。


 
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それぞれの反省から

アメリカは今日に至った原因を強欲と無責任と失政にあると公言しチェンジを呼びかけたオバマ氏が黒人のハンディを乗り越えて大統領になった。 仲良しで同じようなことをしてきた日本では未だに各界から反省の言葉がほとんど聞かれない。 反省なくして新しいい出発ができるだろうか?  そのせいか全体がもたもたしていて、政治はその一端にしか見えない。  ここまで来ると、総理や内閣の支持率は大した意味を持たないと思う。 私のように、大声で批判し揶揄して己の責任を転嫁していないだろうか?

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