現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

諸芸指南のランク付け

2014-12-02 11:52:22 | 虚無僧日記

「郷土研究」78-10 No.19

安永4年(1775) 江戸で出されたという「諸芸指南惣目録」

歌舞伎の役柄に比してランク付けされている。 諸芸がどのように見られていたか。

 

【立て役】(注=歌舞伎では 和事 和実 実事 荒事 武道 丹前 男達)

「大上上吉」が    「手習い」

「  上上吉」として 「弓馬、剣術、槍、長刀」

「  上上土」として 「算盤、和絵」

 

【実悪之部】(注= 歌舞伎では最高位の悪役、敵役)

「極上上吉」として 「古学」

「 上上吉」     「医学」

「 上上  」に   「琴」  (この「琴」は儒学者が好んだ「七絃琴」)

 

【色悪之部】  悪役でありながら、外見は二枚目

「  上上 」に   「三味線」

 

【敵(かたき)役】

「 上上土」に    「柔術、鉄砲」

「 上上十」に    「尺八、将棋」    (尺八が意外にも  わりと 高い位置にある)

「 上上一」に    「義太夫」

 

【花車形】 (年のいった女)  「仏学、連歌、碁、琵琶」

【若女形】 (おやま)     「筝、笛、茶の湯、香、蹴鞠、長唄、河東節、浮世絵、料理、豊後節、胡弓」

 

 

 


座頭のトラブルは 座頭仲間で処分

2014-12-02 11:08:11 | 虚無僧日記

「名古屋叢書」第3巻 法制編(2)

p.426  元禄13年 (1700) 

一 町中において 座頭と口論致し、又は打擲など仕る族も有之。

  内証にて只今までは取り扱い置き候ように相聞き候得共、

  自今以後は、座頭とも いかようなる不埒 之れ有る候とも

  座頭と取り合い申さず、その所り 桐山検校(けんぎょう)へ

  其の品 相届け候へば、座頭仲間の法儀を持って 検校より

  申し付ける筈にて候間、その旨存ずべき事。

 

右之通り、御奉行所より 仰せ渡され候間 その意を得られるべく候。

以上  正月14日               太田伝左衛門

町中 丁代衆

 

(関連)

p.372 「町中諸事御仕置き帳」 慶安5年(1652) 正月吉日

一 座頭、ごぜ、貧人 町中(まちなか)を通り候に、子供 寄り合い、

  つぶてを打ちなぶり候間、能くよく申しつけ、なぶらせ申すまじく候

 

『郷土研究』75-3 No.5 p.2

桐山検校は丹波の出、京都に上り、元禄の頃、尾張の2代目藩主

光友公の招きで名古屋へ。公の信頼厚く、江戸藩邸にも赴いている。


座頭は優遇されていた?

2014-12-02 10:46:18 | 虚無僧日記

「名古屋叢書」第3巻 法制編(2)

p.407  元禄4年(1691) 

一 座頭「梅都」 在々町中 自分奉加仕る筈(はず)に候。

   右「梅都」の儀、少し分けも之有る者の事に候間、

   町中町代共 取り持ち候て、奉加 取り集め遣わし候ように

   相心得るべきこと

   右奉加の儀、格別の仔細之有り、御奉行衆 仰せ渡され候。

 

  右「梅都」の儀、少し分けも之有る者の事に候間、

   町中町代共 取り持ち候て、奉加 取り集め遣わし候ように

   相心得るべきこと

   右奉加の儀、格別の仔細之有り、御奉行衆 仰せ渡され候。

 

一 座頭「梅都」 奉加に町中町代中へ廻り候筈(はず)に候へども、

   盲人の儀、町代中 残らず廻り候儀も成り難く、廻り落としも

  之有るべく候。 最前 申し聞き候 奉加銭  町代中 取り持ち

  取り集め、其の人足問屋「與右衛門」の所へ もたせ遣わし、

  相渡し候様に 致さるべしとの事に候、左様、相心得らるべき候。 

  以上                         吉田忠左衛門

     酉2月16日

  町中 丁代衆