朝、小源太とお弁当の代わりのブールのパンを買いに行った。
車から降りるのが遅かったので、「はよ降りな」と言うと、「小源太は、食べるのも、歩くのも遅いんや…」「ママのお弁当は詰まり過ぎで、小源太は食べるのがいつも9番目くらいになるんや…」と呟いていた。
今日は、久しぶりに家にいられる金曜の夜だった。
涼子、温二郎と風呂に入り、小源太は21時頃から上延に一人で泊まりに行った。いつの間にか、そんなことができるようになっていたんだと思った。
朝、小源太とお弁当の代わりのブールのパンを買いに行った。
車から降りるのが遅かったので、「はよ降りな」と言うと、「小源太は、食べるのも、歩くのも遅いんや…」「ママのお弁当は詰まり過ぎで、小源太は食べるのがいつも9番目くらいになるんや…」と呟いていた。
今日は、久しぶりに家にいられる金曜の夜だった。
涼子、温二郎と風呂に入り、小源太は21時頃から上延に一人で泊まりに行った。いつの間にか、そんなことができるようになっていたんだと思った。
午前中、残っていた“げんたろう新聞”の配達に行った。
昼にITビルに行き、『建国記念の日を祝う綾部市民のつどい』のお手伝いをした。毎年、スタッフとして協力させていただいている。
昨夜お話を聴いた河添恵子さんと飯塚繁雄さんが講演をされ、約200名の市民が集まった。
民主党が強引に押し通そうとしてる“亡国法案”である『外国人への参政権付与法案』をなんとしても食い止めたいという強い気持ちのこもった集会となった。
これに政党として明確に反対しているのは自民党だけなので、自民党になんとかしてほしいという大きな期待も感じる。地方からも声を上げていかなければならない。
これは外国人との闘いではなく、中国政府が構想する日本侵略との闘いだ。
小学館SAPIOの記事によると、中国外交官が日本の外交官に渡した地図では、朝鮮半島は「朝鮮省」、日本列島は西日本が「東南省」、東日本は「自治区」となっている。日本人はお人好しだで済む問題ではない。
うちの妻が風邪で、9度を超える高熱が出ていて、SOSメールが入ったため、片付けをせずにポカリスエットとラーメンを買って、家に帰った。
子ども達にラーメンを作り、面倒をみていたが、3人は本当に大変だった。
特に涼子は悪いことばかりするので、テレビでも見せておかないと動きが止まらない。
温二郎はウンコしたり、すぐに泣くので、揺り椅子をずっと揺らしておかなくてはならない。
インフルエンザかと心配したが、病院で診てもらったらそうではなかったらしい。
小源太と風呂に入った。小源太は英語が習いたいと言っているので、理由を聞いた。「世界の国に行った時に、スラスラと話しかけたいんや」ということだった。1年生になったら、英語を習いに行かせてもいいかなと思っている。
午後から、新聞の配布お願いに綾部全域を回った。
夜は、日本会議京都北部支部主催の『外国人参政権と拉致問題を考える勉強会』に参加させていただいた。
明日11日の『建国記念を祝う綾部市民のつどい』(14時~:ITビル)で講師を務められるノンフィクション作家の河添恵子さんと拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんをお招きし、外国人参政権や拉致問題について、市民有志が集まり、質問や意見交換を行った。
僕でも、日本を出れば外国人であり、日本以外では参政権はないし、欲しいとも思わない。なぜなら、権利には義務が付随するからだ。
他の国では、徴兵制をとる国も多い。その国の国民になれば徴兵忌避はできない。戦争に行き、その国のために死ぬことになるかもしれない。
日本には徴兵制はないが、参政権とは国民としての義務をすべて果たす約束のもとに、国民に与えられる「決定に参加する権利」であって、「外国人に参政権を与える」という言葉自体がおかしいのではないかと思う。
民主党の出そうとしている今回の「外国人への参政権付与法案」には徹底的に反対していかなければならない。
外国人を排斥するつもりは全くない。永続性のある友好を築くためにも、今、日本人が試されていると思う。
小源太は今日、幼稚園の健康診断があった。4月から、綾部幼稚園に入園することになる。
僕が園児のころには、6クラスあったのだが、今は1クラス25名になってしまったらしい。
僕は菊組で他にも桜組とか土筆組とか百合組だったが、今は星組というらしい。宝塚歌劇団のようだ。
小源太は幼稚園に通うのを楽しみにしているようだ。
夜、涼子が急に9度5分の熱を出した。インフルエンザか!?と思ったが、翌朝には熱が下がって元気になっていた。良かった。
温二郎はケラケラと笑うようになった。もうすぐ首が座るのではないか。選挙でバタバタしていて、お宮参りができていない。
二日目はまず大須商店街に行き、大須観音にお参り。朝早すぎて、商店街のお店がほとんど閉まっていたのが、幹事としてちょっと失敗だった。
商店街の中に織田家の菩提寺である万松寺があった。織田信長が父・信秀の葬儀をしたのがこのお寺。信長が位牌に抹香を投げつけたのは有名な話だ。現在も織田信秀の墓があり、お参りした。
その後は、熱田神宮に参拝。無料のボランティアガイドの方に詳しく案内していただいた。
熱田神宮には、桶狭間の戦いに向かう際に織田信長が祈願し、戦勝のお礼に作った“信長塀”があった。当時のまま、残されているそうだ。
昼は有名な『あつた蓬莱軒』で“ひつまぶし”を食べた。うちの妻の強力な勧めにより、旅程に組み込んだが、皆さん大変喜んでいただけた。
