大きく膨らんで欲しい【新しい芽】

1、4月の市長選挙に現市長に対抗して新しい候補者が出たことをどんな方法でも良いから広く市民に知らせる。
 
2、今の時代に、生活基盤であるこの日野の地域に何が必要でどう地域行政に繋  げ新しい流れを生み出すかを多くの市民に考えてもらえるように、具体的に場を色々な形で設定し、個々の市民の課題を俯瞰して全体図の中に位置付ける。
 
3、選挙は教育同様至って人間的な営みである。ミュージカル【日野市長選挙】?の発想で練習?し、自分を見つけたり、確認 したり、人間的に(他人と繋がるチャンス)と、意味をしっかり位置づけして運営する。その時、子供と老人から
 焦点がボケないよう最大限注意する。何故なら弱者はどんな場合も【授業もそうだった】最も敏感に反応する。
 
4、パソコンやネットの活用(工夫すれば伝達手段として少数者も有効に使える。オバマ氏も活用したと言う。)


 この発想だったら、選挙の勝ち負けは別にして必ず、新しい芽は大きくなる      はず。
   
(授業も全く同じで、思っていてもこれが出来ないときは授業は失敗し授業後、子供は散らばり、何とかできた時はお互い充実感を感じいい顔になって集まってくる。間違っても、自分がどうこうすると考えたり短絡的に支持者を増やすような発想を持っては、失敗の元を自らが作るようなもの。
どんな人も、思いや言葉と事実が一致しなかったり、他人からどう見えようと、子供も市民も例外なく、自分に合った価値を常に求めているものだ。)

  こんな事を期待しているのだが、どうだろうなー?

どうしても補足しておきたい事がある。
  5、党派的な力関係は現職が強いに決まっている。
   「新しい小さな芽」を大きく育てそれを凌ぐには、 【子供や(地球)を守る】のはあくまでも具体的な考え方や対策如何であってどんな間仕切りも害あるだけ。
   俯瞰して全体を見れば当然の事である。
   むしろ、話を聞いて一緒に考えたいのは子供達を守れるか心配になる市民や市政に関わる人たちではないか。「違いがあるから話し合いに意味がある」の原則を大切にした方がいい。知らなかったり、「思いと事実」の乖離が大きいだけのことかもしれない。(ある意味で)多くの市民も政治家もマスメディアで日常的に一一面的に(教育・刷り込み)されているのだから現実に気が付かず分らないで行動するのは普通で仕方ないとも言える
 身近でもそういう勘違いのようなことは多過ぎるぐらい多い。
世界も日本も日野市も私もあなたも、立場があるのは当然で許されるべきだが、立場にしがみついて縛られてるいられる状況では既にない。言い換えれば、これまでのそういう立場優先の思考や行動が今日を招いたとも言える。同じ立場の中での動きは敗者の論理にも等しい。
 今日の具体的な状況は責任の一端を感じながら、立場を超えた新しい思考と行動を急ぐ事を求めている。
 「新しい芽」の新しいはその意味である。
 子供も、地球もそれを求め、それなくしては、勝ち負けどころか、誰もが一蓮托生、共食い共倒する、巨大に見えても、泥舟のタイタニックに乗っているようなもの。
【芽】は人間本来の生きる本能から必然的に生まれるべくして生まれるの意味である。
 
 

    


   
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