「生きさせろ」若い声が変える

タイトルは2/25朝日新聞 作家の雨宮処凛さんのインタビュー記事の見出しである。
 彼女の「生きづらさを感じ『生きさせろ』と声を上げる若者達の繋がりが社会を変える力になる、と私は希望を持っています。」とのまとめに力強さを感じた。
 生きづらいのは非正規雇用の若者だけではなく、農林水産業で働く人も、零細事業者や高齢者も、元気なはずの子供も、
よく目を凝らしてみると、あっちにもこっちにも、一見
勝ち組で上手くやっていると思われる人からも生き易さを感じた記憶があまりない。(大体、地球が生き辛さを感じているのだから当然かもしれない。)
多くの人はその心を共有したくても、おかれてる状況と、刷り込まれた情報で実際はバラバラになって、生き辛さを味わされている。

 だから、地面から湧き上がるような彼女の言葉に力強さを感じたのだと思う。

 
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逆走

普通日本では、車は道路のセンターラインの左側を走る。右側を走ったら大変。
これも時と場合で、工事中なんかには、センターライン右側を走らなければならない時もある。
事情はどうあれ逆走は困る。

 ところが、逆走の例は身近な所でも意外に多い。

 高校時代、何時もいつも勉強している青白い顔をしたクラスメートがいた。
 成績も落ちる一方で、ノイローゼで退学したと言う。
 これは、「子供は勉強すれば学力がつく。」も時により逆走することをを意味する。
 私の趣味の囲碁では、(石の方向)は勝敗を決める決定的な感覚である。負ける人は一生懸命、石の方向を逆の方に考える。
 小さい子供がドッジボールをすると、怖がって後ろ向きに逃げる子がいたが、
 最も当たりやすい。サッカーでもバスケでも金魚の糞のようによくボールに群がる子供がいるが、コート全体が見ていないからで、あまり役に立たず本人も疲れるばかり。教員のソフトボールの試合で、バッターの女の先生が3塁に向かって走ったのを見た事がある。  
 身近な可愛い例などは良いけど、これが、地球や子供の安全や将来に関わることで、世界で、国で、住んでる町で、公の制度を用いて力で逆走されてはかなわない。
 新しい動きはあるものの、我々は全体的に逆送の仕組みと情報の中に放り込まれている感じがする。
 地球の事も、小どもの事も、俯瞰されないていない情報を我々は連日刷り込まれ教育されているようなものだから、逆走を止めるのは大変。
 しかし、いいことに地球も子供も、正直に形に表して我々に見せてくれるくれる。それを基にすれば、情報と逆走の如何は分るのだが、変化を見る我々の眼を維持するのが難しい。
 それだけに変化を追うのは面白い。

 



 
 
 
 
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アマーティア・セン氏

米ハーバード大教授、、98年にノーベル経済学賞をもらったインド人。
 今日の経済危機を1年半前に論文で予告していたことでも有名。
 2/24朝日新聞で大きくインタビュー記事をのせていた。私とレベルは違うだろうが、経済の分析や対処法はそれほど感心するものではなかったが、後半で述べていたことに感動した。
 「教育が重要だ。学校教育だけではない。例えばメディア。どうニュースを伝えるか、どんな意見を紹介するか、それは教育的意味を持つ。」
 メディアもグローバル化しなければならないと?(記者の質問)
 「新聞などは、もっと自由になるべきだ。愛国主義的である必要はない。自国の視点から離れた報道や論の展開は可能だ。友人の大江健三郎氏は、日本人であると同時に、グローバルな普遍的人間でもある。知識人はこの二重の役割を担わなければならないが、それはメディアについても同じだ。」と締めくくっていた。
 彼が知っている世界の新聞やテレビなどのメディアが愛国的で一面的な情報を伝えており、俯瞰した世界的な情報を伝える事の必要性を言っている。
 日本でで目にするメディアは全く彼の言うとおりだし、これが世界的となれば、100年に1度の経済危機を世界も日本も予知できなかった原因や責任がメディアにもあったのかと納得できた。
 (コマーシャルやお笑い、ワイドショーどんな形であれ耳目に入る情報は無意識に刷りこまれ教育され行動を惹起することは心理学でまなんでいた。)

 
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