現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

10/26 能楽堂公演「一休語り」の内容

2014-09-11 19:36:11 | 虚無僧日記

さてさて、刀も絵も売り払って スッキリ。10/26に 向います。

能楽堂公演の第一部のシナリオが できあがりました。先に

ブログで公開してしまいます。 

タイトルは 「一路が語る一休と森女の恋」

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私は、かつて宇治の吸江庵(キュゥコウアン) に住まいしたる一路でござる。

私が一休殿に会ったのは、もう六十の還暦を過ぎた頃のこと。

一休殿は、宇治から2里ほど離れた 薪村の酬恩庵に住んでござった。

村人の評判を聞いて、私の方から訪ねていった。

「一休殿はこちらか? 私は、一路と申す」 と 声をかけるとな、

「万法道あり、いかにこれ一路」と 問うてきた。そこで

「よろず休め休めといいながら、いかに一休み」と言い返してやった。

そこで二人で大笑いし、以来、親しき尺八の友となりもうした。

(尺八吹奏)

応仁元年、一休 74歳の時じゃ。応仁の乱が起き、京都の町は

大方焼けてしまった。兵火は薪村にまで及んできたため、わしと

一休は難を逃れて旅に出ることにした。

「さぁて、どこへ行くか」。一休は扇を開いて、「そうじゃ、ここじゃ

ここじゃ」。「はて、扇のさす先は どこじゃ?」「扇は戸に羽と書くから

トバ(鳥羽)じゃよ。

さて、鳥羽をめざして行く途中、顔見知りの山伏に出会います。

「あれ、そこへ行くのは一休殿ではござらぬか。一休さんどちらへ?」

「風の吹くまま」「風吹かぬ時はいかに」「吹いてゆくわい」

と、一休さんは尺八を吹いて・・・・・・ (以下つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 


“舞い”と“言霊”の世界

2014-09-11 19:11:11 | 虚無僧日記

今月はスケジュールがすごいことに。老人ホームなどへの

ボランティア演奏が8件。詩吟の伴奏が2件。中日ホーム

ニュースの取材が一件。もうテンテコ舞い。

そして、毎日いろいろな人との出会いがあって、人生充実。

今日も不思議な世界を覗き見してきました。宗教的な祈り

の舞い。「特定の宗教ではない」と否定されてましたが、

元々、“舞い”は宗教的儀式から発祥したのですから、

その原点ともいうべき踊りです。

また、「言霊(ことだま)」の話も興味深かったです。

「虚無僧は、明暗の相対を超えた絶対の光の世界」

「虚無なる 光 求めて、 一途に路(みち)を歩むべし」

と諭されました。