突然ですが、今日から 四国遍路の旅に行ってきま~す。
3日間の予定ですが、なりゆきでは、日曜まで。
「郷土研究」78-10 No.19
安永4年(1775) 江戸で出されたという「諸芸指南惣目録」
歌舞伎の役柄に比してランク付けされている。 諸芸がどのように見られていたか。
【立て役】(注=歌舞伎では 和事 和実 実事 荒事 武道 丹前 男達)
「大上上吉」が 「手習い」
「 上上吉」として 「弓馬、剣術、槍、長刀」
「 上上土」として 「算盤、和絵」
【実悪之部】(注= 歌舞伎では最高位の悪役、敵役)
「極上上吉」として 「古学」
「 上上吉」 「医学」
「 上上 」に 「琴」 (この「琴」は儒学者が好んだ「七絃琴」)
【色悪之部】 悪役でありながら、外見は二枚目
「 上上 」に 「三味線」
【敵(かたき)役】
「 上上土」に 「柔術、鉄砲」
「 上上十」に 「尺八、将棋」 (尺八が意外にも わりと 高い位置にある)
「 上上一」に 「義太夫」
【花車形】 (年のいった女) 「仏学、連歌、碁、琵琶」
【若女形】 (おやま) 「筝、笛、茶の湯、香、蹴鞠、長唄、河東節、浮世絵、料理、豊後節、胡弓」
「名古屋叢書」第3巻 法制編(2)
p.426 元禄13年 (1700)
一 町中において 座頭と口論致し、又は打擲など仕る族も有之。
内証にて只今までは取り扱い置き候ように相聞き候得共、
自今以後は、座頭とも いかようなる不埒 之れ有る候とも
座頭と取り合い申さず、その所り 桐山検校(けんぎょう)へ
其の品 相届け候へば、座頭仲間の法儀を持って 検校より
申し付ける筈にて候間、その旨存ずべき事。
右之通り、御奉行所より 仰せ渡され候間 その意を得られるべく候。
以上 正月14日 太田伝左衛門
町中 丁代衆
(関連)
p.372 「町中諸事御仕置き帳」 慶安5年(1652) 正月吉日
一 座頭、ごぜ、貧人 町中(まちなか)を通り候に、子供 寄り合い、
つぶてを打ちなぶり候間、能くよく申しつけ、なぶらせ申すまじく候
『郷土研究』75-3 No.5 p.2
桐山検校は丹波の出、京都に上り、元禄の頃、尾張の2代目藩主
光友公の招きで名古屋へ。公の信頼厚く、江戸藩邸にも赴いている。
「名古屋叢書」第3巻 法制編(2)
p.407 元禄4年(1691)
一 座頭「梅都」 在々町中 自分奉加仕る筈(はず)に候。
右「梅都」の儀、少し分けも之有る者の事に候間、
町中町代共 取り持ち候て、奉加 取り集め遣わし候ように
相心得るべきこと
右奉加の儀、格別の仔細之有り、御奉行衆 仰せ渡され候。
右「梅都」の儀、少し分けも之有る者の事に候間、
町中町代共 取り持ち候て、奉加 取り集め遣わし候ように
相心得るべきこと
右奉加の儀、格別の仔細之有り、御奉行衆 仰せ渡され候。
一 座頭「梅都」 奉加に町中町代中へ廻り候筈(はず)に候へども、
盲人の儀、町代中 残らず廻り候儀も成り難く、廻り落としも
之有るべく候。 最前 申し聞き候 奉加銭 町代中 取り持ち
取り集め、其の人足問屋「與右衛門」の所へ もたせ遣わし、
相渡し候様に 致さるべしとの事に候、左様、相心得らるべき候。
以上 吉田忠左衛門
酉2月16日
町中 丁代衆