現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「山本権八・三郎」と並んで「山室鉄蔵」の名が

2014-08-25 21:20:30 | わが家のこと

ネットでみつけました。「福島県史料情報」第35号(平成25年2月25日発行)

『旧会藩士戦死名簿・貫属士族名簿』
(福島県神社庁文書553号)と題された若松県作成の公文書。


『旧会藩士戦死名簿』は、明治2年に若松県の戸籍係によって
会津藩関係の戦死者 2,634人が書き上げられたもので、
その内訳は、男 2,390人、女201人、農兵43人。

氏名はイロハ順に士・卒別に分けられ、戊辰戦争時の所属・
役職および続柄なども記されている。

ネットにアップされているページは、『八重の桜』に因んで、
「八重」の父「山本権八」と、弟の「山本三郎」が載っている。

弟の「三郎」は、「諸生組」に属し、慶応4年(1868)1月5日、
鳥羽・伏見の戦いで負傷し、船で江戸に送られ、芝の会津藩
中屋敷で亡くなった。

父の「山本権八」は『八重の桜』でも描かれていました。
会津藩玄武士中「伊与田隊」に所属し、9月17日、城の南の
門田一ノ堰の戦いで戦死しています。

そしてその隣りに、私の母方の「山室鉄蔵」の名がありました。
「鉄蔵」は9月8日、飯寺で負傷し、10月27日南原の病院で歿。
(36歳)。なんと母は「牧原」より嫁いでいました。
右のページには「山川大蔵の妻」としか書かれていませんが、
『八重の桜』で爆弾の火を消そうとして爆死した「登勢」です。


また、たぶん次ページに載っているでしょう。「山室清治」は
玄武士中・伊与田隊に属し、9月17日の一之堰の戦いで戦死(58歳)。

そう「八重」の父「山本権八」と一緒の隊で、共に戦死したの
でした。


1300年も昔にも、柴又に「寅」さんが

2014-08-25 21:02:42 | 虚無僧日記

(昨年書いたブログの再掲です)


「瘋癲(ふうてん)」という語は、虚無僧が宗祖と仰ぐ
普化禅師につけられたあだ名でした。師の指示にも従わない
ヤンチャな「普化(プーケ)」ですが、それでいて真理を突いている。

中日新聞に今『寅さんのことば』として「佐藤利明」氏の寄稿。6/28。

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東大寺正倉院に遺る『下総国葛飾郡大嶋郡の戸籍』。
養老5年(721)に、なんと「嶋俣(しままた)の里」に
姓は「孔王部(あなほべ)」名を「刀良(とら)」。その
弟に「小刀良」。「小」は次男を意味するので、まさに
「寅次郎」。「柴又の寅次郎」は、1,300年前の日本最古の
戸籍にもあったというのです。さらに「佐久良売(さくらめ)」と
いう女性の名も。

「山田洋次」は、それを知って名づけたのでしょうか。

ところで、『男はつらいよ』1980年(S55)第26作の
冒頭。寅さんが観る夢。なんと寅さんが虚無僧になって
飢饉で苦しむ葛飾村にやってくる。そして悪代官を
やっつけるというストーリー。虚無僧は“善者”として
描かれているとはうれしい。


「寅さん」ファンの集い

2014-08-25 20:09:34 | テレビ・映画・芸能人

「KEIKO」さんのライブを企画したのは、伏見白川の

居酒屋「結(ゆい)」のママさん。水商売の女将さんには

見えない、普通の女性。 その“たよりなさ”が、多くの人を

惹きつける魅力になっている。

その店で、毎月? 「寅さん」のファンの集いがあるとの

ことで行ってみた。 20人も入れば  いっぱい。狭い店だが

常連さんもいっぱい。新参者の私も、すぐに受け入れてくれる

ホットな仲間たち。「寅さん」をこよなく愛する人たちだからか。

 

その日のDVDでの鑑賞は、「寅さんシリーズ、第19作目」、

『男はつらいよ、寅次郎と殿様』

なんと、往年の時代劇大スター「嵐 寛寿郎」が特別ゲスト出演。

その執事役に「三木のり平」。この二人が実にいい味を出している。

「嵐寛寿郎」は、愛媛県大洲の殿様の子孫。今でも町の人は

「殿様、殿様」と 敬意を払っている。言葉にも態度にも 時代錯誤な

殿様は、やはり「嵐寛寿郎」でなければ、勤まらない。

 