あとは、一路、綾部に向かって帰った。皆さん、お疲れ様でした。
消防団の旅行で名古屋に行った。今回は幹事だったので、企画から買い出し、日程管理、連絡などの役割を果たした。
みんなの希望が「名古屋と伊勢神宮にも行きたい」ということだったので、そこに僕の希望の大王崎も加えて、長距離移動の旅行になった。まだ薄暗い
朝7時に詰所前を出発した。
雪のため、少し予定が遅れたが、伊勢神宮内宮に着き、参拝。
おかげ横丁での食事と買い物を済ませて、さらに南下し、志摩市の大王崎へ向かった。
大王崎は綾部藩主九鬼氏の発祥の地であり、最初に砦を構えた波切城や菩提寺である仙遊寺もある。
前にも行ったのだが、仙遊寺をうまく見つけられず、お墓参りができなかったので、念願の墓参を果たした。
今日は灯台が修理中で、灯台に上がることはできなかった。
大王崎から一気に北上し、夜は名古屋で泊まった。
午前中、せいざんへ行き、口上林と奥上林から来られた方々にご挨拶させていただいた。
フロンティアが指定管理者になった当時、上林の老人会の団体利用が皆無だった。スタッフの営業努力で上林からも来ていただけるようになったので、御礼とさらなる営業のため、40分ほどお話させていただいた。
ボランティアをまちづくりに生かすフロンティア精神のことやこれからの福祉政策のあり方などについてお話した。
指定管理者として、来年度から4年間、契約が更新できたので、さらなる利用者増を実現していきたい。それがフロンティアのボランティア活動を支える基盤にもなってくる。
昼は、玉川さんの結婚二次会の打ち合わせのための昼食会に参加する。
今日も仕事が詰まってきたため、会社で残業。
その前にご飯を食べに少しだけ家に帰ると、涼子が喜んで玄関に走ってきて、バタッと転んで大泣きした。
妻が涼子に「パパが好きなんか?」と聞くと、涼子は恥ずかしそうにしながらも、「うん」と満面の笑みで答えてくれるらしい。
涼子は、お兄ちゃんも弟も大好きで、お兄ちゃんにはちょっかい出して怒られ、弟には世話をしようとして泣かれている。
昨日に引き続き、今朝も志賀郷へ行った。二ノ湯智参議院議員をお誘いし、篠田神社の筍神事を参拝した。
父も昨年地元に方に誘っていただいたものの日程調整ができず、「来年は必ず行く」と約束させていただいていたそうで、母と一緒に来ていた。
今日も竹原くんのうどんが出店しており、2日連続で美味しいうどんを食べた。
二ノ湯参議院議員と一緒に志賀郷、物部方面を挨拶に回った。
家に上げていただいたり、道端でお話したりしながらだったが、約60軒ほどを回った。皆さん、温かく出迎えていただけた。また機会をつくって、回らせていただかなければならない。
国会開会中だが、二ノ湯先生は所属委員会が休みのため、地元回りにあてられたそうだ。
やっぱり国会議員だからか、国会のことを気にしておられて、途中、ラジオで聴いたり、テレビを観たり、ビデオ録画を頼んだりしておられた。他の方の質問を観ながら、喋り方や内容のことなど研究しておられた。
喫茶南天での休憩中には、若者のお茶離れを憂えておられた。二ノ湯先生は帰宅すると、まずお茶、食後もお茶、風呂上りにコーヒーだとおっしゃっていた。
18時まで回り、その後は南丹市議選の応援に向かわれた。
広告の仕事が立て込んできたので、夜は会社で仕事をした。
小源太は朝ご飯を食べるのに時間がかかる。嫁さんが小源太を叱り、小源太は「ママは怒ってばっかりや」と半べそをかいて反抗していた。
今春から幼稚園に通うので、早く食べられないと間に合わないので心配ではあるが、二人して怒ったら小源太にも立つ瀬がないので、「責任感を持たせて、自分の意思で早く食べるようにさせた方が良いのではないか」と話して、「食べるのが遅いと幼稚園行くのに、お兄ちゃんお姉ちゃんに置いて行かれて、小源太が困るで」と言ったら、「責任って何?」と言っていた。理解させるということが大切だと思う。
10時半に金河内町の阿須々岐神社の茗荷祭に行った。たくさんの方が来ておられて、新聞各社と関西テレビも来ていた。
竹原くんの手打ちうどんが出張販売しており、いつもの美味しいうどんを食べた。
志賀郷で新しく開発された『七色餅』(400円)を買って帰った。
夜は大本の節分大祭に参列した。
直会の後、消防団の待機場所に行って、警戒に合流した。
午後、京都に行った。
茶生産組合の会議に行かれる中田さんと駅で一緒になり、お茶のことや農業経営のことなどを聞かせていただきながらだったので、あっという間に京都に着いた。
京都では、「がんばろう日本!」国民協議会の戸田代表とお出会いし、これまでとこれからの政治について、解説を聞かせていただいた。
戸田代表は、自民党、民主党の両方に幅広い人脈を持ち、毎月機関紙を発行しておられて、僕も購読会員にならせていただいている。
お出会いするのは二回目で、前回は名刺交換だけだったのだが、旧知の仲のように親しく話していただき、うれしかった。
わざわざ京都まで呼ばれたので、何か大事な話があるのかなと思っていたが、特別な話はなく、3時間お話をお聞きして、資料をいただいて帰った。
中央政治の情報を持って、過去の政治史も踏まえて、全国の事情に通じておられるので、勉強になる政治談義だった。
夜は会議があり、いろいろな相談や話し合いがあった。
言葉というのは便利なものだが、難しいものでもある。人をつなげるものでもあるし、人と人を遮るものでもある。