「寺内貫太郎一家』ではない「鈴木貫太郎閣下」。
太平洋戦争の終結のために、昭和天皇の強いご下命で
総理大臣となった。その時78歳。
『坂の上の雲』にも登場していた。1867(慶応3)年の
生まれだから、27歳で日清戦争に従軍。日露戦争の時は
38歳で 第4駆逐隊司令として参加し、ロシアの戦艦を
3艦も撃沈。
1929(昭和4)年、62歳、予備役となり、同時に
侍従長に就任。昭和天皇の信任を得る。
1936(昭和11)年の2.26事件で襲撃され、
重傷を負う。その後、余生を送っていた貫太郎に
1945(昭和20)年4月5日、天皇より、組閣の
大命が下される。戦争終結の内命を帯びていたのだ。
だが、陸軍は本土決戦を叫び、海軍の強硬派もそれに
ならい閣内は本土決戦派と終戦派とのつばぜり合いで
真っ二つの様相を呈していた。
鈴木貫太郎は 首相就任挨拶で「私は死に花を咲かす覚悟。
諸君は 私の死屍を乗り越えて 一層奮起し、起って欲しい」と、
勇ましい発言をした。それは「終戦内閣」をかわす貫太郎の
腹芸であったか。
私の父は、昭和16年8月、福島県の会津若松連隊に
入隊したが、その時の「日の丸」に「海軍大将 鈴木
貫太郎」と「陸軍大将 柴五郎」二人の揮毫がある。
地方の一兵卒の入隊に、なぜ、海軍と陸軍の大将の
揮毫が得られたのか。謎である。「お宝鑑定団」に
でも出してみようか。