さてさて、刀も絵も売り払って スッキリ。10/26に 向います。
能楽堂公演の第一部のシナリオが できあがりました。先に
ブログで公開してしまいます。
タイトルは 「一路が語る一休と森女の恋」
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私は、かつて宇治の吸江庵(キュゥコウアン) に住まいしたる一路でござる。
私が一休殿に会ったのは、もう六十の還暦を過ぎた頃のこと。
一休殿は、宇治から2里ほど離れた 薪村の酬恩庵に住んでござった。
村人の評判を聞いて、私の方から訪ねていった。
「一休殿はこちらか? 私は、一路と申す」 と 声をかけるとな、
「万法道あり、いかにこれ一路」と 問うてきた。そこで
「よろず休め休めといいながら、いかに一休み」と言い返してやった。
そこで二人で大笑いし、以来、親しき尺八の友となりもうした。
(尺八吹奏)
応仁元年、一休 74歳の時じゃ。応仁の乱が起き、京都の町は
大方焼けてしまった。兵火は薪村にまで及んできたため、わしと
一休は難を逃れて旅に出ることにした。
「さぁて、どこへ行くか」。一休は扇を開いて、「そうじゃ、ここじゃ
ここじゃ」。「はて、扇のさす先は どこじゃ?」「扇は戸に羽と書くから
トバ(鳥羽)じゃよ。
さて、鳥羽をめざして行く途中、顔見知りの山伏に出会います。
「あれ、そこへ行くのは一休殿ではござらぬか。一休さんどちらへ?」
「風の吹くまま」「風吹かぬ時はいかに」「吹いてゆくわい」
と、一休さんは尺八を吹いて・・・・・・ (以下つづく)