現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

ラビドール御宿

2011-10-02 16:50:07 | 虚無僧日記
千代田生命在職中の1990年。千葉県外房の御宿に
有料老人ホーム「ラビドール御宿」を建設した。
「ラビドール」とは「黄金の人生」という意味。

小高い丘の上に 300室という広壮な施設。
入居時の一時金 2,500万円。夫婦2人で入ると
5千万円。その他に、月額15~8万ほどかかる。
「終身介護保証つき」。

当時は まだ バブルの余韻があり、東京の家を
1億、2億で売って、夫婦ではいるケースが
話題となり、マスコミにもよく取り上げられた。

私の知り合いも、開業医だったが、60歳で 早々に
リタイヤし、老人ホームにはいった。そして 毎日
ゴルフ三昧、奥様は ダンスやお茶、生花に興じ、
悠々自適の老後のはずだった。

だが どうだろう。周囲は海と山。自然環境は
すばらしいのだが、なんか淋しい。ネオン恋しさに、
結局、千葉市内にマンションを借りて、行ったり
来たりの生活となった。

そして あれから20年。ご夫婦ともにもう亡く
なられたようだ。あの頃入居された方は、ほぼ
全員が80歳以上になっているはず。「車椅子」か
「寝たきり」か。施設の職員もさぞ、大変な
思いをしてござろう。千代田生命もつぶれ、
経営を引き継いだ人も大変なことじゃろう。

「ろうけん」施設へボランティア演奏

2011-10-02 16:20:17 | 虚無僧日記
「ろうけん」って「老犬」かと思っていたら「老健」。
「介護老人保健施設」の略で、もう「普通名称化」
しているらしい。

「介護つき老人ホーム」と どう違うのかも判らぬ
知識で、名古屋のど真ん中、栄の一等地にある「老健」に
行ってきた。

「老健施設」は「介護を必要とする高齢者の自立を
支援し、家庭への復帰を目指すために、(中略) リハ
ビリテーション、また、栄養管理・食事・入浴などの
日常サービスまで併せて提供する施設」というので、
家庭へ復帰できるレベルの方たちかと思っていたが、
100人全員「車椅子」。ベットで寝たきりの人も。

ほとんど反応の無い方が多数の中で 30分のワンマンショー。
こういうところでは、もう言葉はいらない。童謡、唱歌、
演歌のオンパレード。耳の聞こえない人、目の見えない
人も「心の耳」で聞いていただけたことと思う。

反応も少ないので、気楽に吹けばいいようなものだが、
そうはいかない。一人ひとりの反応を見ながら、慎重に
真剣に尺八を吹く。少しずつ歌声が聞こえてきた。
「いびき」も心地よい伴奏だ。

こうして、100人もの人が、私の尺八を聴いてくださる。
そのことに感謝。街頭で吹いては、誰も耳を止めない
ご時勢だ。


9孔尺八が「邦楽ジャーナル」に

2011-10-02 10:59:24 | 虚無僧日記
「プリンセスの“魔法”」はすごい。
とにかく「感謝」と「笑顔」で、願いが次々と叶う。

「邦楽ジャーナル」から、何年ぶりかに電話が入り、
私の「9孔尺八」を取り上げてくれることになった。

編集長の田中隆文氏とは、学生時代からのお付き合い
だが、もう何年も会っていない。まだ私のことを
覚えていてくれたのだ。

「このまま名古屋で朽ち果てる前に、もう一度
一旗挙げたい」と思った 矢先の 電話だった。

今は便利な世となった。私の「9孔尺八」を パソコンに
取り込んで、送信すれば それでOK。なにも名古屋まで
取材に来てくれなくとも、カンタンに記事にしてくれた。

「9孔尺八」は、わが師「堀井小二朗」氏が、昭和20~
30年代、これを駆使して、フルートの様な奏法も可能にし、
現代邦楽の発展に多いに寄与したのだが、その後継者は
私「牧原一路」一人しかいない。

それを『邦楽ジャーナル』で取り上げてくれたことに、
ホントにホントに感謝。

『邦楽ジャーナル』10月号(2011 Vol.297) P.57


くそみそ一緒、臭いものには蓋

2011-10-02 10:09:26 | 虚無僧日記
興毅8・31世界戦で暴力団員が観戦/BOX(サンケイスポーツ) - goo ニュース

8/31 亀田ジム主催で 日本武道館で行われた「ダブル世界
タイトル戦」のリングサイドで、○暴が観戦していたという
ニュース。誰も驚かん。

「島田紳介」と親交があるとされた「渡辺二郎」は、元プロ
ボクサーで、「山口組系極心連合会相談役」というのだから、
ボクシング界と○暴は「同類」と思っていた。亀田親子の
言動も○暴そのもの。それを“売り”にしてきたではないか。

「紳介」も高校時代、ボクシングをやっていたし、ボクシング界
とは、付き合いが深かったようだ。

それが、「プロボクシング界を根底から揺るがす不祥事」という
報道記事には “冷笑”するしかない。


Wiki-pediaで、紳介のこんなエピソードがあった。

紳介は、高校在学中、教師から「君はこの学校のゴミだ」と
言われた。その後、芸能界で大成して、学校へ行くと、
「君はこの学校の誇りだ」と言われた。そこで紳介。
「ゴミとホコリ(誇り) やったら 変わらへんワ」と。

さすが“お笑いタレント”。高校は「大谷高校」というから、
「親鸞」の真宗系だ。親鸞聖人も言ってござる。「善も悪も」
何事も「裏表」「明暗」「正邪」同一。「くそみそ」一緒じゃと。


ところで、中日新聞に「橋幸夫」が、芸能生活を振り返って
寄稿している。彼も、高校時代、ボクシングにのめりこみ、
プロボクサーになろうか、歌手になろうか、さんざん迷った
そうな。その「橋幸夫」、デビューして3年目、金沢での
公演中に日本刀を持った男に切りつけられ、その刀の刃を
ハッシと握り締めて、取り押さえたという武勇伝がある。
「ボクシングをやっていたから」と コメントしている。