現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

虚無僧と南朝の因縁 その2

2014-09-19 18:57:39 | 虚無僧日記

虚無僧のの祖師は「普化」だが、その「普化宗」を日本に

伝えたのは、紀州由良興国寺の開山「法燈国師覚心」と

される。

しかし、この話は荒唐無稽。「法燈国師」の伝記や史料には

尺八や普化宗との関わりなど全く出てこない。虚無僧たちが

勝手に「普化宗の日本開祖」に祀り上げたのだ。

では、なぜ「法燈国師」が「開祖」とされたのか。

それを私は探り続けている。

そもそも、法燈国師が鎌倉時代に、由良に開いた寺は

「西方寺」で、真言密教の高野山の末寺だった。

「西方寺」は、西国(中国)への渡航を望んだ「源実朝」の

遺志を継いで建てられ、実朝と北条政子の御霊を祀るために

建てられた寺だった。

その「西方寺」が「興国寺」となるのは、鎌倉幕府が滅び、

後醍醐天皇による建武の中興が成った後。「興国」とは

南朝の元号で1340年から1346年までの間。

その後、興国寺は、後醍醐天皇の子「後村上天皇」の

帰依をうける。

ここで、「一休」「後村上天皇」「興国寺」という一本の線が

つながるのである。

『一休和尚法語』の中に、「興国寺の開山法燈国師」の

作として「なにごとも夢 幻とさとりては うつつなき世の

すまいなりけり」 という歌が載っている。

この『一休和尚法語』によって、虚無僧たちは「由良の開山

法燈国師覚心」の名を知ったのではないか、というのが

私の推理。