さて、冒頭、久しぶりに柴又の家に帰ってきた寅次郎が、すぐ

家族とひと悶着を起こす。家で飼われていた犬の名が「トラ」。

みんなが「トラ、トラ」と呼び捨てにすることが 気にいらない。

腹を立てる寅次郎に、「定職も無く、結婚もせず、フラフラ遊び

歩いて、金も無い、そんな生活をしているから、バカにされるんだ。

悔しかったら、まともな人間になれ!」と 皆から叱責される寅。

 

おぉ、耳が痛い私。そうだ虚無僧の祖は「フウテンの普化」。

「普化」は「フウテン」の元祖でござった。

親の顔に泥を塗り、妹にまでバカにされ、親戚一同に 顔向け

できない私。 まったく“男はつらいよ” は 私のこと。

でも 世間ずれしたところは 「嵐寛」 演じる 「お殿様」の気品と

風格もあると自負している私でござるよ。

 

 

 


映画 『飢餓海峡』

2014-08-25 19:03:16 | テレビ・映画・芸能人

水上勉原作の『飢餓海峡』。1965年に映画化。

私を夢中にさせ、3回も観た映画だ。
 
事件は、昭和29年。まだまだ続く戦後の混乱期。多くの人が
貧しく、食ベものにも、愛にも飢えていた時代だった。 
 
冒頭に「洞爺丸の遭難事件」。台風で連絡線が沈没し、
その遺体が浜辺に打ち上げられる凄惨なシーン。重苦しく
地を這うような重厚さ。これは、わざわざモノクロの16mm
フイルムで撮影して、粒子を荒くし、戦後のニユース映画のように
仕立てたとか。「内田吐夢」のこだわりに驚かされる。
 
遺体回収のドサクサに紛れて、放火・殺人。強盗を犯した
犬飼多吉(三國連太郎)が小舟を奪って、津軽海峡を渡る。
漂着したところが「仏が浜」。 善と悪、天国と地獄。飢餓と
人間の心の闇、すべてを暗示させる。
 
そして一夜を明かした売春宿で 娼婦「杉戸八重」に 大金を
渡す。これが後に仇(あだ)となる。切ってあげた足の爪を
後生大事に持ち続けて、男を慕う女、八重を演じた「左幸子」。
主演の「三國連太郎」の凄み。犯人を追い続ける刑事に
「伴淳三郎」。この三人の役に「代われる者はいない」と
多くの人が絶賛。
 
水上勉の『飢餓海峡』は、松本清張の『砂の器』、内田康夫の
『平家伝説殺人事件』のモチーフになっているが、重厚さで
一ランク引き離している。日本映画のトップにくるような作品と
私は思っている。

KEIKOさんのライブ「飢餓海峡」

2014-08-25 18:37:46 | 虚無僧日記

癌と闘いながら、歌で、同病の方に勇気を与えようと、

がんばってる「KEIKO」さんのライブありました。

「名古屋観光ホテル」の一室で、舞台、客席、音響、

照明を本格的に設定して。ホテルとしても「初めての

試み」とか。観客100人ぐらいと見込んでいたのが、

160人。超満席の大盛況。 

KEIKOさん自身も、多くの人に支えられて、また

それを喜びにして、笑顔と幸せを 周りの人にふりまく。

なんとステキなことよ。

 

第一部は、なんと 『飢餓海峡』。 原作「水上勉」。

薄幸な女性「杉戸八重」の一人語り。その合間々々で

「石川さゆり」の『飢餓海峡』を歌う。

KEIKOさんは青森県出身。ステキなお顔に似合わず

津軽弁はお得意。「八重」の語り口は、“地”まるだしで。

悲しい話なのに、目は笑っている不思議な感覚。

「まあ、 えがったことオ~」。

私も10月26日 『一休語り』。語りの合間に尺八です。

多いに参考になりました。

 

 


ご無沙汰しました。ブログ再開です

2014-08-25 18:30:40 | 虚無僧日記

東京に行っている間、ブログ更新できませんでした。

それでも、毎日300件以上のアクセスがあり、

開いていただいた方には、申し訳なく、また感謝です。

さてさて、母につきあって、一日ボケ~とテレビを

見続けるばかりで、私的には、何もご報告すべき

こともありませんが、福知山や広島では水害、

山崩れで大変なことになって、心痛みます。